危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが 鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の 力を見いだせますように。
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
ラ ビンドラナート・タゴール「果物採集」より
石川拓治訳
Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not beg for the stilling of my pain
but for the heart to conquer it.
Let me not look for allies in life's battlefield
but to my own strength.
Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom.
Grant me that I may not be a coward,
feeling your mercy in my success alone;
but let me find the grasp of your hand in my failure.
Fruit-gathering LXXIX (Rabindranath Tagore)
「奇跡のリンゴ」に紹介されてた言葉。
そばに置いておきたい言葉。
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが 鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の 力を見いだせますように。
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
ラ ビンドラナート・タゴール「果物採集」より
石川拓治訳
Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not beg for the stilling of my pain
but for the heart to conquer it.
Let me not look for allies in life's battlefield
but to my own strength.
Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom.
Grant me that I may not be a coward,
feeling your mercy in my success alone;
but let me find the grasp of your hand in my failure.
Fruit-gathering LXXIX (Rabindranath Tagore)
「奇跡のリンゴ」に紹介されてた言葉。
そばに置いておきたい言葉。
今日おばあちゃんが亡くなった。
午前8時21分。老衰。
そろそろ覚悟してください、って何日も前に言われてたから
それなりに準備はしてたつもり。
なのに、最期をみとることができなかった。
最後に会ったのは6日前。
おばあちゃん、眠ってた。
食事もとらず、ただひたすら眠るだけ。
どれだけ声をかけたって、揺らしたって、顔さすってみたって起きなかった。
前は、これだけしたら目を開けてくれたのに。
起きる体力はもうなくて、眠りながらでも生きる生命力だけがわずかに残ってるみたい。
きちんと呼吸はしてる。安らかに。おだやかに。
たまにいびきになり、たまに痰を絡ませて、少し寝苦しそうにする。
あの時の私は、ただおばあちゃんに目を開けてほしくて必死だった。
一目わたしを見てほしくて。わたしの呼びかけに応えてほしくて。
そんな体力がないことは、様子見てればわかったはずなのにね。
おばあちゃんのこと、全然見れてなかったのかもしれないな。
一時間くらいそうしてた気がする。
半分くらいはもう、やけだったかも。
結局、眠り続けるおばあちゃんを前に、わたしは何もできず、一人で話しかけてた。
また来るね、って言って部屋を後にした。
本人を前にしても、というより、本人を前にしてなおさら、
逝く日は、まだまだ先のことなんじゃないかって思った。
全然実感、湧いてこなかったんだ。
そんな調子で、今日が来てしまって。
「8時21分、亡くなりました」
母から届いたメール。おばあちゃんの元へ向かう途中だった。
今、やっと、少しずつ実感してきてる。たぶん。
おばあちゃんから昔もらった手紙を読み返してたら、
涙とまらなくなっちゃって。
くるしいな。くるしいよ。
でも、わたしなんか非じゃないくらい悲しんでるのは、母だ。
悲しみを比べるつもりはないけれど、
いつもどおりにしてたって、きっと今必死で耐えてる。
母の悲しみは、わたしは消してあげられない。
本人にも、きっと消せないと思う。これから抱えていかなきゃだめなんだと思う。
わたしは、悲しみがこれ以上大きくならないように、
その重さに耐えかねてどこかで躓いてしまわないように、
わずかな、些細な手伝いをするしかない。よね。
よくないのは、一緒になって悲しむこと。
大丈夫、わたしは元気だ。
そして、もう一つ、誰かを恨んでしまうこと。
それだけは、やめようね、母。いや、大丈夫だね、母。
おばあちゃんは、幸せだったかな。
どうか、安らかに。
今日、夢で会いたい。
聞きたいことが、たくさんあるよ。
午前8時21分。老衰。
