夏のBGM 80年代歌謡曲篇 | Tanaka-KOZOのブログ

Tanaka-KOZOのブログ

★ついにデビュー13周年!★2013年5月3日2ndアルバムリリース!★有線リクエストもOn Air中!

 今回は「夏のBGM」と題して、80年代の歌謡曲から、思い出の曲をピックアップしてみよう。

 

80年代といえば、僕にとって人生の岐路を迎える学生時代。

高校時代の部活動、受験、浪人、大学生時代…と、人生の中でもっとも1日が長く感じた凝縮された青春時代。

 

「J-POP」などといった気取った言い方じゃなく、ニューミュージックやアイドル歌謡曲も、クロスオーバーしてた時代である。

 

そんな時代だからこそ、思い出に残った曲もいっぱいある。

今回はその中の、ほんの一部だがリストアップして紹介していく。

 

 

 

「高気圧ガール」山下達郎

 

83年、全日空沖縄イメージソングとしてCMでオンエア。

アルバム「メロディーズ」からのシングルカットされた曲だ。

 

前半はアカペラから始まり、途中聴こえるブレイク時のため息は、後の伴侶となる「竹内まりや」の声。

 

カラッとした乾いた夏のイメージを見ごとに表している曲だと思う。

僕の中で、かなり好きな達郎の曲の中の1つである。

 

 

 

 


 

「マイアミ午前5時」松田聖子

 

83年、アルバム「ユートピア」からの1曲。

作詞は元「はっぴえんど」のドラマー、松本 隆。 作曲は来生たかお。

この時代、作詞家として松本がもっとも輝いていた時代でもあった。

 

80年代はアイドル全盛時だ。

その中でも松田聖子は、この80年代、押しも押されぬトップアイドルとして君臨していたスーパースターだ。

 

この時代のアイドル達は、ティンパンアレイの流れを組む、ニューミュージック&ロック系のアーティスト達から作詞や楽曲の提供をもっとも多くもらっていた時代であって、聖子もユーミンや大瀧詠一、細野晴臣ら、大物アーティストの楽曲をいっぱい受けることとなる。

歌謡曲がニューミュージックと、もっとも近付いていた時代であった。

 

聖子はその後、「フィンガー5」や「ピンクレディー」が果たせなかった海外進出(成功)を試みて、ハワイに留学し、英会話を取得。

 

当時最大手のCBSソニーの資金力でマイケル、マドンナ、シンディ・ローパーの楽曲を手掛けた海外のソングライター(確か?)を従えたアルバムを制作したが、神田正樹との電撃婚を境に休業活動となり、このプロジェクトも尻切れトンボと終わる。

 

これらの楽曲は,その後「ダンシング・シューズ」名義で、英歌詞ミニアルバムとして、アメリカ、日本でリリースされた。

 

 

 

 

「夕涼み」松任谷由美

 

82年、アルバム「パールピアス」からの1曲。

FMでガンガン流れていた、ユーミンのアルバム「サーフ&スノー」。

 

あの軽快なノリを期待して購入したユーミンのアルバムは、想像と違ったしっとりした作品であった。

まだ学生だった自分はこのアルバムが当時は好きになれず、購入して「失敗したなぁ…」なんて思ったりしたけど、今では価値観も変わり、一番好きなアルバムになった。

 

その中で更に一番好きなのがこの「夕涼み」だ。

 

ユーミンはじわじわくるね。

この頃の、ユーミンは初めてLIVEビデオとかも出して、現在の不動の位置を築き上げるきっかけとなった作品と言えるのではないかな?

 

この後のアルバム「NO SIDE」以降、「荒井由美」から「松任谷由美」名義になってからの、彼女の長いブレイクの時代が続く事となるのだ。