1986(夏詩の旅人 ~ ZERO) | Tanaka-KOZOのブログ

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 1986年
僕は高校を卒業後、一浪して、なんとか大学へ入学する事ができた。

高校時代に、部活動でやっていた剣道の推薦枠であれば、浪人する事もなく大学に入れたのだが、僕はそれを断った。

それは、スポーツ推薦などではなく、学力で堂々と大学へ入りたかったからだ…。

 なんてのは、真っ赤なウソで…(笑)
実は、大学に入ったら思いっきり好きな事をして、学生生活を謳歌したかった。
つまり、遊びたかったのだ。

 毎日毎日、血尿が出るほど稽古を続け、それが大学生になっても、まだ4年も続くなんて考えたくもなかった。

だからその反動で、僕は、大学時代は伸び伸びと好き勝手にやって、ただ楽しみたかったのだ。



 高3から通い出した予備校で知り合った児島リキの影響で、僕は先日、新宿3丁目にある楽器屋のKEYで、20万もするベースを3年ローンで買ってしまった。

楽器を買いに行く時に付き合って貰ったリキは、洋楽好き(主にロック中心)で、高校時代はバンドでギターを担当していた。

 予備校の授業中、僕はリキから音楽の話をずっと訊かされているうちに、自分も音楽をやってみたいと思う様になって来た。

授業なんかまったく聞いてなかったので、当然僕らは浪人してしまった。

予備校帰りは近くの喫茶店で、いつもタバコを吹かしながら何時間も珈琲一杯だけで、僕はリキと話し込んでいた。

リキは農家の息子で、自宅の敷地内には蔵があった。
そこにはドラムセットが置いてあり、ドラムも叩けたリキとセッションする為に、僕はベースを購入したのだ。



 ずっとずっと、楽器を買うのを我慢して、やっと大学生になると、入学前に買ったTUNEのベース。

ラジャスのノンちゃんと同じベースであるのも、決め手であった(笑)

 そう、僕はベーシストとして、大学デビューを目論んでいたはずだったのだが…。




 1986年4月
新1年生になった彼は、この春から通う事になった大学へと向かっていた。

ガタン、ゴトン…、ガタン、ゴトン…。

規則的なリズムで揺れながら、列車は走る。
彼は、電車のドア付近に立っていた。

その後ろにはシルバーシート。
高齢者や障がい者への優先席の事を、当時はそう呼ばれていた。

1人分だけ空いていたシルバーシート。
車内には他にも乗客がいたが、誰もその席に座ろうとする者はいなかった。

当時の人々は、健常なのにシルバーシートに座るという行為は、とても恥ずかしい行為だと思っていたのかも知れない。

 やがて列車は、次の停車駅へと近づく。

キキーー…。

速度を徐々に落とす列車が停車した。

ガーー…ッ

ドアが左右に開く列車。
そして数名の乗客が乗って来る。

空いてる席が、シルバーシートしかないと気づいた乗客たちは、その席に座る事もなく、各々が近くの吊り皮へと手を伸ばす。
その人たちが、その様な行為をしたのには理由があった。

それは、やや遅れて乗車して来た高齢の女性に、その座席を譲る為だったのだ。



シルバーシートの側にいた彼は、(どうぞ…)という素振りで、微笑みながら誘導した。
高齢女性が笑顔で彼に会釈する。

座席前のバーに掴まりながら、ゆっくりと席に着こうとする高齢女性。
その時、反対側の隙間から割り込むかたちで、男性会社員が滑り込む様に座った。

(あ!)
彼はその光景に唖然とする。

「ふぅ~~~…」
やや肥満系な20代後半らしき年齢の、その男が言う。
そして、高齢女性と目が合う彼。

(いいの…、いいの…、ありがとうね…)
彼に、そんな様子で苦笑いの女性。
だが彼は、男のその行為にガマンできなかった。

「おいアンタ…」
ボソっと静かに言う彼。

「ん?」
座席に座る男が、彼を見上げる。

「この席は、今この女性が座ろうとしてたんだぜ…」
彼は高齢者でも、女性と呼ぶようにしている。(※なるべくだが… 笑 )

「ああ?」
男が怪訝な顔つきで彼に言う。

「俺が今、この女性(ひと)に、席を勧めてたろう!?」

「何言ってんだガキ!?、じゃあ、この席はお前のモンなのかよ!?」

「いや違う…」

「だろ!?、電車の席は皆のモノだろぉ!?、だったら先に座ったやつに権利があんだろぉが!?」

「だからって、座ろうとしてる人の目の前で、あんな座り方するっておかしいだろ!?」

「しょうがねぇだろ、俺の方が早かったんだから!」

「お前、それが男のやる事かッ!?」

「何ィィ!?」
男が立ち上がる。

睨み合う二人。
車内は一触即発のムードになった。

彼の隣の高齢女性は(もう、いいから…)と、オロオロする。

「カッコワリィな…、アンタ…」
目の座った彼が、静かな口調で目の前の男に言う。

「あ!?」

「アンタ、今サイコーにカッコワリィぜ…」

「何が!?」

「分からねぇのか…?、見てみろ…、みんなアンタの事、見てるぜ…」

彼がそう言うと、目の前の男が、慌てて周りをキョロキョロする。
その男を見ていた他の乗客たちは、男と目が合うと急いで目を反らした。

「ほら、子供にも見られてンぜ…。アンタは周りから『なんて情けないやつなんだ』と、思われてンだぜ…」
彼は、横を向いている男の耳元で、小さく呟く。

「チッ!」
男はそう舌打ちすると、その場から去ろうとした。
その時、彼が去り際の男にボソッと言う。

「ありがとう…」

「え!?」
男が振り返る!

