本年の最後の投稿となりました。お付き合いいただき、ありがとうございました。来年は「深層心理学から見た経済・経営の諸問題」の続きから書いていこうと思います。

 

ところで、今年一年どころか、私の40年を振り返ってみますと、なぜギターを弾いているのか?とか、なぜこのような人生となっているのか?などといろいろと考えてみると、ユング心理学が非常に説得力ある回答を与えてくれます。例えば、私がギターを弾いているのは、それは最終的に私が意思決定し、楽しんで弾いていることでありますが、もっと根本的な原因があることをユング心理学は教えてくれます。答えはいえませんが、非常に心理学上の要因にて私はギターを弾いております。

 

前述のことは15年くらい前から既に回答が出ていたことですが、それよりも私が心理学の専門家になったことが一番の不思議であるかもしれません。私がいろんなところから追いかけまわされるようになったきっかけが心理学でありまして、例えば、私が知りえないような状況を誰かが仕掛け、その状況を全て読み込み、問題の解決を行うなど、相手からすると「透視能力」があるかのような印象を植え付けたことがきっかけとなっているのですが、私には透視の技術などなく、それこそ布置を見極めているだけのことですが、心理学者が心理学の研究者すなわち、私を試した結果、心理学者となった私がいまして、これがより一層、私が心理学者であることの印象を強めたのでありました。

 

心理学にはもともと強い関心があったものの、心理学者になる予定は想定外でありまして、それよりも逆に、心理学者になることを避けていたのでありますが、なんといいますか、私の経営学は心理学と強く結びついており、さらには、私が行う芸能活動においても前述のように、無意識のレベルで既に心理学との結びつきがかなり強いものでありますから、そこから避けるように行動すればするほど、心理学の求心力に負けてしまうというジレンマに悩まされた時期もありますが、まあ、これも人生だと思いあきらめ半分で心理学者としても活躍することになっております。心理学者になりたくてもなれない人々にとっては非常にふざけた話であるかと思いますが、これもまた現実です。こう考えると人間というのは、意識・無意識という区分で物事を考えてみますと、いくら合理的に、さらには客観的に考えてみても、その考えは考え全体の50%に過ぎず、残りの50%は意識化できない50%の部分、つまり、「無意識」からの判断となっていることに注目しなければなりません。自然科学が大きな力を得てからは客観的であることを常に求められるのでありますが、その客観的なものは実は「真理」の50%にすぎず、真の真理を求めるには無意識にも頼っていくしかなく、この点を忘れてはならないと思っております。

 

これに関連して、同じ学者でも学者を目指して学者になった人と、私のように予期せぬことがおきて偶然にして学者になった人など、いろんな心理状況下にて学者が存在するように、人はそれぞれ違うということも認識する必要があります。というもの、学者になろうとして学者になった人はやはり学会というものを中心に活動し、そこに適応する、ないし、適応していくような精神状況でりあますが、もともと学会には興味のない私のような人物に対し、学会が私に興味を示す逆転現象が起こるような、先述の学者とは正反対の性質の学者がこの「学会」には混在しているのとおなじことが、人間界全体にもいえまして、それを詳しく述べたのがユングの「タイプ論」であります。外向型の人間と内向型の人間がこの世には混在し、それぞれがそれぞれのことを批判しあったりし、これがしばしば企業経営における組織の問題へと発展することもあるのも事実です。しかし、よく考えてみると、外向型の人間は「外向」という枠にとらわれて、もっというと、自分が「外向型や内向型」であることに気づいていない人が多く、自分自身のことを理解できていないがゆえに相手の考えがより一層に理解できなくなったり、それがトラブルに発展したり、企業内でのイノベーションの障害となったりしているのは残念でなりません。

 

しかし残念がっているばかりでは前に進めせんから何らかの区切りをつけて前進していくしかないのですが、少なくとも私のブログの読者はこのことをよく理解し、人間である以上、何かにとらわれて生きているという自覚をもっていただければそれでいいかと思います。その意味で、私は心理学にとらわれている身でありまして、全ての考えに心理学、とりわけユング心理学の考え方がかなり色濃く入り込んでおります。上位概念がこんなことですからもうこれは仕方のないことだと皆様にもご理解をいただきたいと思っております。私と心理学との関係は対立の関係にありながら、それと対峙することによりバランスを保つようにしております。皆様方も年末に向けていろいろと大変なこともあるかもわかりませんが、逃げるよりも対決した方がよい方向へ向かうことが多いかと私は思っております。くれぐれも精神的にも健康的な年の瀬をお迎えいただきますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

ご高覧、ありがとうございました。