今日、わたしはしあわせだった。

ああ、生きてるなって思えた。


こんなに、自分が自然でいられることが、うれしくて。
何も飾らずに、何もおそれることなく、自分を言葉にする。

あっという間の、3時間。

私を、大切に受けとめてくれる人。
この人がいなかったら、きっとわたし、
ひきこもってただろうな。
がんばれなかっただろうな。

もう、感謝のことばしか出てこない。


人を信じることはむずかしくて、
いつも疑ってばかりだけど、
この人のことは、信じられる。
自信を持って言える。

人付き合いの苦手な私に与えてくれた、
一生の宝物、だなと思う。


これでまた明日からがんばれるよ。





それとは別に、今日、捨てたものがある。
これからのことを考えて、捨てる選択をしたもの。
正直言って、すっと、肩の荷が下りたような気がしてる。

そのかわりに訪れたのは、寂しさ。

何かをとちゅうでやめるというのは、
やっぱりよくないね。

できることなら、やりきりたかったよ。

でも、やめるという話が持ち上がった以上は、
続けると言う選択肢を与えられたとしても、
もうここにはいられないと思った。

人の気持ちは、そんなにドライじゃない。
ここですっきりと身を引くことがきっと最善策。

こわがらない。
泣かない。
何かを失うのは、寂しいけれど、間違いじゃない。
大丈夫、ちゃんと前に進んでる。

そう言い聞かせる。

まけるな。
強くあれ。
優しくあれ。


今日の幸せな時間を、忘れないで。




昨日聴いてた、安藤裕子の「はじまりの唄」




これ、ノーカットだよね。
編集なしだよね。

後半、少しずつ彼女に寄っていく映像。
バックの街の喧噪はぼやけて、ピントは彼女の表情だけを捉えてる。

最後、涙を流しながら、少しはにかんで笑った、その表情に、
ぐっときてしまって。

きれいだなあ、と。



願いは あなたに 明日を 愛を
3連休、おわり。

自分の考えていること、言葉にしなきゃ、って
この先のために、記録しなきゃって思いながら
なかなか手が動かずにいた。

義務にしてるわけじゃない。
自らすすんでやっていること。

でも、自分と向き合うことが、うまくできなくて。こわくて。

なんでだろう。

なんでだろう、って。
なんとなく、答えは見えてる。


今起こっていることと、自分の本心が、少しずれているような気がするの。

だけど、現状を変えられるほどの行動力もなくて、
それよりも本心を押さえることの方がずっと楽で。

逃げてる。


押さえられるくらいの本心なんだ、って思ってみたり。

「なにかが違う」
その程度の違和感だけで、本当は何もかも、よくわからない。


これでいいんだ、って思う自分と、
これじゃだめなんじゃないの、って思う自分。


どんなことでも、「間違い」なんてないと思ってた。
どれも自分が選んだことならば、「正解」だろうと。
少なくとも、その場では間違いでも、いずれ「正解」だと思える日がくるんだろうなって。

でも、本当はそうじゃないのかもしれないね。

「正解」なんて本当はどこにもなくって、
きっと何を選んでも、そのどれもが、たったひとつの「正解」にはなり得ない。
だけど、選びようによっては、「不正解だ」とはっきり言えることがあるんじゃないかって。


もう少し、時間をかけて、考えよう。
まだ、時間はあるから。

考えて、行動して。見極めて。





ところで、今聴いてる安藤裕子のPVがかわいくって。

いいな。
いいな。

すてきだな。

あれ。
スキンをカスタマイズしたいのに、できなくなっちゃった。
お気に入りだったのにな、あの写真。

まいっか。


今日、ともだちと久しぶりにのんびりとごはん。
本当に、のんびり。

人に会うのって、大事だな、と。
自分を表現できる時間。
人の考えを吸収できる時間。

笑いあえる時間。

楽しかったな。


なんだか、気分がいいよ。


やるべきこと、考えるべきことは沢山あるけれど、
今日は、もう、寝よう。


素敵な、楽しい、夢を見よう。

おやすみなさい。


久しぶりの雨。

朝、曇りのうちに出かけて、
もう昼頃には降ってた雨。

どしゃ降りで、とても自転車に乗れる状態じゃなくて。
バスでゆらゆら帰ってきました。


ああ。

今日は、反省することばかり。
ちがうか、今日もまた、反省、だ。

私はいつも、おんなじ所でつまずいてしまうんだ。


考えていることと、口から出る言葉が、うまく結びつけられないの。

たぶんきっと、言葉を使って考えることができていなくて、
思考を、感覚的にしか捉えられていないから。

何かを「考える」ということはきっと誰もが行っている、ものすごく人間的な行為。
その考えを他人に「説明する」ということは、言葉によって考え直すことでもある。

そうやって深めていく作業は、きっととても大事。


もっと、頭よくなりたいー

考えたいことしか、考えていない。
考えなきゃいけないことから、逃げてばかりなの。

これ、直らないのかな。直したいな。
でも、結局これで四半世紀生きちゃったんだもん、
相当の覚悟でもって、相当の努力をしなきゃだめなんだろう。

それが、わたしに、できるか?


