パセリとの別れについて、自分の気持ちを整理するために書かせていただいています。
からのつづきです。

以下、パセリの永眠後姿も貼るつもりです。とても安らかな顔をしていますが、気になる方は閲覧をお控えください。


動物と動物と心を通わせる人の優しさ

そろそろ出発の時間。

タクシーを呼ぶために電話をかける。

とてつもなく嫌な時間。


大通りから1本細道に入ったところにある火葬場まで、タクシーを降りて歩いていると、職人気質なお父さんが大きな老犬を連れてお散歩していた。


わんこさんが気がついてこちらを優しく見つめてくれたので私も見つめ返していると、職人風なおじさんが「ペットちゃん?」と火葬場の方を指しながら声をかけてくれた。


「かわいそうだね。つらいよね。」

おじさんの優しさの隣で同じ表情で大きなわんこさんも心を寄せてくれているのが伝わる。


「ありがとうございます」

少し心が温かくなる瞬間だった。



火葬場につくと、今度は人懐こい猫ちゃんが入り口でお出迎えしてくれた。


セージの時は見なかったニャンコ。


目があうとニャーンと優しく鳴いてくれて、この子まで「お別れにきたんだね。悲しいよね。」と言ってくれているような優しい表情をみせてくれた。


ご担当のおじさんは今日はお2人いらした。

どちらもセージの時とは違う方だったけど、穏やかでパセリに終始優しく接してくださった。


待合室へ案内していただくとき、先ほどのニャンコが入ってきてニャーンと鳴いていた。

おじさんは、この子は2年くらい前からいきなり来るようになってね。怪我して死にそうになったりもしたけど、みんなで看病してたらすっかり元気になって可愛い子なんですよ。と教えてくれた。


なんだかまた心が温かくなる。


動物と心を通わせた同士、気持ちがわかるからこの哀しみを理解してもらえた感覚なのかな。


結局泣きっぱなしでのお別れになってしまったけど、少し救われたような気がします。




受け入れられない

火葬が終わり、お骨上げの時。

受け入れかけていたパセリの死がまた受け入れられなくなった。

これがパセリだなんて嘘だよ。




お友達からパセリへお花が届きました。


時間が経つと骨壷が見れなかったのがウソのように、今は骨壷=パセリに見えて、せっかく送っていただいてお花畑状態の台の上ではなく、いつものように私のお腹の上に抱きっぱなしでいます。

骨壷を抱っこしているとパセリを抱っこしているみたいで安心する。ベッドでも一緒です。


執着はよくないと頭ではわかっているけど、パセリにもう会えないなんてまだ受け入れるのは難しい。

パセリに会いたくてたまらない。


パセリー?と部屋の中を探してみたりしてしまう。

かと思えば泣きわめいている。


骨壷の中は、パセリだけどパセリじゃない。

パセリに会いたい。



つづく