そろそろ覚悟してください、って何日も前に言われてたから
それなりに準備はしてたつもり。
なのに、最期をみとることができなかった。
最後に会ったのは6日前。
おばあちゃん、眠ってた。
食事もとらず、ただひたすら眠るだけ。
どれだけ声をかけたって、揺らしたって、顔さすってみたって起きなかった。
前は、これだけしたら目を開けてくれたのに。
起きる体力はもうなくて、眠りながらでも生きる生命力だけがわずかに残ってるみたい。
きちんと呼吸はしてる。安らかに。おだやかに。
たまにいびきになり、たまに痰を絡ませて、少し寝苦しそうにする。
あの時の私は、ただおばあちゃんに目を開けてほしくて必死だった。
一目わたしを見てほしくて。わたしの呼びかけに応えてほしくて。
そんな体力がないことは、様子見てればわかったはずなのにね。
おばあちゃんのこと、全然見れてなかったのかもしれないな。
一時間くらいそうしてた気がする。
半分くらいはもう、やけだったかも。
結局、眠り続けるおばあちゃんを前に、わたしは何もできず、一人で話しかけてた。
また来るね、って言って部屋を後にした。
本人を前にしても、というより、本人を前にしてなおさら、
逝く日は、まだまだ先のことなんじゃないかって思った。
全然実感、湧いてこなかったんだ。
そんな調子で、今日が来てしまって。
「8時21分、亡くなりました」
母から届いたメール。おばあちゃんの元へ向かう途中だった。
今、やっと、少しずつ実感してきてる。たぶん。
おばあちゃんから昔もらった手紙を読み返してたら、
涙とまらなくなっちゃって。
くるしいな。くるしいよ。
でも、わたしなんか非じゃないくらい悲しんでるのは、母だ。
悲しみを比べるつもりはないけれど、
いつもどおりにしてたって、きっと今必死で耐えてる。
母の悲しみは、わたしは消してあげられない。
本人にも、きっと消せないと思う。これから抱えていかなきゃだめなんだと思う。
わたしは、悲しみがこれ以上大きくならないように、
その重さに耐えかねてどこかで躓いてしまわないように、
わずかな、些細な手伝いをするしかない。よね。
よくないのは、一緒になって悲しむこと。
大丈夫、わたしは元気だ。
そして、もう一つ、誰かを恨んでしまうこと。
それだけは、やめようね、母。いや、大丈夫だね、母。
おばあちゃんは、幸せだったかな。
どうか、安らかに。
今日、夢で会いたい。
聞きたいことが、たくさんあるよ。
『ベルリン、天使の詩』(原題:Der Himmel Über Berlin)/West Germany&France/1987
早稲田松竹にて、ヴィム・ヴェンダース監督特集
「パリ、テキサス」と「ベルリン、天使の詩」が公開。
その初日、わたしは1本目の「パリ、テキサス」に合わせて劇場に向かったんだけど、
5分遅刻しちゃった。すでに上映されてて会場は真っ暗、さらに満員で、仕方なく立ち見することに。
「パリ、テキサス」は、正直に言うと、まだ理解しきれてない。
なぜ、男はまた一人で行ってしまったの?女と子供は、この先やっていける?
残された叔父夫婦の心情は?…など。
最近、自分以外の「他者」の気持ちを理解する能力が自分に欠如しているんじゃないか、と思う。
どうしても自分本位を捨てきれてない。
映画にしても、「共感」できるもののみ受け入れているし、そういう系統のものばかりを選んで観てしまうから、自分と異なる価値観を、否定しなくとも受け入れることができてない。
特にわたしは、男性の気持ちをどうしても理解できないような。
頭で解ってはいても、それと付き合っていくことができないんだよ。
結局のところ、経験が足りていない。
知識を得てしてもそれを応用する経験がなければ、知識なんて全くの無駄ものにしかならない。
何度となく言い聞かせてきた言葉。まだ行動できていなんだ。
それはさておき。
『ベルリン、天使の詩』
すっばらしい作品だった。随所に、キラキラした言葉たちが散りばめられてるの。
苦難と葛藤を伴い、人間として生きることはとても絶望的なのかもしれない。
それでも人は、愛を知ることができる。ぬくもりを感じることができる。
その感情は、なにものにも変え難いほど、とてつもなく大きな喜び。
天使は、人間の苦悩を味わないかわりに、偉大なる喜びを知らない。
ただひたすら、傍観することしかできない。
ああ、これはわたしだ、と少し思った。
外に出て行くべきだ。
もっと、もっと。
わたしの知らない色鮮やかな世界が、感情が、広がっているはずだ。
この映画は、「天使」という存在によって、人間の豊かさが深く表現されてる。
人間を客観的に捉えることで、再評価している。
誰もがきっと、心のどこかではわかっている。人間の素晴らしさを。
わかっている、というよりは、願っているのだ。
なにせ「自分」が人間なのだから、そうあってほしいと願うのは当然だし、
多くの宗教がそれを証明しているでしょ。
ヴェンダースは、人々の願いを、後押ししてくれた。
そうだ、と。間違ってない、と。生きるとは、それだけで素晴らしいんだよ、と。
きれいごとかな。きれいごとでもいい。
絶望があってこその希望だもん。
絶望ばかりを表現する人は、たぶん本当の絶望をわかってないんじゃないかって、
思ったりもするんだよ。
早稲田松竹にて、ヴィム・ヴェンダース監督特集
「パリ、テキサス」と「ベルリン、天使の詩」が公開。
その初日、わたしは1本目の「パリ、テキサス」に合わせて劇場に向かったんだけど、
5分遅刻しちゃった。すでに上映されてて会場は真っ暗、さらに満員で、仕方なく立ち見することに。
「パリ、テキサス」は、正直に言うと、まだ理解しきれてない。
なぜ、男はまた一人で行ってしまったの?女と子供は、この先やっていける?
