1月2日 善も悪もどちらも必要  | 禅空「空、見ちょる」

禅空「空、見ちょる」

いよいよ始まる新しい黄金時代のごきげん五次元ライフ

よみがえりアクティベーターのしげ☆です。

今日は、ね14 夏の化身(表現)夏の化身(ベース)波1の日でした。
 
今日から、「夏の化身」がベースの13日間のスタートです。


実は「あなたが生まれてきた本当の理由」を読んで、
カウンセリングを申し込まれる方の筆頭が「夏の化身」の方。

理由は、本に書いてある「夏の化身」の説明が、
一番イメージしにくいから。。(笑)


夏の化身の方は、純粋で、真面目な方が多いのです。

だから、わからないままにしたくない人が多いみたいなんですね。
 

夏の化身というと、いつもぼくが思い浮かべるのが、
スター・ウォーズの「ダースベーダー」。


折しもいま、「スター・ウォーズ  フォースの覚醒」の封切りで
またブームが再燃していますね。


今朝、昨年末にテレビで放映していたスター・ウォーズの
エピソード1の録画を久しぶりに観ました。


そして、アナキン少年(のちのダースベーダー)の姿を観てたら、
なんだか涙が出てきました。


昔、1977年に観た、シリーズの第一作目(エピソード4)では、
冷酷で残忍な悪の化身だと思ってたダースベーダー。

でも、エピソード1に出てきた、小さな奴隷のアナキン少年は
可愛くて、純粋で、愛に満ちていたからです。




しかしエピソード順に1.2.3と観ていくと、
アナキンは「愛」の存在だったからこそ、
また、とても純粋で真面目で正義感、責任感が強かったからこそ、
「愛」に執着してしまいました。

愛するものを絶対に失いたくなかったが故に、
ダークサイドに入ってしまうことになったのでした。

愛がなかったから、暗黒面に入ったのではなく、
人一倍、愛があったから、暗黒面に入らざるを得なかった。


ニュースで毎日のように流れる殺人のニュースも、
殺人犯の非道さを伝えるものがほとんどですが、
そこに至った隠れた理由が必ずあったはずです。


「夏の化身」とは、どんな罪人をも赦す「菩薩様」の役割です。


善と悪は、お互いそれぞれの世界に照らし合わせてみると、
それぞれの言い分、つまり正義があります。

夏の化身とは、善でも悪でもない境地に立つ人。

つまり、二元論の世界からジャッジするのではなく、
中立の世界からそのまま現象を受け容れて、抱きしめて、赦す人。


実は、個人的な見解ですが、スター・ウォーズのシリーズ6作は、
アナキンの「夏の化身」の物語だったんじゃないかと思います。


アナキンは、ジェダイの騎士の間で予言されていた
「フォースにバランスをもたらす者」でした。

それが「夏の化身」の役割。


フォースには、ライトサイド、ダークサイドがあります。


一般的には、ライトサイドが善、ダークサイドが悪とみなされがちですが、

真の宇宙の法則は深遠です。


宇宙に存在するすべてのものや現象には、必ず2つの相異なる側面があります。

陰と陽、表と裏、光と闇、右と左、上と下、火と水・・・

一見すると真逆に見えるものは、実は2つでひとつのセット。


だから、勧善懲悪というのは作られた世界の物語の話で、
本当の宇宙の真理には善悪はないのです。


善が悪を裁く、善が悪を成敗するのは、冬の時代のやり方。


新しい春の時代は、どちらかを裁いたり、ジャッジするのではなく、
両方の役割をあるがまま、そのまま全体を受け容れるというあり方。


「宇宙に存在する全てのモノは、二極の世界に分かれるが、本当は善も悪もない」

「宇宙にあるのは2つの真逆の役割、それらは互いに生かし合っている」


それが「フォースにバランスをもたらす」ということの真の意味です。


ッシャー「極限としての円Ⅳ」(1960)
→宇宙は真逆のものが、お互いに活かしあって、成り立っています



最近、そんな春の時代の流れが、あちこちで見受けられます。


例えば、仮面ライダーに象徴される、いまの子どもたち向けの番組は、
善と悪が昔のようにはっきりわかる勧善懲悪スタイルになっていません。

「善」の顔した「悪」もあれば、「悪」の顔した「善」もいます。


また、ゲームの世界でも、映画の世界でも、お互いの立場を入れ替えて、
それぞれの視点から両方の世界を同時に体験できるものがスゴく増えています。


だんだん凄い時代になってきました。

新年二日目から、夏の化身の13日が始まる年なんてめったにありません。


やはり、2016年は大きな分岐点の年になりそうな予感です。