オペラ座の天井
当ブログでは、モンゴルと日本の歴史について、先日紹介したノモンハン事件の他にもう一つ触れておきます。
戦後シベリアに抑留された日本人捕虜が数十万人いて、戦争で疲弊した旧ソ連のために使役されたのは有名な話ですが、現在のモンゴルの首都ウランバートルにもその一部の人たちが連れてこられました。
その数は1万3847名で、2年間の抑留と強制労働中に1,684名が落命。
彼らが造ったのは、今は国会議事堂の前面を飾っている部分と、2つの劇場で1つはオペラ用、もう一つは劇用。
国会議事堂
オペラ座
今月は新型ウィルスのために、2つの劇場の催し物はすべて中止となってしまいました。
だけど僕はその前に1度だけオペラ座の中を見ることができました。
オペラハウスとしては小ぶりで、天井や壁の装飾も豪華とは言えないけれども、オペラハウスの雰囲気はしっかりと醸し出している。
素人のやっつけ仕事にはまったく思えない。
その夜の出し物は、とても有名なオペラでプッチーニの「ラ・ボエーム」。
オーケストラの指揮者以外は、みんなモンゴルの人たちだったけれども、歌手とオーケストラの皆さんは人前で演奏するだけの技量があるので、しっかりと楽しめました。
この辺が旧ソ連圏で、東南アジアの国々とは大きな差だなと感じました。
ところで抑留された日本人が命を削って造ったこのオペラ座は、今年取り壊されます。
規模がやや小さくて、たぶん8百席くらいで、耐震構造にも問題があるから、70年ぶりに建て替えるということ。
当時、慣れない仕事を夏と冬の寒暖差が60度あるところで無理矢理させられたにしては、よく長いあいだ耐えて使われた建物です。
当時は現在のウズベキスタンでも使役にかり出された日本人捕虜たちが、立派な劇場を造ったとか。
どんな理由であれ一旦仕事に取り組むと、きびしい環境にもめげずに徹底してやってしまうところが、日本人らしいというでしょうか。