演劇人生を全うしている高校の先輩 | 探検塾

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好奇心のつづく限り、体力のつづく限り、

僕の高校時代、才能豊かに校内の演劇部や同人誌で活躍していた1年先輩がいた。
僕も演劇部に入っていて、同人誌でも作品を発表してみたかったが何も書けなかったので、彼は憧れの先輩だった。
そして還暦を数年過ぎた今でも、演劇の脚本を書き演出をする現役の演劇人として活躍している。
メジャーな存在ではないようだが、演劇好きの人たちから強く支持されてきたから、今日まで活動が続いてきたのだろう。

その彼の芝居が、新宿三丁目の一角でおこなわれるのを知り、行ってみた。
僕の職場から目と鼻の先にあり、ランチや仕事あとの一杯でよく知っている界隈なので、行くのが遅すぎた感があった。

そこは地下にあり、パイプ椅子が50個おけるかどうかという狭い空間だった。
僕は心の中でつぶやいた。『これでは高校、大学の演劇部の発表の場と変わらないのではないか』と。
若い人たちの劇と違うのは、観客が20代から70代と幅広かったこと。
当夜、この狭い空間はほぼ満席になっていた。
僕はこうして60分、3,000円の町角の芝居を観ることになった。

「路上6―そして私たちは生きている」の内容はわかりやすく、そのメッセージは題名に凝縮されていた。
45年前、当時の演劇好き高校生の間では安部公房、別役実などによる不条理演劇が流行っていたが、そんな小難しく見せる演出は全くなかった。

ところで木戸銭3,000円とは、新宿三丁目のグランドゼロのような存在の新宿末廣亭と同じだ。
僕は末廣亭にはよく通うのだけれども、あそこは2階席閉めればおよそ三百席。
そこに、神田伯山などの当代の人気者が出演しなければ、いつも四、五十人の観客が程よくばらけて座っている。

文化はしぶとく続けることが大事なのだろうか。
この安い木戸銭と客数では、劇場の出演者と裏方はどう考えても霞しか食べられないではないか。
どうやら僕は才能がなくて幸せだったようだ。

最近はテレビだけでなくインターネット上で無料のコンテンツが増えているが、才能のない僕としては、文化・芸術のレベルで素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる人たちのところに足を運び、彼らへのあこがれと感動の気持ちとともに木戸銭を払っていこう。

 

「路上6―そして私たちは生きている」出演者 (ステージナタリーより)