このタイトルで3回目の議論となりました。これもなかなか気が重い作業なのですが、やらないといけないという、どう説明していいのか、それ自体がかなり難しいことなのですが、時代なのでしょうね。深層心理学を経済や経営を見るための視座にするというのは、とりわけ在来型の経営学の一部ではあるものの、しかし、その一部に関して全否定する可能性も出てきますし、されど、そのような状況があったから問題意識も芽生えたという、肯定的な面もあり、そのあいだで現在も苦しんでおりますが、少しづつまとめていこうかと思っております。

 

前回はマクロ経済学の大まかな流れをご紹介したのですが、それは経済学は経営学の父とされておりまして、それ故に少しだけでもその流れを感じてもらおうという意図において思想の全く異なる二つの学説を持ってきたのですが、近代経済学はこの二つを源流としてさらにいろんな経済学が出てきております。私はシュンペーター学派の一派でありますからその流れでマクロ経済をとらえ、クラスター戦略を軸としながらも日本的なクラスター戦略、それも「中空クラスター戦略」というものを考えておりまして、ゆえに例えば、北海道の「メタル・クラスター」というように、、メタル「音楽」クラスターとしないのはそのためです。アメリカやイギリスのように「核」を持つと、その途端に失われるものが出てくるのが日本の特徴ですから、あえて中心は「空」にし、中心円の周りにメタルに関する布置を形成させる方法をとるというのが私の発想であります。ですから、リーダーはメタルに関する「広い知識」と「感性」と「許す心」を持っているだけでよく、どちらかというと頼りないほうがベストです。なぜなら、布置が中心を支える構造となるからであります。核があると核分裂が起こり、日本のいいところが飛んでしまうので、その事業に関しては欧米のやり方をそのまま採用しないことにしております。

 

話を戻しまして、前回はシュンペーターとポーターをつなぐ人物としてアバナシーをご紹介しましたが、このアバナシーの研究をより深め、さらなる深化へと発展させたのがクリステンセンであります。クリステンセンは経済学的な議論で展開されたイノベーションの理論を経営学の領域に完全に取り込み、企業の意思決定のありかたに大きな影響力を与えたという意味で非常に大きな功績といえます。それと逆の動きをしたのがポーターでありまして、彼はあくまでも経済学にこだわった議論に深化させた学者でありまして、マルクス経済学の流れの中で近代経済学が二つに割れ、それがアバナシーにより一つになったかと思うと、アバナシーからまた二つに割るという面白い現象に気が付くのであります。しかし、これもまた面白いのですが、クリステンセンの理論は「バリューチェーン」というポーターの理論に依存するところもあり、両者は割れているようで協力関係にあり、第三者的な立場からしても素晴らしく気持ちのいいものであります。

 

ところで、なぜアバナシー、ポーター、クリステンセンなどの学者が台頭してきたのか?という根本的な問題を考えねばなりません。彼らの特徴はイノベーションは企業側から発生するという考えに基づいております。それに対して反論する意見がMITのヒッペルなどから出てくるのですが、その件は後にお話しするとして、もっと根本的な話として、ではなぜシュンペーターという学者が現れたかを考える必要があります。ケインズ経済学がマクロ政策の主流となることはすなわち、需要が供給を決めるという法則に基づきます。ということは、「企業が顧客に従う」という公式が成り立ちまして、需要が100%という時代が到来したわけです。企業活動のすべては「需要」のためにあり、供給側の意思などはまったく関係のないことでありました。新製品は需要から予測されるものであり、供給者から提案されるなどはあり得ない話であった時代が実際に存在したのでした。ところが、国民に生活用品が一通りいきわたると、今度は買い替え需要という需要に変化していき、有効需要を見出すには技術と情報の蓄積のある企業側から何らかの発想が必要であるとの予見を示したのがシュンペーターであり、それが後年になり見事に的中し、そこにアバナシーという天才学者が現れるが、決定的な答えを発表する前にお亡くなりになり、それに続く第3世代、すなわち、ポーターやクリステンセンの時代がやってくるという一連の流れとなります。

 

ここまでの話でお気づきであるかと思いますが、第3世代は仲が良く、ということは二つ合わせて完成品と見るのが妥当ではないか?と私は思っておりまして、その意味で私はクラスター戦略における破壊的イノベーションを発生させる原理をただいま実行中なのであります。ここで重要になってくるのが「知識」の問題でありまして、この知識移転に関しての実際的な方法論をどのようにするかが組織を考えるうえでも大切となるわけです。そもそも私の頭の中では組織というよりも「布置」という考え方でとらえているのですが、こうなってきますと大問題が起こりまして、というのも、実際的な方法論は野中先生が提唱されておられるではないか?とか、ミンツバーグの教科書を読め!とかアメーバ経営はどうなの?など、いろいろあるでしょうけど、人間の心の問題に深く関連するこの問題に関して、深層心理学的に考察すると全く違った答えが出てくるのも事実であります。今回はこの点にフォーカスし、議論を深めていこうと考えております。

 

ところで、先ほどの需要が供給を呼ぶ構造ですけど、これはやはり企業からすると不満も出てくることでしょう。例えば、車を作るにしてもいろんな車を作っているうちに「こんな車は売れないのか」というような疑問も多かったと思います。しかし、それよりも需要が先行するので企業内に不満は蓄積されます。これがコンプレックスとなり、いつかは爆発するのですが、アメリカの自動車業界はこのコンプレックスをうまく生かすことができなく、不満だけが残り衰退していった様相をみてとれます。一方で、エレキギターのメーカーであるギブソン社を見ると、1952年、連邦政府の権限がまだまだ強力であった時期において既にレスポールというシグネイチャー・モデルが存在しておりまして、このモデルはシュンペーター型の思想で生み出されたギターなので当時は絶対に売れないとされていたのですが、予想に反し爆発的なヒットとなり、この事例でもお分かりのように、シュンペーター理論も当時から同時並行して取り入れられていましたが、やはり主流の逆を行く考え方は自由の国アメリカといえども受け入れられにくく、理論の正当性を認知されるまで相当な年月を要することになったのであります。

 

次回はイノベーションと知識との関係を見ていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。