明け方の夢のメッセージの正体 | 禅空「空、見ちょる」

禅空「空、見ちょる」

いよいよ始まる新しい黄金時代のごきげん五次元ライフ

こんにちは、

よみがえりアクティベーターのシゲ☆です。

 

 

※前回のブログの続きです。

 

まだ読んでない方は

先にこちらから↓

不思議!明け方の夢に導かれて、とある神社へ…

 

 

さてさて、不思議な夢に導かれて

 

山口県山陽小野田市の

熊野神社に参拝し

いよいよ氣になる奥の院へ・・・

 

 

夢の内容だと

 

セドナに行く前の10/5

出張の途中でふと思いついて

有志の仲間たちと一緒に登った

①神戸六甲山の六甲比命大善神社、

 

そして10/29から登った

②セドナのボルテックス群、

 

セドナから帰ってきて

いま僕が住んでいる山口県で

③お礼参りに登った◯◯神社…

 

 

ああ、この3ヶ所は

みんなつながってたんだね…

 

 

そういえば、

なんか雰囲気、似てるもんね…

 

 

あ〜、そっか、納得、納得…

 

 

①六甲比命大善神社は

六甲山にある

荘厳な磐座をご神体とする神社、

 

②セドナのボルテックスも

ネイティブアメリカンが崇拝していた

やっぱり荘厳な磐座の御神体の山。

 

で、夢で見た③のお礼参りする神社も

同じような雰囲気だと思った・・・

 

 

 

え?

 

ということは

 

 

③の神社も、やっぱり山なのか?

 

それとも大きな磐座があるのか?

 

 

いやいや、熊野神社には

そんな磐座があるという

情報はなかったはずだし、

 

神社の案内にも出てなかった。

 

 

 

でも、とりあえず

神社の裏の山の方へ向かってみよう!

 

 

なんか、山の入口の滝のことや

寂れた庵のことを思い浮かべたときに

鳥肌が立ったし・・・

 

その直感に従ってみよう!

 

 

 

そんなことを思いながら

 

山の方へ足を向けて

三人で登って行きました。

 

 

 

 

そしたら、途中で

<磨崖仏へ>という道しるべを発見!

 

 

おーー、きっとこっちだ!

 

 

途中でいくつか

分岐点があったんだけど

 

まずは磨崖仏へ向けて登ることに。

 

 

「おーー、こっちだ!こっちだ!

もうちょっとかな?」

「こんな山奥、一人じゃ怖くてこれないわ!」

 

「だれもいる気配ないしね〜」

 

みんなで笑いながら歩く・・・

 

 

するとこんな大きな岩が

現れてくるではないか〜ビックリマーク

おー、こりゃ六甲比命大善神社と

おんなじ感じがするね〜。

 

 

まさか夢で見た

「つながっているエネルギー」って

こういうことだったの?

 

 

それにしても、

こんな磐座が山口県にもあるとはね〜

 

 

ちょっと意外でした。

 

 

 

 

さて、そろそろ磨崖仏か・・・?

 

 

というところで道を曲がったら

 

 

突然、登山道の階段に

杖を手にして座ってる

おじいちゃんに出くわして

 

びっくり仰天〜!

 

 

 

 

「おーー、あんたらどっから来なさった?」

 

 

「はい、宇部です。」

 

 

 

「そーかね、ここは初めてか?

なんで、こんな山奥へ来たんかね?」

 

 

「・・・・」

 

 

「ここは地元の人も寄りつかんでな、

登ってくる人は滅多におらんよ。」

 

 

「え、そうなんですか・・・^^;」

 

 

「んー、ここはのう、

<たたりの観音>とみないうて

祟りがあるから近寄ったらいかん!

っていわれちょる。」

 

 

「えーーっ!(汗)」

 

 

「この先に磨崖仏があるんじゃが、

ある時、その仏さまの写真を撮ろう、

もっと全体を撮りたい!