「それでこそ男だぜ…」
最終的には席を譲った男に、彼がニヤッと微笑んで言った。

「おお~~~~~~~!」
次の瞬間、車内にいた乗客たちから、ささやかな、どよめきと拍手が舞う。

パチパチパチ…。

拍手される中、男は照れ臭そうに、頭をかきながら隣車両の方へと去って行った。

「さぁ、どうぞ…」
先程の高齢女性に、彼が振り返り笑顔で言う。

「どうもありがとうね…おにいちゃん…」
高齢女性はそう言うと、彼に会釈しながらシルバーシートに座るのであった。



 桜並木が立ち並ぶ、広い通りを歩く彼。
その正面には、彼の通う大学の門が見えた。

彼が校舎に入ると、1人の老人男性が笑顔で声を掛けて来た。
老人は、この大学剣道部の監督をしている田岡範士八段であった。
当時で齢八十を越えていたと思われる。

剣道の最高位である八段は、合格率1%を切り、神の領域と云われている。
※近代剣道では、九段、十段は廃止されている。

そういう事から、当時の田岡範士八段は、きっと全日本剣道連盟の重鎮であったのだろう。

田岡八段は、彼を校内で見かける度、いつも剣道部への勧誘をして来た。

彼は結局、大学卒業まで剣道部へ入部する事はなかったが、それでも田岡八段は彼の事をいつも気にかけてくれていた。

大学四年の時、まだ就職活動をしていなかった彼と校内で遭うと、部員でもないのに就職先の心配までしてくれていた。

「どうだお前?、皇宮警察に入れてやるぞぉ!、入らんかぁ?」

田岡八段が彼に言った皇宮警察とは、皇族や皇居の警備をする警察組織であった。
通常の警察組織は都道府県の管轄になるのだが、皇宮警察だけは唯一、国家直営の警察組織となる。

「いや…、結構っす…」

「そうかぁ…」
ちょっと残念な顔をする田岡八段。

彼は、コネとか紹介とか、そういう類のものは好きでなかった。

だから彼は、あっさりそれを断るのだけれど、今にして思えば、田岡八段は、それ程、警察組織にも顔が利くのだという事だったんだろう。

だが、この田岡八段の行動は、弟子たちである剣道部員からしたら、面白くない話だろう。

「なんで田岡先生は、あんなやつの事を気にかけてやがるんだ!?」
当時の剣道部の連中は、そう思っていたに違いない。



それは後に起こる、彼と剣道部員たちとの果し合いに発展して行く事となるのだが、その話をする前に、彼の剣道の実力がどの程度のものだったのか、話さなければならない。

 高校2年の3学期、もうすぐ春休みになる頃だった。
彼は大学受験に向けて週2回、予備校に通う事にした。

当時、剣道部の練習は夜8時頃まで行われていた為、彼は剣道部顧問の栗林に、3年生になったら、週2日剣道部の練習を休ませて欲しいと伝えた。

ところが栗林は、特例は認めないと、彼に週2日練習を休む事を認めなかった。(2ヶ月後には引退なのに…!)

栗林からしたら、勉強などしなくても剣道の推薦枠で入れるから、予備校など行くな!という事なのだ。

それは当時、彼は7校の大学剣道部から誘いが来ていたからだ。

日体大、国士館、明治大、亜細亜大、拓殖大、東海大、そして当時出来たばかりの国際武道大学から、剣道のスポーツ推薦が来ていたのだ。

だから勉強など、するな!という話である。(恐ろしい教員である 笑)

とにかくこの剣道部は、中間や期末などの試験期間中も部活を休ませなかった。
他の部活は、試験1週間前から休みになるのだが、剣道部だけは休まないで活動をしていた。

お陰で、試験勉強は毎回徹夜で、試験当日は、朝の通学電車の中で教科書広げて、懸命に暗記をした。
そうしなければ、成績上位をキープする事など、とても出来なかったからだ。

彼は、剣道推薦で大学に入るのだけはイヤだった。
だから栗林が予備校へ行くなと云われても引き下がらなかった。



そしたら、剣道部をクビになった。
そうなのだ。彼は高3になる前に、剣道部をクビになってしまったのだ。

こうして彼は、高3に上がる前の春休みから予備校へ通い出した。
それを見ていた彼の父が不憫に思ったのか?
地元にある、武道館の存在を教えてくれたのであった。

その武道館は、地元の人間であれば自由に利用できる公共施設であり、毎週3回、夜の6時から8時まで剣道で利用できる日があるという事だった。

剣友会や、どこかの剣道の道場に入っていなくても利用可能で、地元の剣道連盟に加入していなくてもOK!

彼は早速、春休みから週3回、その武道館へ行ってみる事にした。
そこの剣道場では、剣道五段から七段までの先生方が参加していた。



全員成人、おっさんだけ、未成年者(17歳)は彼だけだった。

彼が、中学生まで通っていた道場の館長が五段だったので、それ以上の有段者と竹刀を交えるのは、初めての事である。

 彼が驚いたのは、50代後半から60代半ばの五段、六段の剣道家たちの動きの素早いこと!

昔の50代や60代なんて、今より老けて見えるから、現代だと70代の爺さんに見えるのだが、技のキレ味やスピードが凄いのだ。

地稽古(試合稽古)といって、上座に高段者が立ち、試合形式で立ち会っていく稽古をやるのだが。
はっきり言って、剣道部の顧問だった栗林四段が当時28歳だったが、やつよりもこっちの先生方の方が、全然強いのだ!

