愛助さんが死んじゃった | 生殖医療専門医・内視鏡手術技術認定医 田中雄大のブログ

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神奈川県藤沢市の不妊治療・産婦人科「メディカルパーク湘南」の院長、田中雄大のブログです。
体外受精や内視鏡手術のことから雑感まで、日々の記録を綴っております。

NHKの朝ドラ。

愛助さんが死んじゃった・・・。

見てない人には何のことやら分からないでしょうが、このドラマは史実を忠実に再現しているようです。笠置シヅ子の恋人の吉本興業の御曹司が23歳の若さで結核で死んでしまいます。

 

結核という病気を、いつまで経っても正確に捉える事が出来ません。

昭和30年代くらいまでは、致死的な感染症だったが、それが、「ストレプトマイシン」という特効薬が出来て、人類は結核を克服した、という事くらいは分かるのですが、その当時の世相の中で、結核がどのように扱われていたのか、分かってるようで分かりません。例えば、トトロの中に出てくるお母さんの病気。あれは、結核を想定しているのものだと思います。それ以外考えられない。あの頃、結核の患者さんは、郊外の病院に隔離されて、集団生活していたと言います。そうした隔離病院は、「サナトリウム」と呼ばれていたそうです。私がこのサナトリウムという言葉を初めて知ったのは、小学生の時に、父親が聴いていたさだまさしの唄でした。

YouTubeで聴けたので、是非。


昔、大学病院に勤務している時、世田谷区に住んでいましたが、その当時から、世田谷の環八近辺に妙に古い病院が妙に沢山ある事を不思議に思っていました。色々と調べて行くうちに、多分、こうした病院の多くが、設立当初は結核療養所を想定して建てられたのだろう、と考えるようになりました。当時の世田谷は、都心からは離れ過ぎていて、田舎も田舎。田園風景が広がっていたと言います。そうした場所だから、結核療養所を作り易かったのだと思います。その代表に日産玉川病院という病院があります。環八と国道246号の交差点付近にある病院で、住宅密集地の中に突然森が出現して、その奥に病院があります。とても不思議な風景です。ここは、今でも肺結核治療で名前を馳せている病院となっています。そのうちに療養所の周辺がどんどん開発されていって、今では高級住宅街になっていって、結核も少なくなって、病院そのものも、結核療養所から時代のニーズにあった形態に変わっていった、ということなのでしょう。

 

結核をコロナと比べると、どうなんだろう?コロナより、圧倒的に恐ろしい病気であったことは間違いないだろうけど、それにしても、今のように、「濃厚接触者」みたいな感じで周囲と接触まで絶っていたという話は聞きません。また、結核療養所で職員が集団感染して大変なことになった、という事も聞いた事がありません。もしかしたら、私が知らないだけかも知れませんが。そもそも、この連ドラの中で、趣里ちゃんと愛助さん、平気で抱き合ったりしているし。

 

昭和天皇の弟の秩父宮も結核で死にました。正岡子規も、高杉晋作も、沖田総司も結核で死にました。

 

つい最近まで、癌以上に致死的だった結核を恐れなくなった現代社会が、今、結核以上に恐れているのが、コロナウイルス、っていうのも、なんだか、滑稽な感じがしてしまいます。