結局今だって、考えてるのは好きなもののことばかり。
ふう。

働くために、生きるのか。
生きるために、働くのか。

選びたい答えは、もう出てるの。

だけど、私が今それを選ぶことによって、悲しむ人がきっといる。
その人は、世界一悲しませたくない人だから。
その人のために、今必死で、選択肢を厳選してる。


それでいいのか?っていう人もいるかもしれない。
でもわたしは、それでいいんだって思ってる。

そうしなきゃ、後悔すると思うから。





ああ。

もっと肩の力を抜いて、おだやかに生きたい。

これが、本音だったりして。



蝉の声。雨の匂い。扇風機の回る音。


なんだか、さみしいな。


図書館からの、帰り道。
数時間前まで漂っていた暑さの名残を
肌にかすかに感じながら
いつかの、ある出来事のことを、思い返してた。

大きな一歩、小さな一歩、ときどき立ち止まって、また歩き出して。
不規則な歩幅は、私の気持ちそのまんま。

駅までは徒歩20分。
学生街らしく、古本屋、居酒屋、映画館、カフェ、たくさんのお店が並んで
看板の派手な色、行き交うバスの音、若者たちの声。
いつもなら、騒がしくも静かに、何かを訴えかけてくるのに
今日はなんだか、すべてがぼんやりとしか感じられなくて

まるで、存在しないヘッドフォンで耳を塞いで、
目を開けたまま目を閉じているような、そんな感覚。



思い返していたのは、もう何年も前の出来事。
でも、あの時の痛みは、今でもはっきり思い出せるんだ。

これがきっかけで、できなくなったことがある。
何とも思ってなかったことが、本当はこわいことなんだと思うようになった。

知らなければ、わたしはもう少し強くいられたのかな。
「知らぬが仏」なんて、うまいこと言ったもんだよね。



でも、「この出来事がなければ…」なんてことは、思えない。



わたしにとってはぜんぶ、「出会えて、よかった。」なんだよ。

ぜんぶ、ぜんぶ、そうなんだよ。
どんなものも、ことも、人も、場所も、時間も。



偶然だとか運命だとか、本当はそんなのどっちだって良かったりするんだよ。
そういうのは後から人が好きなように決めるものでしょ。

忘れてしまわないように、自分の記憶に刻み込むために、
だれもが自分の記憶の編集作業をする。

編集作業だからね、やっぱりちょっとは美化しちゃったりして。
いやだったことも、試練だったんだー、なんて、きれいにして、乗り越えたことに誇りをもって。
それはきっと間違いじゃない。だけど、苦しかったことに背を向けたりはしちゃいけない。

「人は思い出があるから生きられる」のなら、
思い返した時に、がんばろうと思えるような記憶を持ち続けたい。

編集作業は、自分にとって都合のいいようにしてしまいがち。
それも、無意識のうちに。
かといって、意識的にできるものかっていうと、それもまた難しい。

すべてを前向きに捉えることも大切だけど、
辛いこととか弱いことを見落とすと、強くなれない。優しくなれないから。



とことん向き合うこと。
ぜんぶ、出会うべくして出会ったんだ、と。


わたしはそうやって編集してる。



そして、これから出会うものに、わくわくしてるよ。



大好きな小林賢太郎。の言葉。
彼が、20年前の彼自身に、宛てた言葉。
なんだか、大事にとっておきたくて、何かの時にすぐに振り返れるようにしたくて、
ここに転載させてもらいました。
公式HPに載ってたから、いいよね。



10.5.1 [SAT]

 お久しぶりです。
 きっと今日も君は性懲りもなく
 「美術」と「手品」と「人を笑かす」ということについて、
 24時間考えていたのでしょう。
 その3つは今はバラバラかもしれませんが、
 「『美しい』と『不思議』と『面白い』は、重ねる事ができる」
 ということを、
 いずれ知ることになります。
 君はそのまんま美術大学に進学し、
 アルバイトでマジシャンをやりながらコントの道を歩みます。
 そしてそのまんま
 「小林賢太郎」という職業になるのです。
 君のその信じて疑わない道は、
 まっすぐ20年先まで繋がっていますよ。

 しかし、
 その道を信じる上で、
 高校生の君にとってとても大事なことがあります。
 それは、
「今興味をもっていることは将来の自分のためになる」ということを、
 まわりの大人にキチンと説明する。
 ということです。
 興味のあることはとことんやるけど、
 興味のないことは一切やらない。
 そんな君は大人から見て実に心配です。
(20年経ってもその性格は変わってませんが。)
 自信過剰は大いに結構。
 才能を磨く上で自信と不安は両方必要ですから。
 ただし、
 その自信に責任をもつこと。
 「才能」は、
 「周りに心配や迷惑をかける権利」とは違うのです。

