ここしばらくライブの告知ばかりを行っておりまして、品にかけるようにも思いましたので、シリーズの続きをやっていこうと思います。前回はポランニーの知識の二分割についての議論を行いました。ポランニーはあくまでも知識という概念で話を進め、それに対し、深層心理学の知識を持つ私からすると、あの議論がコンプレックスの議論に聞こえて仕方がなく、ここに大いなる迷いが生じていると主張させていただきました。これはまさに布置の議論でありまして、非常に個人的な経験による布置が邪魔をしてそのように見えるというのが原因であるかと思われます。例えば、青色という形容表現を空想してみるとき、皆様方は何を思い浮かべるでしょうか。欧米諸国の人々なら「憂鬱」、日本人の多くの人は「青空」か「水」ではないでしょうか。近年においては日本でも憂鬱の意味で使う方も増えておりますが、多くの方は青空か水だと思います。これも「布置」の作用の一つでありまして、このように、布置というのはいろんな意味に変化をする概念であることを知っていただければそれで結構です。そして、この説明をもって布置に関する概念の説明を終えてもよい状態となります。私のいくつかのブログにばらけるように布置の説明を行ってきましたが、これは布置の意味が非常に多様であることを表現するためでありまして、それを伝えたかったからであります。こう考えると布置は概念かという疑問もあるわけですが、ユングはこれこそが布置であると説明しておりますので、一か所にまとめた説明をすることは行いません。これがユング心理学を難しくする原因でもあるのですが、逆にユング心理学とはこのようなものであると理解していただければ幸いです。

 

このことからお分かりのように、私は別にポランニーを悪い意味で批判したわけではありません。さらに、野中先生による知識創造理論も大変すばらしいものであります。ただし、ここでもまた私としては迷いの生じることがありまして、それは、知識変換に関するものであります。知識というものを変換して相手に伝え、そうすることにより創造的な活動が実現するとの説明があります。これを「知識変換の4つのモード」とされておりまして、こうなりますと、知識というものが完全に分離されることが前提となり、それが変換作用のスパイラルにより新しい知識が生れるとされております。これもユング心理学において似たような議論がありまして、しかしながら、前提の条件が大きく異なることが特徴であります。ユング心理学ではまず、心はまとまった球体のようなイメージでとらえます。そのまとまった球体の中で様々な事情が複雑に絡み合っており、それが細胞分裂のように「分化」することにより進化へと導かれるというのが一連の流れです。このように考えてみますと、心はまとまった一つの「形」であるものの、その形の中でむしろ「分化」、もう少しつっこみますと、「分離」する必要性があり、その後に「統合」させることが重要であると理解することができます。これが前提となる条件でありまして、例えば、統合失調症の方のカウンセリングとなりますと、それこそ「転移」という、知識変換の議論と近い作業が行われるわけですが、それはあくまでもクライアントを個性化させるためのものであり、そのことがカウンセラーとクライアントとの創造的な空間を生み出すことになり、そこに迷いが生じるわけです。

 

では何に迷っているかといいますと、個人的な知識をいきなり組織という集合体に適応することははたして可能か?というものです。これは深層心理学という学問の性質が個人に向けられたものであるため、個人というものに焦点が当てられていない場合、はたしてどのようなことになるのか?という個人経験的布置による迷いが生じるに至っております。これが私の最後の問題点とした急展開する組織への応用適応であります。知識創造理論は成功した理論でありますから、これはあくまでも私の方がもっと勉強すべきことでありますので、ここからの仮説は私の浅学非才さをそのまま反映させることになり、誠に恐縮なのですが、つまり、相手に伝えるときの相手の心理状態や元々の知識、伝える側の伝える方法(ユング心理学では「夢」など)が転移に与える作用などに基づいた知識変換のプロセス、より個人的な点に着目しながら組織的に拡大させるという方法もあるように思いまして、この点が気になったがゆえに組織への問題への接近が急展開であるように感じたのでありました。

 

組織論の立場からしますと、組織における現象を現象として捉え、それを理論化することが求められますから、その意味において野中先生の理論に誤りがあるわけではありません。それが正解であり、私の意見は間違いとなります。というのも、組織論的立場を全く無視した議論を行っているからです。ここでの私の主張は一見すると正論に見えるかもしれませんが、学会的な立場からすると勘違いも甚だしいとなります。しかし、そこをあえて経営学と心理学とを融合させるとどのようなことになるかを考えた時、より個人に向けた組織論というパラドックスに注目せざるをえないように感じておりまして、それを思い切って主張させていただいた次第であります。これはあくまでも私の個人的な思いですから、この他にもいろんな意見やアイディアがあるものと思われます。私としてはたくさんの意見が出てくることが望ましいと考えておりますので、このような学際的研究が活発になることを願っております。

 

ご高覧、ありがとうございました。