今回は少し見栄を張ったタイトルですが、内容は大したことはありません。というのも、人間の発想の源泉についてお話をしようと思うだけのことです。しかしながら、この発想の源泉の問題について考えることにより、企業経営の問題やもう少し広く、経済の問題にも新たな問題提起がなされるものと考えております。

 

例えば、現在ではケインズによる一般均衡理論により経済を考えるのではなく、イノベーションを軸に経済を考えていくべきであるというように、経済思想も少しづつ変化してきております。しかしながら、その考え方はケインズ理論同等の古さを起源としており、その意味では考え方そのものは実は昔とあまり変わらないものであって、変遷を感じさせるのは人間の意識の変化であるようにもとれます。ケインズは不均衡を嫌い、シュンペーターは不均衡を当然のものと考えました。これは大きな違いがあり、ここに彼らの問題意識の差が出てくるところです。不均衡を正すために不均衡時に立て直すやり方と、不均衡は企業と企業家により自然に解消すると唱える理論には大きな違いがあり、先に取りあげられたのはケインズ学派のものでありますが、この効果に疑問符が付きだすようになると次第にその思想はシュンペーターのものに移行していくのですが、イノベーションの議論が経済学的に再び語られるようになった時、不均衡の中でのイノベーションというかたちで、ケインズの思想とシュンペーターの思想が組み合わさり、まさに新結合された状態にて語られるようになりました。それを実現したのがポーターでありまして、それ故に現代における戦略の権威であることは間違いないでしょう。

 

ところで、ケインズは需要が供給を呼ぶという思想で経済をとらえたのですが、シュンペーターは供給が需要を呼ぶととらえ、全く逆の思想であったことがうかがえます。このシュンペーターの理論を実行するとなると「資本」や「投資」が必要になるのはもちろんのことですが、投資を呼ぶための「発想」が核となるわけで、やはりイノベーションを実行するには人を育てるところから始めるしかないように思います。そこで、国が発表しているイノベーションについても一応、目を通しておくことにしましょう。

 

 

内閣府 『(5)経済成長とイノベーション

出所:http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_5.html

 

文部科学省 『イノベーションとは

出所:http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200601/column/007.htm

 

 

上記二つのことをまとめますと、やはりイノベーションが今後の経済発展へのカギとなるという解釈であります。そして注目すべきは文部科学省が図示しているイノベーションの類型です。ここには米倉先生の議論を元に4つのパターンが示されておりますが、逆に考えると、イノベーションには4つのパターンに定式化されていることにもなります。しかし、内閣府は次のように述べております。

 

イノベーションに決まったやり方はなく、正に創意工夫によって生み出されるのがイノベーションである。イノベーションの効果の発現によっては、大きな生産性の改善は決して無理ではない。

 

出所:http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_5.html

 

 

では、これを読み手としてどのように、この二つの異なる意見を読むかというのも一つの発想の問題でありまして、要するにどちらか一つが間違っているというわけではなく、私から言わせてもらえばどちらも大事なのであります。一つに、イノベーションには「ロマン」や「夢」を伴わなければなりません。これがなければ「発想」という創造活動が生まれてきません。さらに、発想の活動は4つに類型化される、ないしは4つに限定されるという意見が上に見られます。要するに発想というものは限定的であることを示しております。実はこれは心理学的にも非常に重要な点でありまして、それはユング派心理学の「元型」に見ることができます。

 

元型についての議論は別のブログにて行っておりますのでそちらをご覧いただくことにして、要は、人間の創造的活動の根源は元型によるとされ、その元型は無限ではなく類型化される、すなわち、限定的であることが既に確認されております。代表的なのはアニマ・アニムス、影、ペルソナ、太母、その他に「自己」に関連して老賢者や始源児などがあります。自己という枠を外すなら普遍的無意識は底なしとなるのですが、ここに自己の概念があてがわれることにより限定的となります。ちなみに、自己も元型です。こうなると、やはり中国の易にもよく似た考えかたとなり、万物は既に決まったものであり、その中での分化と統合の作用により空間としての意味を持つというような考え方になります。有限でありながら無限という、非常に理解しがたい状況をどのように実行へ移すかが問題となるのですが、しかし、基本的にはやはり易の太極の考え方が非常に参考になるかと思います。

 

このことからすると、例えば、過労の問題について考えてみますと、イノベーションには無限の力があるから考えれば何とかなるとか、英知と衆知の結晶がどうのとか言ったところで、深層心理学的にはまず、無意識との対話が必要となり、それ自体について通常では至難であるにもかかわらず、その「元ネタ」それ自体が限定されており、行きつく先はやはり自我と無意識とのバランスの崩れというものに行きつき、それが主体の内面の方向へ向かうと自殺、企業自体へと考えを広げると倒産ということになります。重要なのは、無限でありながらも有限であるという考え方であり、ある一つの枠の中では無限であるとの理解が必要であり、そこに個性化、ないし自己実現への道を模索することになります。それゆえに、イノベーションを確実に実行させるには個性化が必要となり、企業という枠の中で考えるのであれば、企業の内部では無限の可能性があるが、しかし、それは従業員の一人々がさらに個性化される必要があり、これからの企業のリーダーはその指導、すなわち、心の教育ができるかがカギとなるかと思われます。

 

今回は総論的にこれで終わります。ご高覧、ありがとうございました。