こういった剣道家たちと、日々練習をするという経験が、彼にとってどれだけ大きなものだったか計り知れない。

まだ若く、伸びしろがある彼にとって、ここでの練習は、風格のある剣道の剣さばきを学ばせてもらう事となったのだった。



当初はコテンパンにやられていた彼であったが、徐々に頭角を現していく。
ひと月も経てば、そういった高段者たちから、次々と一本を決められる様に成長していった。

先生方は皆、豪快で感じの良い人たちばかりであったが、一人だけ鼻持ちならないやつが、たまに武道館へ現れた。

F田という男で、当時30代半ばくらいだったと思う。(※見た目は40代半ば)
かっぷくの良い男で、体育大出身と思わせる様な、荒っぽい剣道をしていた。

普段は、地元の小学校の体育館を借りて剣友会の責任者として、子供たちに剣道を指導していた。
やつは地主の長男で、その親父は地元の議員をしており、この市の剣道連盟も牛耳っていた。

そういったバックボーンがあるF田は、年上の高段者たちのへの礼儀も欠いており、我が物顔で無礼極まりない剣道をしていた。

例えば60代の六段を、若さと体格で上回るF田が、高段者に対して足を引っかけて倒したりするのだ。

彼は、F田に倒された事こそ無かったが、やつの剣道家としてのあり方は、どうにも気に入らなかった。
※そんなやつだが、令和6年現在、ジジイになった今でも、小学校で剣道を教えている。

 やがて5月のGWに入ると、地元で新たな大型スポーツ施設が完成した。
その完成記念として、ここで剣道大会が行われる事となった。

彼は腕試しとして、高校生だったが、一般の部に参加してみる事にした。
※この大会で、主審を務めたF田のクズっぷりが、また凄かった(笑)



 そして大会前
彼は最後の調整にと、大会前日に武道館へ稽古にやって来た。

この日、彼は身体が異常に軽く、全身が研ぎ澄まされた様な感覚であった。
こういうのが、“覚醒”したというのだろうか…!?

特に何かをした訳でもない。
週3回、この武道館で普通に稽古をしていただけだ。

しかし彼は、まるで剣道の神様が乗り移ったかの様に、驚異的な力を発揮する。
地稽古(試合稽古)では、次々と五段、六段の先生方を打ち負かすのだった。

今の自分なら、誰にも負けない気がした。
誰と勝負しても負ける気がしなかった。

そして、その日、一度も一本を取れた事のなかった七段の先生との地稽古(試合稽古)をお願いした。

この先生は、身長が彼より少し高い183cmくらいの方で、体格もがっしりとしていた。



年齢は当時、30代半ばくらいに見えた。
顔がミュージシャンの大瀧詠一にそっくりで、小さい子供がいる、良きパパの様な雰囲気のある方であった。

技は滑らかで、静かで素早い、上品な剣道だった。
物静かで礼儀正しく、笑顔の優しい剣士であった。

通常、剣道を始めた者の終着点が七段と云われている。
全剣道人口において、七段の比率は各都道府県で数人の割合だという。

それを30代の年齢で取得したのならば、とてつもない剣豪である事は確かだ。
もしあの方が剣道を続けていたら、あの年齢ならば、必ず“神の領域”と云われる八段に成っているはずだろう。

武道館に稽古をしに来ている、どの先生方も、その七段の先生には太刀打ちできなかった。
皆が、あっという間に仕留められてしまうのだ。

ところがこの日、奇跡が起きた。
彼が地稽古(試合稽古)で、その七段先生を打ち負かしてしまったのだ。



彼が先生にメンを決めた時、「あ…!」と、思わず声を漏らした七段先生の顔は今でも忘れない。
その先生は、決着がつくと彼の側に来て、「君は、現段階で五段の実力はあるよ…」と、彼に言うのだった。

 そして大会当日となった。
彼は前日同様、コンディションは絶好調だった。

(今の俺なら、誰にも負ける気がしねぇ…)
彼はそう思い、第一試合に臨んだ。

彼の一回戦の相手は、あのF田の剣友会に所属している師範代であった。
当時で30代初め位の男で、四段であった。

その試合の主審はF田が勤める。
普通、自分と同じ所属のやつが試合をする時に、審判など勤めるのか?と彼は怪訝に思う。

F田の同門者は、剣友会で指導をしているだけあって、子供たちからの応援が凄かった。
彼はまるっきりアウェイの状態で試合に臨む事となる。

そして試合が始まった。

「始めッッ!」
開始合図の瞬間、彼がバッと大きく振りかぶる!

ビクッと反応する相手。
しかし彼は打ち込まない!

タイミングを狂わされた相手
そこへすかさず彼が打つ!



「メンンッッ!」

バシッ!

フェイントのメン技が決まる!
しまった!という顔の相手。
審判の旗が上がる!

(よしッッ!)
彼が思う。



しかし主審のF田は、旗を左右にクロス。
有効打として認めない!

(何ッ!?)
彼がそう思うまま、試合はそのまま続行された。

「メ~~ンンッ!」
今度は相手が打って来た!

バシッ!

それを彼が受け止める!
鍔迫り合いになる互い。

(何だこりゃ!?)
彼が思う。

それは相手の四段が、余りにもへっぴり腰で、鋭さのない打ち込みだったからだ。
彼は相手の打ち込みを一度受けただけで、瞬時に理解した。

これは、血の流れるような稽古をして来た者の打ち込みじゃないと…。
子供の頃から、お稽古事として、ただ長く続けて来ただけの剣道だと。

剣道の段位は、実力が無くても取れてしまう事がある。
地元剣道連盟に顔の利くF田の父親も、かつては剣友会で指導をしていた。

その父親の教え子だった彼の対戦相手は、剣友会で長く剣道を続けていた事で、F田父の口利きとかで、四段を取らせてもらったんだろう。

「コテーーーッ!」
次に彼は相手から小手を決める!