 僕はエンターテインメントの力を信じています。
 それを追求する価値を信じています。
 それが正しいことで、
 自分のやるべきことだと信じています。
 君がこれから大人になって、
 がっかりしたり、悔しかったり、傷ついたり、
 そういうことが山ほどやってきます。
 それは、信じているものがあるから起こることです。
 そして、信じているものがあるから乗り越えられます。

 大丈夫、君の夢は叶います。
 でも叶って分かります、
 それはとても地味で、現実的なものなのだと。
 それを理解するということが、夢を叶えるということ、
 って言ってもいいかもしれません。

 そして2010年の今、
 僕はさらに先の夢を追いかけています。
 それがどんな夢かは、
 まだ君には教えてあげないよ。
 じゃ、また、20年後に。

 小林賢太郎より





この人の言葉は、どうしてこんなにまっすぐ届くんだろう。

感じ方は人それぞれ。
でも私には、重くて強くて、少し痛くて、それでいて優しい、そんな風に感じる。

これが、わたしの理想とするような、
伝えようとする心で、丁寧に、美しく、いつわりなく、大切に、
「自分の考えを自分の言葉に置き換える」ことなんじゃないかって思えてしまうほど。

別に、分析みたいなことをするつもりはないんだけど、
この人は、自分で自分を上手に使うことができる人なのかなと、思う。
わかんないよ、実際に会ったことなんてないんだから。ぜんぶ私の一方的な解釈だよ。

でも、表に出てくる面だけを見てみれば、
この人の自己プロデュース力は群を抜いている、といっても過言じゃないはず。


あとはね、なによりも、「続ける」ことをしている。
「やめる」「諦める」そんな言葉を、この人は持とうとしない。

「続ける」ことは、想像以上に地味で、困難なことだけど、
確固として信じるられるもの、何十年何百年経っても揺るがないものがあれば、できる。
そういうことなんだと、思う。

でもね、信じられるものを見つけるなんて、なかなか難しいもの。
いや、実際は、いろんなところに転がっているんだろうけど、
それと「本当の意味で出会う」ことは、たぶん誰にでもできることじゃない。

うん、そうだね。きっと彼は、「出会って」しまったんだ。
それもうんと早くに。
そして、出会って以来ずーっと、背を向けることも、されることもなく、
今も、向き合い続けていて。
良い意味で、麻痺するみたいに、それが彼の生き方になったんだ。

何も間違ってない。むしろきっとこうなることは必然だった。
でも、それによってどれほどのものを犠牲にしてきただろう。
犠牲にすることすら、「意図的」の範囲に入れて、自分を統制して。

人一倍の努力、なんてもんじゃないんだろうな。
想像もできないや。



…なーんて。何様なんだ、わたし。笑

でも、本当にね、わたし、
この人と同じ時代に生きていることを、嬉しく思えるんだよ。
わたしの勝手な想いだよ。
何か特別人生が変わった訳じゃない。
けど、楽しい時間が増えたことは確かなんだよ。



そこにあるのは、「愛」だ。

この人が紡ぎ出す言葉を、物語を、想いを、
もっと、もっと、知りたい。





そんなことを、彼らの作品を見ながら、考えていました。





さてさて。
おひさしぶりです。

やっとひとつ、試験が終わりました。
手応えは面白いくらいなくって、落ち込むどころかあっけらかんとしてます。
きっとこれが今の自分の実力。

でも今回は、実力不足と言うよりも、準備不足をつくづく感じてる。
とくに直前の一週間は時間をうまく作れなくて、焦りと不安から何に手をつけていいのかわからなかった。

準備の仕方も実力のうち。
柔軟な計画たてること、優先順位をきちんと見極めること、情報を集めること。




自分が思っているより、「時間」はあるんだな、と最近思っています。
あれもしなきゃ、これもしなきゃって焦れば焦るほど、集中力がなくなって、
結局なにもできなかったってこと、たくさんあったな。

そもそも、自分にできることなんて限られてるんです。
あれもしよう、これもしよう、って意気込んでみるけど、
実際に手が着くのなんてひとつあればいい方で。
だったら、そのひとつに全力を注いだ方がうまくいくことは多い。


「やりたいこととできることは違う」

就活してて、ぶつかった疑問のひとつ。
どちらを選ぶかは人それぞれです。どちらも選べる人は幸せ。
でも、いつかこのふたつは重なっていくはずだと、思ってるんだけどね。

それから、茂木さんが言ってた。
「根拠のない自信を持て。それを裏付ける努力をせよ」



自分の人生を自分で選んでいく感覚を、まさに今、味わってるところ。
社会に出る準備かな、これが。

すべて自分で選んだこと。
誰になんていわれても、誰にも責任転嫁できない。

このプレッシャーが今、なんだか心地良いのです。

こうやって自分を確立していきたいと、素直に思うのです。
まだまだ始まったばかり。
がんばるがんばる。無理せずがんばる。

試験の結果がダメで落ち込んでも、まだ道はあるからね、わたし。
って自分を励ましながら。



そしていつか、自分に自信をもって、あの人と素直に向き合えたら。
こっそり、祈る。