修復進む熊本城 | 探検塾

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好奇心のつづく限り、体力のつづく限り、

我が家の夏休みの報告は、鹿児島県から熊本県へ。
もう10月に入り相当にブログの報告が遅れてますが、お付き合いください。

熊本市の中心は熊本城。
6年前の熊本地震で大きなダメージを受けてからどれくらい修復できたのか知りたくて、お城に登ってみました。

 
加藤神社からの熊本城の大小天守

 
修復中の石垣

 
再建している本丸御殿の一部


熊本城は、いろいろなところがまだ修復中ながら、案内ルートに沿って平山城らしい広い城郭をめぐり、エレベーターも完備している大天守に登ることに。
大天守の中の構造は6階になっていて、下の階は広いので展示が充実している。
そこでお城にまつわるいろいろなことを学びましたね。

城づくりの名人加藤清正公が造った天守が焼失したのが、西南の役前夜でお城が強風にさらされていた時。
そして今の天守を復興建設したのが1960年。
つまり熊本市民は83年間の長きにわたり天守のないお城と暮らしていた。
これが僕にとって今回の最大の学びでした。

僕は仕事で千葉市役所に出入りしていた時期があり、千葉城(亥鼻城)については古株の市民のように知っています。
この城は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の一人である千葉常胤の父常重が築城したけれども、戦国時代に入るときにはすでに廃城になっていて、どのような城だったかはよくわからない。
1967年に当時の千葉市長が、町のシンボルとして全国各地によくある形の天守閣を模擬的につくり、市立郷土博物館としました。

 
千葉城(Wikipediaより)

熊本城や千葉城にみられるように、この1960年代は町のシンボルとすべく城を再建することがブームだったのでしょうか。
歴史資産の掘り起こしというか。

千葉市民がこのようにできた千葉城をどれだけわが町の誇りだと思っているか疑問だけれども、熊本市民の熊本城への思いは別格のようです。

僕は熊本城の魅力は、この大きくて美しい大小の天守だと思っていたのだけれども、実際に登ってみて天守からの眺めもとてもすばらしい。
城郭公園は97ヘクタールと広く美しい。
平山城ながら城壁が高くその上に天守が聳えている。
一方で、市街地のビルは10階程度の高さなので、いまだに天守からの眺めはきっと熊本一。
 

 

大天守最上階の甍

 

大天守最上階からの眺望