副審の旗が上がる!
しかしF田は、またしても旗をクロスして有効打を取り消した。

(なるほど…、そういう事かい…?)

F田は、四段の師範代が二段の17歳に負けさせる訳にはいかなかった。
大勢の教え子たちが応援する目の前で、自分の剣友会の師範代を不様に負けさせる訳にはいかなかったのだ。

(じゃあこれは、F田が主審を務めた時点で、初めっから出来レースってワケか…?)

自分のメンツを重んじるばかり、こういう事がまかり通ってしまうのが、剣道界のイヤなところだ…。

こんな時、剣道もフェンシングみたいな判定だったら良いと思う事はない。
フェンシングなら機械判定で、こんな事は出来ないからだ。

彼は引き続き、相手の隙を突いて、バンバン打ち込んで行く。

「メーーンンッ!」

「ドォォーーッ!」

「メーーンッ!」

「コテーーッ!」



「せんせぇぇ~~~!、頑張れぇぇ~~!」
とっくに決着が着いてる試合を、何も分かってない、やつの教え子たちが懸命に応援をしている。

「コテーーッ!」
今度は、やつの技が彼の肘に当たった!



バッッ!

それを見て、必死に旗を上げる主審のF田!
しかし、副審たちが旗を左右に振り、認めない!

(当たり前だ!、肘に当たって、何で有効打なんだ!?)
(そこまでして勝たせてぇのかF田!?)

(こんな汚ぇマネまでして、よくもまぁ子供たちの前で、“清く正しい精神を養う”なんて云えるよなぁ!?)

彼は今にも竹刀を床に叩きつけて、「やってられるかぁッ!」と、怒鳴って試合を放棄したい気分であった。

そして、こともあろうに、この試合は延長戦にまで、もつれ込むのであった。

 両者互いに鍔迫り合い。

はぁはぁ…。

ふぅふぅ…。

長引く試合で、共に息が上がる2人。

(ならよ…、これでキメてやるぜ…。出来れば一回戦で使いたくなかったがな…)
彼はそう思うと、鍔迫り合いからの引きメンを仕掛ける事にした。

※解説をしよう。
引きメンとは、後ろに下がって打つメン技である。

通常の引きメンは、相手を押し飛ばしながら自分も後ろに下がり、距離が空いたところでメンを放つ。

だが普通に上から打ち下ろせば相手に避けられてしまい、逆に自分が無防備になってメンを決められてしまう。

そこで、やや斜めから竹刀を振り降ろしたり、また、一度手元に竹刀を担ぎ、フェイントを掛けてからメンを打つスタイルが一般的だ。

しかしそれは、誰もがやる打ち方なので成功率は、50%にも届かない。
そこで彼は、通常と違う方法で引きメンを放った。
それは、切り返しに似た打ち方である。



剣道の打ち込み練習で、“切り返し”というものがある。
正中線から左拳をずらさずに、竹刀を左右に振り続ける練習法だ。

彼は鍔迫り合いから、相手を押し返す事もなく、相手の竹刀をスルリと受け流しながら、手首だけをクルッと回転させ、自らが下がって引きメンを放った!

ヒュンッ!

メーーーンンッ!



バシッ!

これ以上ないほどのタイミングで、引きメンが決まった!

副審2人の旗が上がる!
打たれた相手は、決められたと思い、構えを解いたまま立ち尽くす。

その状況では主審のF田も、しかたなく旗を上げざる得なかった。

「勝負ありッ!」

わ~~~~~~~~~~~~ッ!

接戦?を制した彼の試合を、観衆の拍手と歓声が包み込んだ。

パチパチパチ……ッ

(まったく…、疲れたぜ…)
そんきょと礼を終えた彼が、そう思う。

 さて、ここで説明をしなければならない。
何故、成功率が50%にも届かない引きメンを対戦相手は、かわせなかったのか?

まず引きメンを打つ時は、相手との隙間を作らなければならない。
その為、相手を後ろに押して、自分も下がる必要がある。

しかし、その行動は相手にとっては、引きメンが来る!という合図にもなってしまう。
だから、引きメンの成功率は半分にも満たないのだ。

だが、彼は相手を後ろに押し返さずに、自分だけが下がってメンを放った!
押し返さない事で、メンが来ると言う合図を消したのだ。

そして力まずに、相手の竹刀を、なめす様に手首だけを回転させてメンを打った。
力が入ってないので、相手は打って来ると思わずに油断する。

また手首だけを回転させた事により、最短距離と最短時間で引きメンを放つ事ができたのだ。

これは、彼がもっとも得意とした技の1つである。
古流剣術“柳生新陰流”の基本動作である、“輪之太刀”の動きを応用したものだ。



“輪之太刀”とは、絶対にかわす事の出来ない技として恐れられていた事から、別名“魔の太刀”とも云われていた。

向かって来る相手の剣を受け流しながら、即座に対応して切り付ける、究極のカウンター剣法なのだ。

 こうして彼は一回戦を突破した。
彼が正座して面を外していると、笑顔のF田が近づいて来た。

「いやぁ…、いい試合だったねぇ…」

「どうも…。??」

「いや、あの、間合いが近かったから、一本にならなかったのが、多かったから、アドバイスしておこうと思ってね…」
「じゃあ、次の試合頑張って…」

F田は、そう言うと、彼の元から去って行った。

あんな笑顔で、話し掛けて来たF田を、彼は始めて見た。
いつも無口で、憮然とした表情しかしないF田。
恐らく、インチキ判定した事で、彼がどう思ってるのか様子を伺いに来たみたいだ。