そう思って後ろに下がったら

そこは断崖でのう、

わしゃ、5メートルくらい下に

転落してしまったんじゃ。」

 

 

「えーーー?」

 

 

「どんなふうに落ちたかは全然

覚えちょらんが、奇跡的に無傷で

怪我なく下に降りることができた。

 

落ちた所は岩場だったけど

なぜかわしが落ちたところだけ

砂場で大丈夫だったんじゃ。

 

みんなは<祟りの観音>の仕業じゃ、

というて騒いどったが、

わしは命を助けてもろうた!

ありがたい神様と思うちょる。」

 

だから、ちょくちょく来てるんだが

三人の参拝者なんて今日は珍しいねぇ。」

 

 

「そんなことがあったんですか。

ご無事でよかったですね。」

 

 

「うーん、そうじゃね、ありがたい。

この上の大岩に彫られている大きな仏様、

実はなぁ、昔、ある有名な博士によって

日本最古の観音磨崖仏と認定されたんじゃが

地元の人は皆そんなわけない、こりゃ

昭和に作られた偽物じゃ〜!って大反対。

それで色々あって、今は放置されちょる。」

 

 

「えー、そんな話があったんですね。」

 

 

「悲しいの〜、ひょっとしたらこれ

郷土の誇り、宝物かもしれんのにのぅ。

自分たちの持ってるいいものをみな

否定してしまう、宝の持ち腐れじゃ

 

 

「まずは、いい仏様だからよく見ておくれ。

あ、<たたりの観音>じゃないから大丈夫(笑)

その段を上ったところの左奥にあるから。

また、いつか会えたらえーがの〜。」

 

 

そういって、おじいさんは

杖を突きながら下山していく。

今までもこういう場所で

同じような、聖地お導きサポートが…

 

産土神社探しの同行セッションの時とか、

宇佐神宮に初めて参拝したときも…

 

 

この前のセドナでも不思議な事あったし

 

篤姫もちょっと前に宗像神社の奥の院で

同じようなお導きがあったみたい・・・

 

 

では、さっそくその<たたりの観音>

磨崖仏を見に行くぜーー!!

 

じゃ~ん!

 

こんな感じだったよ〜!

写真では小さくみえるけど

高さは3m超え

 

横から見るとこんな感じ

となりの建物の軒先とくらべると

その高さがわかるはず。

 

これ、もし本物だったら

奈良時代に創られたのものだとか・・・

 

石仏と隣の建物の間に

投げ捨てられてた古い看板を発見。

 

どうやら一時期は

有名な観音像磨崖仏ということで

注目されていた時もあったらしく。

あとからじっくり調べてみたら

 

古くからあった磨崖仏を

昭和6年に偶然に発見した自称禅僧が

 

自分が三年かけて彫ったと吹聴したことで

本物?偽物?という話になってしまい

 

紆余曲折を経て、

そのまま放置されてしまった…。

 

その経緯についてのサイト発見)

 

 

 

うーーむ。

 

 

この磨崖仏を見ながらふと思ったこと。

 

 

 

この世に存在する全ての存在には

みな本来備わってる役割がある。

 

 

ぼくは、全てのみんなが持ってる

たったひとつの素晴らしい

その人にしかできない役割を、

 

その宝物をみんなが再び掘り出して

それをお互いに自由に表現しあい

それをお互いに認め合い

 

分かち合って、助け合う世の中を

創るお手伝いがしたい。

 

 

 

アメリカを回ったときに

ネイティブアメリカンの聖地を

めぐっててそう思った。

 

 

本来の居留地を奪われ、迫害され

殺されていったインディアンたち。

 

 

人間だけでなく

動物も植物も・・・

 

有形無形の文化財も・・・

 

その存在をないがしろにされて

多様性を認められずに迫害され

放置され、消えていったものたち。

 

 

本来の状態を失ったものは

行き場のない焦燥感に

押しつぶされ希望をなくしてしまう。

 

 

