ついに2回目となりました。それにしても深層心理学という学問は心理的に問題を抱えた人々を治療していくために発達した学問でありますから、その内容はかなり生々しく、それを理解していく過程において学んでいる人も苦しい思いをし、しかしながら、それを乗り切らないことには学問として納めることはできず、これほど苦痛を伴う学問は他にないかと思われるくらいに心理的な負担が大きい学問であります。ゆえに心に病のない人まで研究対象が及ぶことはなく、深層心理学を、例えば職場にて生かそうとするならば、常に教科書とは逆の道を進むことになり、より一層、苦しい思いをさせられるわけですが、しかし、そこから得られる効果は非常に大きく、ゆえに死ぬほどの苦しい思いをしてまで研究を進めるわけです。

 

ところで、前回はシュンペーターやケインズを例にとって経済の話を少しだけしました。彼ら二人の巨匠はいわゆるマクロ経済学の権威でありまして、国全体としていい方向に向かうにはどのようにすればよいのかということを考え抜いた人々です。ケインズは均衡という発想のもと、不況時に大きな成果をだしました。対するシュンペーターはイノベーションという概念を生み出し、数式ではとらえきれない「複雑」な概念を提唱し、現代においてマクロ経済のとらえ方の主流となりつつあります。

 

この「現代において」というのはいったいいつの頃からでしょうか。これは非常に難しいのですが、私は90年代の中ごろに大学の経済学科に入学したのが学問生活の初めでありまして、その時に履修していたマクロ経済学での授業では、担当の教授がそれまでは経済活動の大まかな指標として「GNP」で表していたものが、今後は「GDP」になると繰り返し述べられていたこと、ケインズ学派だった教授は当然のごとくケインズのアプローチにてマクロ経済学を伝授するのですが、例えば、IS-LMモデルの説明をした後に、最近では企業側からの自由な発想が経済を支える傾向にあるのも事実であり、ケインズ学派とは逆の発想も必要であるとの発言があったり、非常に嘆きにも感じる発言を繰り返す教授に私は時代が移り変わる「中間点」に位置していることを知ったのでありますが、後にその教授が在任中、ちょうど私がドクターコースに在籍していた時に逝去され、その時点では研究室には学部のゼミ生しか在籍していなかったこともあり、研究室の整理を手伝ったのですが、その時に驚いたのは、シュンペーター学派の経済書が山のようにあったことでした。その中には私も本に穴が開くほど読んだアバナシーの『インダストリアル ルネサンス』もあり、そこにはその本を一言一句読んだ形跡が残されており、ケインズ派の経済学者として、実体経済と比較したときに、相当な葛藤があったことを知り、学派は異なりますが思わず涙したものでありました。

 

上述のことからわかることは、経済といえども人があってのことですから、当然のごとく経済というのは人のありようで変化することを意味します。ケインズ学派も人のことを考えてのモデルを提供し、実際にかなりの成果を出したのですが、やり続けていくうちに均衡という概念は効きにくくなり、それまでは抑圧されていた、より人間の感情面に訴える方法に軍配が上がるようになったというのがそのストーリーであります。実のところシュンペーターによるイノベーション理論ではその感情面に訴えることはそれほど多くはないのですが、シュンペーターとポーターを結ぶ重要な人物に先ほどのアバナシーがいます。彼は不均衡は「成熟」から醸成されるものであり、これから抜け出すには「脱成熟」を促すしかないという理論を発表したのでありました。そこで、複数の学者と共にイノベーションを類型化してみたり、その他様々な研究をイノベーションという軸で行い、最終的にドミナントデザインが出たところで成熟化が始まるとする「生産性のジレンマ」という仮説を出すに至ります。この段階でマクロ経済政策には、やはり個別経済、いわゆる経営学がより重要になるとの見解がアメリカでは主流となり、現在に至っております。

 

こうなってくるとマクロ経済政策に必要なのは「人を動かすことだ」とか、「人を動かす方法」というような方向へと、国から企業、企業から個人へ経済学の研究対象の変遷が出てくるのですが、一貫して見受けられるのは人を動かすことができる「技術」があるはずだと思うことです。ここが一つ重要なポイントで、「技術」となるとその対象は「モノ」となってしまいます。人間はモノではありません。そのように扱われるべきではないのはいうまでもありません。経済学を元にするとどうしても数学的にとらえるようになってしまい、これは何を意味するかというと、人間の感情面に考慮するとしつつも、人を「操作」する方向へと向い、結局のところ人が動かないので失敗したという悪循環を生んでいるようにも思えます。あくまでも仮説ですが・・・。

 

例えば、マクロ経済の問題の一つとして失業がありますが、伝統的な経済学では不均衡が失業を呼ぶという考え方ですが、現代ではどうでしょう。「ミスマッチ」という言葉をよく聞きます。これは自分自身の職業適性と勤め先とマッチしないことを意味し、そのような場合、その人は退職に追い込まれ、失業することが増えてきているといいます。こうなると伝統的な経済学での考え方ではマクロ経済の諸問題を解くことはできないので、特効薬として他の学問を使って一気に問題の解決をしようと考えるのですが、人はモノではないので操作することはできず、そして、多くの経済学者は「なぜだ?」と頭を抱えるのです。

 

技術は相手がモノであればいとも簡単に技術を使い、操作することはできます。しかるに、相手が人間となるとそう簡単にはいきません。「コンプレックス」という心理学の専門用語があるように、非常に個人的な部分において既に「複雑」ですから、操作などできるはずがありません。ではどうすれば人は動き、マクロ経済は上昇するのか。次回は経営学的な観点から見てみようと思います。ご高覧、ありがとうございました。