(何が、間合いが近いからだ…。なら、何で俺の肘に当たった竹刀を一本にしたんだ…!)
彼はF田の事を信用ならないやつだと思うのであった。

ちなみに、彼に負けた男は令和6年現在、F田の剣友会で、まだ剣道を続けている。
そして昨年(令和5年)、六段を取得した様だ。

結局、議員との利権が絡んで来ると、F田の剣友会からお情けで、やつに六段を与えても、大した事ではないというワケだ。

当時、こんな話を訊いた事がある。
この頃の60代は、青年期が太平洋戦争中であった。



空襲で、剣道段位取得者の名簿が焼失してしまい、戦後になると自己申告制で名簿を作り直したそうだ。
その時に、本当は三段だった者が、自分は五段だと申告したり、五段だった者が自分は六段でしたと、嘘の申告をした者が大量にいたというのだ。

確かに、六段なのに、まるで中学生の初段よりも技量が劣るジイさんが、当時存在していたのを思い出す。

結局、不正を犯してでも、周りに虚勢を張りたい、ニセ高段者が多く存在し、それを容認していた剣道界なのだから、利権絡みでやつに六段を与えても問題ないのだろう。

だがさすがに、七段以上を与える事はないだろう。
戦後、嘘申告をしても、七段以上は取得者が少ないからバレてしまうし、現在だったら、最高段位が八段までと決まっているので、その次に当たる七段は、そう易々と与えないからだ。

 さて、話を戻そう。
それから彼は、他の出場選手たちの試合も観に行く事にした。
試合会場は4エリアに区分けされており、同時に4試合が行われている。

その中の1つのエリアで試合をする選手に、彼は注目した。
身長は170cm程だが、体格はがっしりとした男だった。

「始めッ!」
審判が言う。

「メーンッ!」

「一本!」

「二本目、始めッ!」

「コテーーッ!」

「一本!、勝負ありッ!」

その男は、対戦相手に何もさせず、秒で相手を葬った

「アライさん、あれは…?」
彼は、武道館で一緒に練習しているおじさんと、その試合を観ていたので訊いてみた。

「ああ…、なんかね…」
隣にいたアライさんが、彼にその剣士の説明をする。



名は、虻田。(※仮名)
○○県出身(※どこだか忘れたが、西日本方面だった)

段位は三段

年齢は、今年誕生日が来て19歳になる。
つまり、彼の1つ上だ。

就職先が東京勤務となり、今大会に出場。

高校時代は、インターハイで3位になったそうだ。(※個人戦か団体戦か不明だったが、たぶん個人戦で3位だと思う)

「ええ!?、そんなスゲェやつが、出場(で)てるんスかぁ?」
彼が驚く。

「Bブロックだから、こーくんが順調に勝ち進めば、決勝戦で対戦する事になるね…」

「はぁ…、まぁ、勝ち進めればですけど…(笑)」

彼はそう言ったが、心の中では違かった。
それは、この日の彼は全身が研ぎ澄まされた様な感覚で、絶好調であったからだ。
今の自分ならば、誰と対戦しても負けない自信があったのだ。

(面白れぇ…、今の俺が全国トップクラスと対戦して、どうなるか試せるというワケだ…)

彼はこの時、他の選手など眼中になかった。
既に虻田との決勝戦をやるつもりで、そう思うのであった。

 そして、それから間もなく、彼の二回戦が始まった。
これに勝てばベスト4に進出する。

彼は、開始早々、相手から小手を決めた。
それに焦る相手が、二本目開始と同時にメンを打って来た!

カッ!

彼が相手の竹刀を軽く払って、すり上げた!

「メンン…ッッ!」



バシッ!

メンすり上げメンが決まった!

「勝負ありッ!」

二回戦を秒殺しで終わらす彼。
虻田を完全に意識しての行動だった。

 虻田の二回戦
こちらも開始早々、虻田が小手で一本先取!

「二本目!、始めッ!」

虻田と、その対戦相手との切っ先が、交互に触れあう。

カッ…、カッ…、カッ…。

虻田が相手に対し、構え方から、わずかな隙を作ってメンを打って来いと誘う。
それに乗らされた対戦者がメンを放つ!

「メーーッ…」

バッッ!

瞬間、虻田が振りかぶりながら、バックステップ!
相手の竹刀は届かず空振り!

そして虻田は、竹刀を振り降ろしながら前へ!

バシッ!

「メーーーンンッ!」

「一本ッ!、勝負ありッ!」



虻田が早素振りの要領で、メンを決めた。
こちらも秒で相手を葬った!


 準決勝
彼の相手は、またもやF田の剣友会の師範代であった。
しかし今回の審判の中には、F田は入っていなかったので安堵する彼であった。

彼が竹刀を脇に抱え、正面の相手と向き合う。
その後ろには、次の試合を控える虻田が待機していた。

「せんせぇぇ~~!、頑張れ~~~~!」
相変わらず剣友会の子供たちが、彼の対戦者の勝利を願って応援している。

それが聞こえた対戦者は、笑顔で軽く手を挙げて応える。
自分は四段、相手は二段、負けるわけがないという余裕の行為であった。

(一回戦のやつよりはマシなんだろうけど、また、ずいぶんと、余裕かましてンじゃねぇか…)
彼がそう思うと、審判が号令を掛けた!