残された叔父夫婦の心情は?…など。
最近、自分以外の「他者」の気持ちを理解する能力が自分に欠如しているんじゃないか、と思う。
どうしても自分本位を捨てきれてない。
映画にしても、「共感」できるもののみ受け入れているし、そういう系統のものばかりを選んで観てしまうから、自分と異なる価値観を、否定しなくとも受け入れることができてない。
特にわたしは、男性の気持ちをどうしても理解できないような。
頭で解ってはいても、それと付き合っていくことができないんだよ。
結局のところ、経験が足りていない。
知識を得てしてもそれを応用する経験がなければ、知識なんて全くの無駄ものにしかならない。
何度となく言い聞かせてきた言葉。まだ行動できていなんだ。
それはさておき。
『ベルリン、天使の詩』
すっばらしい作品だった。随所に、キラキラした言葉たちが散りばめられてるの。
苦難と葛藤を伴い、人間として生きることはとても絶望的なのかもしれない。
それでも人は、愛を知ることができる。ぬくもりを感じることができる。
その感情は、なにものにも変え難いほど、とてつもなく大きな喜び。
天使は、人間の苦悩を味わないかわりに、偉大なる喜びを知らない。
ただひたすら、傍観することしかできない。
ああ、これはわたしだ、と少し思った。
外に出て行くべきだ。
もっと、もっと。
わたしの知らない色鮮やかな世界が、感情が、広がっているはずだ。
この映画は、「天使」という存在によって、人間の豊かさが深く表現されてる。
人間を客観的に捉えることで、再評価している。
誰もがきっと、心のどこかではわかっている。人間の素晴らしさを。
わかっている、というよりは、願っているのだ。
なにせ「自分」が人間なのだから、そうあってほしいと願うのは当然だし、
多くの宗教がそれを証明しているでしょ。
ヴェンダースは、人々の願いを、後押ししてくれた。
そうだ、と。間違ってない、と。生きるとは、それだけで素晴らしいんだよ、と。
きれいごとかな。きれいごとでもいい。
絶望があってこその希望だもん。
絶望ばかりを表現する人は、たぶん本当の絶望をわかってないんじゃないかって、
思ったりもするんだよ。
ツイッターもFBも、じつは不純な動機でやってるってこと、
気付いてはいたけど、気付かない振りしてた。
でも、もうやめた。
みとめます。単純に、好奇心だけで、情報交換のためで、始めたんじゃない。
そこが唯一、あの人と繋がっていられる場所だから。
何も関わることはないよ、きっと向こうはわたしのことなんて、気にもとめてない。
でも、それでいい。それがいい。
ただその存在を感じていたいんです。
もう、こんなこと言えるの、ここだけ。
誰にも言えないけど、言いたいんです。
どうしようもな、わたし…。
気付いてはいたけど、気付かない振りしてた。
でも、もうやめた。
みとめます。単純に、好奇心だけで、情報交換のためで、始めたんじゃない。
そこが唯一、あの人と繋がっていられる場所だから。
何も関わることはないよ、きっと向こうはわたしのことなんて、気にもとめてない。
でも、それでいい。それがいい。
ただその存在を感じていたいんです。
もう、こんなこと言えるの、ここだけ。
誰にも言えないけど、言いたいんです。
どうしようもな、わたし…。
どんな絶望や失意のなかにも、必ず希望がある、とわたしは思う。
それを見つけること、感じられること、表現することが、創造だろう、とも。
そもそも生きること自体、悲しみとか憎しみを抱えながらの大仕事。
だからこそ人は幸せになりたいって願うんでしょう。
笑ってる瞬間を愛しく思ったり、安らげる場所を探したり。
誰かを幸せにできる、なんてわたしには言えない。
