旧白洲邸 武相荘(東京都・町田市)に行った | よらば大樹のブログ

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ときどき さまざま ひとびと

国葬(9月だった)をめぐるニュース番組や新聞記事で、“比較”のためにしばしば名が挙げられたのが吉田茂元首相(1878-1967)
占領下、吉田の側近として活躍したのが白洲次郎
(1902-1985)だ。憲法改正やらサンフランシスコ講和会議やらを描くTVドラマ等では、GHQと堂々と渡り合う怪人物として登場する。

貿易商の二男として生まれ、豪勢なイギリス留学生活を送り、華麗な人脈を築いた。
吉田に請われ終戦連絡中央事務局の参与に就く。貿易庁長官、通商産業省の設立、只見川流域の電源開発……。少々の評伝を読んでも、その偉才が窺われる。

文庫本「占領を背負った男」

戦時下、妻の正子
(1910-1998)と、鶴川村(現、町田市能ヶ谷 のうがやにある茅葺きの農家に移り住んだ。
武相荘と名付けた。「ぶあいそう」と読む。
終戦まで実業界を離れ、農作業に勤しんだ
夫妻が没したのち、記念館・資料館として一般公開されている
(町田市指定史跡)

武相荘 母屋

小田急線鶴川駅から徒歩約15分の所にある。車の場合は、敷地南端の駐車場から竹林を少し歩く。
敷地面積は約二千坪。住宅街の中にあって、この一画は立派な緑地だ。

武相荘 駐車場入口

師走の平日だったが、それなりの“白洲ブーム”があったようで、見学者が絶えなかった。
併設のレストランでランチをするのがオシャレなようだ。

母屋や納屋が公開され、書斎や居間には、調度品や陶磁器などが所狭しと展示されている。
複製だが、講和会議で吉田が読んだ受諾演説の原稿が目を引いた。当初は英語だったものを白洲が一喝し、急遽日本語に書き直した。随行員が手分けして和紙に墨書し、繋ぎ合わせて大きな巻物とした。

彼に関する一次資料は少なく、今もって謎も多い人物。
白洲正子にも上品な文章の著作がある。

文庫本「鶴川日記」


 

旧白洲邸 武相荘

東京都町田市能ヶ谷7丁目3番2号
公式HP https://buaiso.com/



現地 案内看板
カフェ内 車と囲炉裏  農機具

散策道1  茅葺き屋根

散策道2

 

 

【追記】

受諾演説原稿

 画像(外務省外交史料館)

 動画(NHKアーカイブス)