「始めッ!」

(いっちょ、脅かしてやるか…)
正眼(中段)に構えた彼が、相手を見つめながら思う。

目の前の相手が、一歩、ずぃっと前に入って来た。
次の瞬間、電光石火の如く、彼の竹刀が一直線に飛び出した!

シュッ!

「突きィィーーーーーッ!」



ドスッッ!

竹刀が折れるかと思う程の、凄まじい突きが決まった!

「ぐぇッ!」
喰らった相手が、仰向けにひっくり返る!

「一本ッ!」
審判3人の旗が上がる。

「うう…ッ」
顎を押さえながら相手が起き上がる。
やつの表情からは笑顔が消え、逆にやり返してやるという怒りの形相に変わった。

(ふん…、いいぜ…、来いよ…)
正眼構えで相手を待つ彼が、そう思う。

「二本目ッ!、始めッ!」

「メェェェーーーーンンッ!」
開始早々、頭に血が上った相手が、凄い勢いで飛び込んで来た!

スッと、身体を右斜めに傾ける彼!
竹刀も横に傾ける!



バシィィーーーンン…ッ!

「胴ーーーーーーーッ!」

彼の抜き胴が鮮やかに決まる!

「一本ッ!、勝負ありッ!」

彼の決勝進出が決まった。
最後の礼を済ませた彼が、踵を返すと、すぐ後ろに立つ虻田がニヤリと彼を見つめる。

グッ…。

虻田は握る拳を、彼の腹へ胴の上から押し当てて言う。

「次…、俺もすぐ行くから、待っててくれ…」
虻田はそう言うと、拳を彼の腹から解いた。

これは虻田も、彼との決勝戦を望んでいるという事だ。
虻田も彼と勝負がしてみたいのだ。

つまり、あの虻田が彼をライバルとして認めた証なのだった。

「始めッ!」

虻田の試合が始まった。
その対戦相手は上段構えの選手だった。



既に面を外している彼が、興味深くその試合を眺める。

(上段か…、さて虻田よ、どう出る?、俺みてぇに突き技で仕留めるか…?)

彼がそう思っていると、虻田が凄まじい掛け声と共に、竹刀を相手の胴へ振り降ろした!

バシィィーーンンッ!



「胴ォォーーーーッ!」

虻田の逆胴が決まった!

通常の胴は、向かった相手の左側を打つが、逆胴は反対の右側を打つ。
打ち下ろした後、隙が出てしまう為、よっぽど腕に自信がないと出来ない、高度な技である。

(あいつ、スゲェな…)

虻田の胴技を、まざまざと見せつけられた彼は、神妙な顔つきでそう思うのであった。

 この試合は、その後メンを決めた虻田が勝利した。

虻田は、ここまで一度も相手から一本を取られる事なく、無傷で決勝に進出。
しかも全て、秒殺しで対戦相手を葬るのであった。

そして決勝
大勢の観客が注目する中、若手2人の決勝戦が開始された。

「始めッッ!」
審判の合図と共に、互いが相手をけん制する叫び声を上げる。

2人の竹刀の先が、連続で触れる。
そして両者とも、目の前の対戦者を見つめながら、左右に動く事はなかった。



※解説をしよう。
あらゆる武道・格闘技において、格下が格上に挑む時、必ず格下の方が格上相手を中心にして、円を描くように動き出す。
それは誰に格付けされたものでなく、本能でそういう動きをしてしまうのだ。

しかしこの試合は、互いが相手の周りを回る事なく、正面を向き合ったまま竹刀を構えていた。
つまりこの時点では、両者の実力は五分五分だと、互いに感じていたのであろう。

 決勝は、観客までもが息を呑む、実に静かな試合展開となった。
お互い打突する事無く、相手の出方を伺う。
両者の切っ先だけが、カチカチと触れていた。

やがて1分が過ぎようとしていた。
そこでまず、彼が最初に仕掛けた!

正眼(中段)に構える虻田。
彼は前にスッと入ると、手首を相手竹刀の下から、くるッとくぐるッ!
そのまま竹刀を伸ばし、虻田の小手を狙った!

「小手ッ…」

カンッ!

虻田の竹刀が、彼の竹刀を軽く外側に弾くと、そのままメンを打って来た!

「メーーーンンッ!」

バシッ!

虻田の小手すり上げメン!

審判の旗が左右に交差!
有効打とならず。



彼がとっさに首を右に傾けた事で、虻田の竹刀は面の斜め横に当たったのだ。

(あぶね~…、ヤロウ…、見切ってやがるな…)
間一髪で、攻撃を凌いだ彼が思う。

おお~~~~!

そして会場がどよめく。
それは今大会、虻田の対戦試合が、初めて1分以上経過したからだった。

(くそぅ…、隙がなくて打ち込めん…。だが、それはやつも同じはずだ…)
正眼構えの彼が、距離を十分に取りながら正面の虻田にそう思う。

(やつは誘って来てる…。それは、アイツのキメ技は、いつも返し技だからな…)
(だがよ…、これならどうだ?、この技を喰らって、返し技を出す事が出来るかな…?)

彼は、そう思うとニヤリと笑う。

そして次の瞬間であった!
虻田の竹刀が届かない間合いから、彼が片手突きを放った!

ビュッ!

電光石火の突き!
彼の竹刀が伸びた!

スッ!

「何だとッ!?」

彼が驚く!
それは虻田が彼の突きを、紙一重でかわしたからだ!

彼の片手突きが、虻田の面横をかすめる!
そして虻田の竹刀が前に伸びる!

「メンッ!」



バシィィンン…ッ!

