前回は序論的なことをやりまして、ある意味総合的なことを書かないといけないので雑煮のような文章となっていましたが、今回からは少しづつ的を絞りつつ、深く掘っていこうと思います。

まず、日本で私達があまり活躍できなかった理由としてマーケットの問題をあげておりますが、そこでよく聞かれたのが、「パールジャムは5人やろ!!」というものです。次に、「カバーは日本語で歌うな!」、最後は「カバーを聞くくらいなら本人たちのものを聞く」というものです。

ごもっとも。なにも間違ってはいません。このような声を無視してトリオでやり続けた私たちが一番悪いのです。私達も市場での声をわかっていながらやらなかったわけですから、批判の声が大きくなるのは当たり前のことです。そこで私はどのような行動に移したかというと、既に皆様方もご存じのとおり、海外進出です。

上述のように、私達は自分たちの問題点をあらかじめ分かっておりましたから、日本の市場に合うように修正して活動することもできました。アンソフの成長マトリクスでいうとところの「市場浸透」です。ところが私たちは「市場開拓」を選択したのです。ここが「戦略は意思決定である」といわれる部分です。

実は私たち自身も相当に考えさせられました。選択肢は二つあり、どっちに進んでも間違いではないという状況です。しかし、これらはあくまでも理論上の話であり、実際に行動するとなると相当な覚悟が必要となります。中には答えが出せずに自殺する経営者も多い中、私達は選択を迫られることになりました。

しかしですよ、もうすでにいろいろと失敗を繰り返しておりまして、私達には失うものが無いような状況にまで達しておりましたので、それならば失敗を覚悟のうえで「市場開拓」を選択したのでした。ですから、最後の決め手は直感です。ではこの直感はどこからくるのか?これが今の私が研究中のことで、この件も経営学の分野でほとんど語られることのなかった分野です。

そして、私たちが海外に拠点を移そうとする頃、ボロボロになった私達を見かねてか、日本政府が本腰を入れてきたのでありました。ですから、日本政府はかなり前から私達についてきていたのですが、もうなんといいますか、ほったらかしの状況で、何があっても手助けは一切ありませんでしたし、これほどに厳しくされるのだったらもう「日本から脱出してやる」というのも大きかったです。ですから、「意思決定は直感だ」とか、「意思決定は我慢の限界からくる悟りだ」とか、わけのわからない仮説が生まれるのが本来なのかもしれません。

次回以降では私達の意思決定を支持した日本政府の意思決定について書いてみたいと思います。お楽しみに。