無意識への理解が少し深まってきたところで、ここで想像してみましょう。

 

今から20年前、レオナルド・ディカプリオが主演した映画、『ザ・ビーチ』に出てくる風景を思い出してください。雲一つない空に明るく輝く太陽。そして太陽光を惜しげもなく吸収してゆく青い海。砂浜はそこにいる人の全てを受け入れ、リラックスさせてくれます。

 

この場所はまるで夢の世界・・・と思う方は正解で、夢の世界と思わせる風景というのはあのような風景のなのだろうと思われます。なぜなら、人間の行動のほとんどは無意識で支配されているからであります。

 

また、ある時に非常に心打たれる楽曲に出会ったとします。そうすると、何と素晴らしい!この音楽の中に入ってゆきたい!と思ったとします。しかし、よく考えてみると、そう思ったときはすでにその音楽に入っている状況であり、それゆえに素晴らしいのであります。ジミ・ヘンドリクスも確かに素晴らしいのですが、ジム・モリスン、ジャニス・ジョプリン、カート・コバーンなどもまた素晴らしい楽曲を提供しております。彼らの与える音楽には独特の世界観があり、その世界観はそれを聞く人の世界観でもあります。

 

これらと同様に、その色が素敵であるとか、この味に魅了されるであるなどは全て主観というよりは無意識の世界であり、そう感じる主体の無意識の現れが、その色であったり味であったりします。音、色、味は脳が感じ取って処理しているだけですから、感じ方は人それぞれとなります。そのそれぞれの根拠は何であるかというと、ユング心理学においては布置であり、この布置の作用にて人それぞれに感じ方が違ってくるというものであります。

 

こうなると少し困ることも出てきまして、例えば、オリジナル曲を作るとき、歌詞はともかく、作者の作る音が、聞き手にうまく伝わっているかという問題であります。ひょっとすると作る側の意図と違うように聞こえるのではないか、また、自分ではこれがベストであると思う反面、実際にはどうか?と深く考え込んでしまうことがあります。これはなぜかというと、音は音として存在しないがゆえ、アーティストの心の奥底にて音であろう信号を自分で組み立て、それを空気中の振動として伝えているという原理であるためにそう感じるのではなかろうかと思われ、もちろん、その底知れぬ「正しいか、正しくないか」についての不安自体もまた無意識なのでありますから、この圧力感なるものは相当なものであり、ここが音楽のアーティストの大きな悩みなのではないでしょうか。

 

自分の思いを音楽で表現することがその醍醐味の音楽で、大きなストレスを感じてしまうのでは本末転倒であります。ではその解決法は如何に?となると、ここに意識の力を少しばかり借り、そして改めて意識の世界へ飛び込んでゆくことが必要であるかと思われます。

 

絵画も同じであるかと思われます。絵を描く技術は最低限必要となりますが、その上を行こうとするとき、かなりの圧力感を感じるかと思われます。絵画にまで話を持っていかなくても、SNSにおける写真や短時間動画の「見映え」を考えるだけでもお分かりだと思われますが、長期間において人気のある管理者は、少し原始的な表現方法を使っているのではないでしょうか。つまり、あまり大きく飾らず、元型を思い起こさせるように表現されているのではなかろうかと思われます。

 

これと同じく、味についても、フランス料理やイタリア料理、近年では日本料理も、世界中で広く認められた料理でありますが、少なくともフランス料理とイタリア料理は感情面が豊かなラテンの人が作る料理でありまして、この点がその秘密ではなかろうかと思われます。つまり、無意識の表現がうまいのであります。日本料理も同じく、日本人はもともと和の世界に生きておりますので、無意識から湧き上がる気持ちと意識とをうまくつなげてきた民族であります。その形を料理として表現した場合、京料理などに代表される日本料理となるものと思われます。

 

このように、無意識をどのように活用させると、より楽しい日常生活を送ることができるのかについて、今後は書いてゆこうと思います。これは前稿に書きましたが、例えば、元型は元型のままでは作用しません。元型に意味を持たせる作業が必要であり、ではどうすれば元型がうまく作用してゆくのかなどのことを考えてゆこと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。