「メンありッ!、一本ッ!」

審判の旗が上がった!
彼が虻田に一本を喰らう。

わ~~~~~~~~~~ッ!

会場から大歓声が湧く。

(なんてやつだ…。俺の、あの突きを紙一重でかわしやがった…)
(しかも、その隙間をぬってメンを喰らわせるとは…)

虻田の余りにも鮮やかな技に、彼が驚愕する。

(バケモンめぇぇ…、これが全国トップクラスの実力かぁ…)
開始位置に戻りながら、彼が虻田を見つめながら思う。

「二本目ッ!、始めッ!」

(分ったぜ…、アイツには…、自分が今まで喰らった経験のある技では、到底通用しねぇって事がな…)
(ならば、あいつが喰らった事のない技を、俺が使うしかねぇってか…)

彼はそう思うと、恐らく虻田が今まで経験した事のないであろう技を仕掛けてみる事にした。

 互いに正眼構えの2人。
竹刀の切っ先が触れあう。

カチカチカチ…。

凛とした構えの虻田が、彼に「打って来い!」と、再び誘いをかける…。

(俺は、この技で必ず一本を決めて来た…。虻田…、いくぜ…)

彼はそう思うと、スッと前に入る!
待ち構える虻田が、グッと身構える!

その瞬間、彼の竹刀が虻田の竹刀に絡みついた!

クルッと、虻田の竹刀が一回転!

「あ!」(虻田)

カランッ!

竹刀を絡め取られ、落とす虻田!

バシッ!

「メンン…ッ!」
無防備になった虻田へ、彼のメンが決まった!

「一本ッ!」

わぁぁぁ~~~~~ッ!

観衆が湧く!

(よしッ!)
見事、巻き落としメンを成功させた彼が、心の中でガッツポーズする!



※巻き落としメンとは、夢想神伝流開祖、中山博道の高弟だった橋本統陽に居合を学んだ剣道家、岡田守弘が、神道夢想流杖術の杖の基本技の一つである「巻き落とし」を応用した技である。

「止めッ!、竹刀落とし反則、一回!」
審判は試合を中断させると、虻田にそう言った。

おおおお~~~~~!

それを聞いた観衆が、どよめく!
それは、今大会で一度も相手から一本を喰らわなかった虻田が、初めて一本を奪われて、かつ、反則一回という大ピンチに陥ったからである。

※反則は2回受けると、合わせて一本と計算される。即ちそれは、虻田の負けにつながるからだ。

「勝負ッ!」

審判が合図。
決着する三本目が始まった!

「せりゃぁぁあああーーーッ!」
開始早々、追い込まれた虻田が猛然と打ち込んで来た!

「メーンン…ッ!」
ガシッ!と、それを受け止める彼!

「ドォォーーーッ!」

虻田が引き胴!
彼が素早く肘で胴をブロック!
すぐさま、下がる虻田にメンを打つ彼!



ガシッ!

それを竹刀で受け止める虻田!

(ふぅ…、すげぇ打ち込みだ…。どうやら作戦変更、打ち崩して来る戦法に変えたか…?)
正眼に構え直した彼が思う。



カンカン…。

互いの竹刀が触れる。
次の瞬間、彼が大きく振りかぶる!

バッ!

ビクッと反応する虻田!
しかし彼は打たない!

彼はフェイントを仕掛けたのだ!
そしてコンマ0.5秒後に打つ!
一回戦で彼が、開始早々に使った技だ。

メンッ!

バシッ!

虻田の面に当たった!

しかし審判は旗を左右にクロス!
どうやら近すぎた様だ。



※剣道における有効打は、切っ先から中結までの間で当てないと、一本として認められない。

(チッ…、ちょっと深かったか…)
開始位置に戻る彼が思う。

「始めッ!」

「コテメンンン…ッ!」
そして、虻田が、小手から打ち崩してのメン打ち!

彼は竹刀を傾け小手を防ぎ、ガラ空きになった自身の面は、顔を傾けて、やつのメン打ちを凌ぐ!

(ふぅ~…、まったく、恐ろしいほどの鋭い打ち込みだぜ…、このままじゃ、やつにキメられるのも時間の問題だ…)
(こうなったら最終兵器で、先にキメてやる…!)

彼はそう思うと、飛び込み胴を使う決心をする。
この、飛び込み胴とは、彼オリジナルの特殊な胴技で、おそらく彼以外、誰もやった事のない技である。



通常の胴技は、メンがガラ空きの状態で胴を狙い、当たれば右側へ抜ける。

しかし彼の考えた飛び込み胴とは、メンを打つと見せかけて、相手防御の構えが上がった時、そのまま弧を描くように縦から振り降ろし、胴を打って左側へ抜けて行く技である。
メンの打ち方で、胴を狙って竹刀を振り降ろす為、自身の面もガラ空きにならないのである。



だが、この左側へ走り抜ける行為が、前例を見ないという点で、有効打として取らない審判もいる。

なので、この技を使うときは、試合の後半、終了間近にやるのが良い。
それは、終了間近だと、延長にならない様に、審判の判定が多少緩くなるのだ。

いずれにしても、この技を使う事は、彼にとって賭けとなる。

(いくぜ虻田…、これで終わりだ…)
彼が、正面に立つ虻田を見つめながら思う。

ダッ!

彼が前に踏み込んだ!
竹刀が前に伸びる!

ビュンッ!

彼の竹刀が縦に弧を描く!

しかし、それと同時に、虻田が竹刀を振り被りながらバックステップ!
そのまま早素振りの要領で、前に出て竹刀を振り降ろす!

バシ…!

先に彼の竹刀が、虻田の胴にギリギリ当たる!