でも好きな人たちが笑っていてくれたら、安らいでいてくれたら…っていつも思うよ。
そのために、じゃあわたしに何ができるんだろうって考える。
けど結局いつも、自分のことしか見えてなくて。
それこそ、自分勝手でひとりよがり。
だからと言ってなにもしないのは、特に口先だけなのは、もっとタチ悪いよ。
まずは、自分の弱さとか傲慢さにきちんと向き合うこと。
自覚して逃げずにいること。
そこから見えてくるものはたくさんある。
何が善で悪か、正で誤か、なんてことは見方や価値観によってばらばら。
ただ「本当」だと言えるのは、続けることができた後だと思うんだよ。
それに必要なのは努力と好奇心。理想を描き続けられる新鮮な感情じゃまいか。
なんて、自分のことは棚上げでえらそうなことばかり。
せんせいと話してると、いつもはっとさせられるんだ。
それを見つけること、感じられること、表現することが、創造だろう、とも。
そもそも生きること自体、悲しみとか憎しみを抱えながらの大仕事。
だからこそ人は幸せになりたいって願うんでしょう。
笑ってる瞬間を愛しく思ったり、安らげる場所を探したり。
誰かを幸せにできる、なんてわたしには言えない。
でも好きな人たちが笑っていてくれたら、安らいでいてくれたら…っていつも思うよ。
そのために、じゃあわたしに何ができるんだろうって考える。
けど結局いつも、自分のことしか見えてなくて。
それこそ、自分勝手でひとりよがり。
だからと言ってなにもしないのは、特に口先だけなのは、もっとタチ悪いよ。
まずは、自分の弱さとか傲慢さにきちんと向き合うこと。
自覚して逃げずにいること。
そこから見えてくるものはたくさんある。
何が善で悪か、正で誤か、なんてことは見方や価値観によってばらばら。
ただ「本当」だと言えるのは、続けることができた後だと思うんだよ。
それに必要なのは努力と好奇心。理想を描き続けられる新鮮な感情じゃまいか。
なんて、自分のことは棚上げでえらそうなことばかり。
せんせいと話してると、いつもはっとさせられるんだ。
やっぱり、だれがなんて言ったって、すきなものはすきなんだなあ。
だって、わかるんだよ。
一生懸命さとか、やさしさとか、すごく伝わってくるんだよ。
これは一生かわらないのかもしれない。
これ以上近くならない限り。
このことは、ずっと心のすみっこに置いておくのかな、わたし。
そっとしまって、別の誰か、だいじにしたいと思える誰かをだいじにしていくんだろう。
なんとなく、なんとなくだけどね、そんな気がするよ。
これで、いいんだね。
だって、わかるんだよ。
一生懸命さとか、やさしさとか、すごく伝わってくるんだよ。
これは一生かわらないのかもしれない。
これ以上近くならない限り。
このことは、ずっと心のすみっこに置いておくのかな、わたし。
そっとしまって、別の誰か、だいじにしたいと思える誰かをだいじにしていくんだろう。
なんとなく、なんとなくだけどね、そんな気がするよ。
これで、いいんだね。
過去に生きる多くの人は
現実を信じない人
通り過ぎなければ目覚めない人
間違うことを恐れない事
間違いを忘れない事
今を見つめる事の方がもっと大事
明日の夢と錆びれた記憶
確かな物などない
だけどあなたに降り注ぐ雨は
現実という涙
bonnie pink「過去と現実」
ぐさり。
「通り過ぎなければ目覚めない人」
まさに。
現実を信じない人
通り過ぎなければ目覚めない人
間違うことを恐れない事
間違いを忘れない事
今を見つめる事の方がもっと大事
明日の夢と錆びれた記憶
確かな物などない
だけどあなたに降り注ぐ雨は
現実という涙
bonnie pink「過去と現実」
ぐさり。
「通り過ぎなければ目覚めない人」
まさに。