本来の役割でない使われ方をした

道具はすぐに壊れてしまう。

 

今問題になっている空き家も

本来の機能が果たされてない状態で

放置されたままになっていると

すぐにダメになってしまう。

 

 

 

ぼくの天命は

よみがえりアクティベーター。

 

 

この世に存在する

すべての有形無形のものが有する

本来の役割が十二分に活かされるよう

 

それが、すがすがしく

楽しく自由に表現できて

お互いに認め合える社会になるように

 

僕はそのよみがえり活性化の

お手伝いをしたい。

 

 

本来の居場所を見つけられた人は

みんな素敵な笑顔になる。

 

ぼくはその笑顔をみると

とってもワクワクする。

 

その瞬間がたまらない!

 

 

それは動物も植物も同じ。

モノも同じだよね。

 

 

僕が人生かけてやりたいこと、

ワクワクすることは

 

よみがえりアクティベートキラキラ

 

 

この観音立像磨崖仏様がそのことを

また教えてくれたね、

 

 

お導きありがとうございます。

 

 

 

そんなことを思ってたら

 

上の方で声が聞こえた。

 

 

 

「しげさーーん、こっちに登ってきて!」

 

 

おーー。

 

いつのまにか二人は更に上の方へ

登ってるじゃないか。

 

 

しかも結構急な坂道。

 

備え付けのロープを使って

なんとか登り切る。

 

 

 

すると

 

 

上にはこんな磐座があちこちに・・・

 

これは六甲比命大善神社と

全く同じ感じの感じの真っ二つの磐座だ!

こんな感じでおおきな岩がゴロゴロ。

 

おーーーっ!

 

どりゃーーー!力自慢!

(六甲でもおなじみの篤姫お得意のポーズ。)

 

りー子も負けずにチャレンジ!

 

 

この岩、博打岩というらしい。

こうやってみると、かなりでかいぞ。

 

 

なんだか転がりだしそうな岩だなあ、

 

転げ落ちるか否か・・・

それは博打なようなもの。。??

 

だから博打岩なのか?

 

 

 

ここの木たちはスゴイね。

石のスキ間から伸びている。

 

すごい生命力。

あ、スキマスイッチ!

そういえば

六甲、岡本のカタカムナの聖地、

「保久良神社」の境内の裏山にも

同じような磐座があったっけ。

 

 

 

こりゃ、六甲と山口は

夢のお告げの通り

 

やっぱり、つながってるかもしれん。

 

 

 

そういえば

小野田の海側には

 

セドナとおんなじ

古〜い、古〜い地層の隆起が生み出した

 

赤い地層のくぐり岩もあったなあ。

 

※くぐり岩を紹介したブログ記事はこちら

image

 

ということで、

先日の朝の夢は正夢だった。

 

 

なんと山口県山陽みそ小野田市の

熊野神社の裏の山には

 

六甲と同じ磐座が鎮座してた事が判明。

 

それはセドナともつながっているかも。

 

 

しかも、すばらしい

磨崖仏の観音様も見つかったよ!

 

 

 

 

あーーー、忘れてたアセアセ

 

 

 

最後に万病に効くといわれている

よみがえりのご神水をいただいて帰ろう。

 

今年の僕の一年のテーマは禊ぎだから

あの「禊場」へ戻ろう。

 

もう子どもたちもいないだろう。

 

 

それにしても、

なんであのタイミングで

 

あの水汲み場で

 

あんなにたくさんの

小さな子どもたちが

山から降りてきたのかな?

 

 

もういちど写真をみてみようっと。

 

 

みんな幼稚園児くらいだったよなあ。

 

 

これは何かのメッセージか?

 

 

 

 

あーーーーっ!

 

 

あーーーーーーっ!

 

 

わかったーーぁーーーっ!

 

 

 

 

わぁーーー鳥肌!

 

 

なるほど、そうだったのか!

