ユング心理学を学ぶ人から多くの質問を受けるのが、結局のところユング心理学では心の何を学ぶことができるのか?です。この質問は非常に鋭い質問でありながら、実にユング心理学の真髄を理解できていない質問でもあります。この何が何だかわからない状態をその状態のまま理解していくのがユング心理学であり、ゆえに、臨床を経験して悩み苦しまなければ何も分かったことにはならないのがその特徴であり、ゆえに、学び始めた入門者はストレスがたまるのであると思われます。ユングの論文を読んでいただくと気づくと思うのですが、プラスのことをいったかと思えば、すぐにマイナスのことをいい、またプラスのことをいいながらもマイナスのことも同時並行的に主張するなど、結局のところ何を言いたいのかわからなくなることが非常に多いかと思います。

 

これはユングの理論は現場から生まれてきたものであるからこうなると思われるのですが、ユングの理論はプラスとマイナスの中間地点、いわゆる中庸と呼ばれる状態をベストと考えるため、プラスに偏っていたり、マイナスに偏っていたりする状態を危険な状態とみなし、したがって、この両極の解説を施す場合に、長所を指摘したかと思うと、そのすぐ後に短所を指摘し、そこで全体のバランスを取ろうとするのが大きな特徴であります。例えば、タイプ論などはこの典型でありまして、したがって、外向型と内向型のどちらが優れているかというような評価は一切なく、また、心的機能、いわゆる、思考、感情、直観、感覚のうち、どれが優れているかについても評価はされず、態度においても機能においてもそれぞれに一長一短があるという結論が下されております。現代に生きる我々にとってはこのような結論の下し方について不満を持つ人が多いかと思いますが、これがユング心理学であります。

 

これがさらに拡大していくとき、心全体へと対象が広がるのですが、では、意識と無意識とでは、どちらが正しい判断をしているのか?と思いたくなるのが人情ですが、これについてもユングは、意識と無意識との両方が大切であり、それらが分離されたままの状態でも、また、一体になったままでもいけないとし、すなわち、意識と無意識の両方が必要であると結論を下します。中国哲学でいうところの「中庸」の概念そのものなのですが、よって、人によっては何を主張したいのか全く理解できない人が出てくるものと思われます。ユングとしてはこの「中庸」の状態がベストと主張しているのですが、西洋の学問体系の中で学んだ私たちにとって中庸という概念は東洋思想でありながら理解しがたく、この点に大きな壁を見出すことができます。

 

現代の心理学の一般的なイメージは、音のリズムと歩調が同じになるのはなぜかとか、黒色が好きな人の心理とは?などであるでしょうけど、これまで述べてきたユングの理論でこれらの問題を解決するならば、「人それぞれに、それぞれの理由がある」という結論になり、個別の素材を吟味するしかないということになります。したがって、音のリズムと歩調が同じになるという相関性が確認されたとしても、因果関係については十人十色であり、決まり切った理由などないと結論を下すのがその方法であります。よって、結局のところ、臨床の現場で腕を磨き、理解を深めていくしかないというのがユングの主張でありまして、例えば、夢分析の論文が極度に少ないのもこのようなことが原因であるかと思われます。すなわち、夢の象徴的な意味は各人各様の問題であり、そこに普遍的な意味を見出すことは不可能であるという、無言の主張であると私は考えております。

 

これらのことからいえることは、心の部分と全体、両方を知ることが必要であり、部分だけを知っても、全体だけを知っても意味がないと結論を下さなければなりません。これからユング心理学を学ぼうとする人はとりわけ、このことを注意しなければならず、教科書を覚えるだけでなんとかなる学問ではないことを念頭に学んでいくことをお勧めします。したがって、これも何度も繰り返しますが、自分自身のためではなく、人の役に立つように学んでいく姿勢がユング心理学を習得していくうえでの近道であるかと思われます。

 

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