(まずい!…ッ、浅い…ッ!)
彼がそう思った時、虻田の竹刀が面に当たった!



バシィィーーーーンン!

「メェェーーーーンンッ!」

バッ!

審判3人の旗が、文句なしに上がった!

「メンあり、一本ッ!、勝負ありッ!」

わぁああああああ~~~~~~ッ!

劇的な決着に観衆が、どよめいた!

「やられた…」
がっくりとうな垂れる彼が、小さく呟いた。

※解説をしよう
これは、彼からメンが来ると思った虻田が、自身の二回戦で魅せた技だ。

早素振り練習の要領で、一歩下がって振りかぶり、相手のメン打ちを空振りさせたと同時に、竹刀を振り降ろしながら前に出てメンを打つ技である。

虻田はメンが来ると思い、この返し技を偶然使ったのだが、結果的には彼の狙った胴は、虻田が一歩下がった事により、当りが浅くなってしまい、虻田のメンが有効打となったのである。

パチパチパチ……ッ

観衆の拍手に包まれる2人。

(すげぇな…、全国にはこんなやつがいるんだ…。それでも虻田は全国優勝出来ないで、3位だったんだ…)
(全国は広い…、今日の俺でも歯が立てねぇとは…、上には上がいる…、とても敵わねぇや…)
彼はそう思うと苦笑いをした。

 その後、6月に三段の昇段審査を彼は合格した。
そして大学受験を失敗し、浪人生になってからも、彼は週3日の剣道は続けていた。
大学に合格し、入学する様になって、彼は剣道を引退したのである。

では、話を元に戻そう。
場面は1986年4月、大学構内。
彼は、1限目の授業を受ける為、講義室へと入る。

「ん?」
授業が始まる前の講義室に入った彼が言う。

その目の前には、5、6人の人だかりが出来ていた。
何だろう…?と、彼が近寄ってみる。

人だかりの中心には、ストラトギターを弾いている男子学生がいた。
アンプを通さなず生音で、その男子学生はエレキの速弾きをしていた。



(へぇ…、上手いもんだな…)

彼がそう思ったのは、その学生が、ジェイク・E・リーが弾く、Bark at the Moonのギターソロを完コピしたいたからだ。


Bark at the Moon

そういえば、周りに集っていた連中も、どことなくバンドマン風のファッションをしているので、興味があったんだろう。

「と、まぁ…、こんなもんよ♪」
ギターを弾き終えた学生が、周りの連中に言う。

「ギター上手いんだな…。君、軽音サークルなのかい?」
彼がギターの学生に話し掛ける。

「いや…、まだ入ってないんだ?、君は何かやってるの?」

「俺は、ベースを少々…」←始めたばっかで、ほとんど弾けない(笑)

「そうなんだぁ?、俺今度、吉祥寺でライブやるんだ。ラウドのコピー」

「ほぉ…」

「良かったら観に来てよ」

「いつだい?」

「来週の日曜日」

「悪い…、その日はバイトが入ってる」

「そっか…、ならさ、今度ウチにおいでよ!」
「ベース持って来て、俺のギターとセッションしようよ♪」

「君んちで…?」

「うん、俺んち、地下に録音スタジオあるんだ。親父が建築士で、造ってもらったんだ♪」

「そりゃあ、すげぇなぁ!」

「だからさ、ウチに来なよ!」

「いや…、でも俺、全然ヘタクソだから…」

「ベースは何使ってるの?」

「TUNEだけど…」

「すげぇじゃん!、俺のギターより高いじゃん!」

「でも、全然、弾けないから…(苦笑)」

「謙遜しなくて、いいよ!、弾けないやつが、TUNEなんて持たないよ!」
ギターの学生にそう言われた時に、彼はベースを買いに行った時の事を思い出す。

(そうか…、だからリキは、始めは高いベースじゃなくて、ヤマハのMotion-Bあたりにしとけと言ってたのか…?)

(でも俺は、ベースを挫折しない様に、敢えて高いやつを買って、自分を追い込んだんだよな…)

「俺、カズっていうんだ!、君は…?」
ギター学生がそう言ったので、彼も自分の名を言った。

「じゃあさ、こーくん、俺のライブが終わったら翌週にでも、おいでよ!」
カズが彼に笑顔で言う。

「うん…、分ったよ」
彼がそう言うと、ジャージ姿の学生が数人、講義室へ入って来た。

「ああ!、いた、いたぁ!」
ジャージ学生たちは、彼を見つけるとそう言って、近づいて来た。



「なぁ君、田岡先生が呼んでるぜ…」

「田岡先生が?」
彼がそう不思議がる。

「ちょっと来てくれよ」

「何だ?、君らは剣道部か?」

「ああ、そうだよ」

「俺は、これから授業なんだよ」

「いいから、いいから、代返頼んどけばいいじゃん♪」
「大事な話があるみたいだよ、君に…(笑)」

「大事な話…?」
訝しむ彼。

「そうそう!、大事なハナシ…(笑)」

「分かった…、行こう…」
彼は、そう言うと剣道部員と一緒に講義室を出て行った。
ギターを持っているカズは、その様子を黙って見ていたが、何かおかしいと感じた。

「ナカジー、ちょっとこれ持ってて!」
カズはそう言うと、取り巻きの1人にストラトを預けた。

「え?」
ナカジーと呼ばれた学生が言うと、カズはその場から外れる。

「お~い!、カズー!、どこ行くんだよぉ~!、授業はじまっぞぉ~~!」
ナカジーが、カズの背中にそう言うが、カズはそのまま講義室を後にした。

To Be Continued…



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