 

 

 

 

じつはちょっと前から

極秘裏にすすめていることがある。

 

 

それ、じつは

ずっと前からやってみたかった

ことなんだけど、

 

セドナから戻ってきて

いよいよ取り組み始めた。

 

 

それは

 

 

新しい春の時代のことを伝える

「絵本制作」

 

 

(あ、思わず公表しちゃったww)

 

 

 

その絵本は、

子どもたち向けなんだけど

 

子どもたちを育てている

大人たちの傷ついた

インナーチャイルドに優しく

語りかける内容にしたい。

 

 

 

ずっと前から僕は

 

子どもたちと遊んだり

話したりするのが大好きです。

 

(自分の子供はいないんだけどね…)

 

 

いまの子どもたちは

完璧に新しい春の時代のバージョンで

生まれてきています。

 

それは、客観的にみてるとよくわかります。

 

(あ、自分の子供がいると主観的になり

思いが強くなってムキになっちゃうから

子供がいない方がわかるのかもしれない…)

 

 

 

いまの子どもたちは、みな既に完璧です。

 

 

なぜなら、彼らは

 

新しい春の時代の新しい仕様で

生まれてきてるから。

 

 

 

でも僕たち大人は

 

冬の時代の常識や教えで

美徳とされた考えや概念を

 

最先端の春の時代の子達に

無理やり押し付けています。

 

 

 

これって例えて言うならば

 

 

最新のウインドウズOSが

プレインストールされてる

最新のCPU搭載パソコンに

 

あえて昔のMS-DOSのOSを

再インストールするようなもの。

 

 

 

バージョンアップ

しなければいけないのは、

 

むしろ大人たちの方なのに

 

彼らが望まないことを

 

僕たちは冬の時代の教育で

無理強いしているのかも。

 

 

 

もう、今までのやり方では

 

新しい春の時代の子たちの

本来の役割や機能が活かされない。

 

 

新しいワインには新しい革袋が必要です。

 

古い革袋はカチカチに固くなってるので

新しいワインが発酵するときに

柔軟性が足りずに裂けてしまいます。

 

 

 

この話については

またくわしく話しますが

 

 

いま思ってる絵本は

 

今までの冬の時代のやり方に

違和感を感じてたり

 

自分に自信をなくしてしまった

春の時代の子どもたちや

 

インナーチャイルドの癒やしが必要な

大人たち向けに作りたいのです。

 

 

 

春の時代に必要ないものは取り除いて

できるだけシンプルにしたほうが

いいのかもしれませんね。

 

 

(あ、だから子どもたちの禊場をつくるのか!)

 

 

やっぱり最終的には

 

 

春の時代の

子どもたちがそのまま

伸び伸び成長できる場、

 

冬の時代のクセに気づき

その荷物を下ろしてもいいと

思えるような気持ちになる

両親たちのコミュニティ、

 

そんな寺子屋づくりかな。

 

 

あーーー、これが

これから僕の進む道かもしれない。

 

 

そのためにはまず自分の禊ぎから・・・

いまの僕にはコレが必要!

 

ハチマキして、お水いただきます

 

真っ赤なもみじの紅葉も満喫できたし

やっぱり直感は当たってた!

 

バンザイ、ありがとう!

 

行ってよかったよ。

 

 

 

<最後に鳥肌なオマケです!>

 

 

さっき、ふと気になって

この↓子どもたちの写真を

よーーーく、みてみたら

 

神様からのスゴイメッセージが

この写真に隠されていた事に気づきました。

 

 

さあ、みなさんも探してみてください。

 

わっかるかな〜(*^^*)

 

 

 

 

 

はい、答えをいいますね。

 

 

 

 

 

写真下の中央のこの子↓の

ピンクのTシャツ文字に注目!

 

 

 

これフランス語でこう書かれています。

 

 

Fais de beaux rêves

(フェ ドゥ ボー へエヴ)


意味は「良い夢を見てね〜星


いやーー、神様って、
遊びココロあるなあ〜爆  笑


あやうく、
見過ごすところだったぜ音譜