鹿児島の指宿に1泊して
二日目は南九州市知覧町へ
知覧特攻平和会館に向かう道沿いに
多くの石灯籠が建立されてます。
昭和62年、湊橋から知覧平和特攻観音堂までの
1700mに特攻勇士の数1036名分の
慰霊灯籠を立てる計画で
現在では著名人や多くの方の喜捨で
1290基建立されています
知覧特攻平和会館
知覧は第二次世界大戦末期に編成された
大日本帝国陸軍航空隊の特攻基地が置かれた町です
隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料が
保存、展示されています
タブレット型の音声ガイド
撮影可能なところは資料館のロビーと
ロビー横に展示されている零式艦上戦闘機のみ
この飛行機は旧海軍の主力戦闘機として使用されて
いた零式艦上戦闘機52型です
鹿児島の甑島の手打港沖合に
昭和20年(1945)年にエンジントラブルによって
不時着水し水深35mの海底に沈んでいたもので
機体の前方部分だけ残っています
昭和55年(1980)年6月 知覧町によって
35年ぶりに引き上げられた
若い特攻戦士から母の如く慕われた
特攻の母 鳥濱トメさんは
知覧の町で『富屋食堂』を営んでいましたが
知覧が特攻基地になるに及んで陸軍指定の食堂と
なり以来十代二十代の、はつらつとした特攻戦士が
訪れるようになり
トメさんも我が子のように可愛がり親身になって
面倒をみてあげました
はじめ 隊員さんたちは トメさんのことを
『おばさん』と呼んでましたが
だんだん『お母さん』と呼ばれるように
なったという話しです
ところが昭和20年、戦局は悪化の一途をたどり
富屋食堂には食材が入ってこなくなりました
鳥濱トメさんは明日、死にいく特攻の青年たちの
ことを思い家財道具や着物を売り払い
闇から食材を買い料理をしてました
現在、富屋食堂は知覧特攻平和会館から車で5分の
ところにあり ホタル館『富屋食堂』として
特攻隊員の様々な遺品や資料を展示している
向かい側の 枕崎さつま揚げ長吉屋に寄る
クチコミ評価が4.1/5と高かった
野菜やチーズなどが入ったさつま揚げが
数種類あり、ここでしか食べれない
知覧茶さつま揚げを食べました
知覧特攻平和会館の隣りにある
知覧茶屋
特攻の母 鳥濱トメさんの実の孫である
鳥濱明久さんの食堂です
鹿児島の郷土料理や富屋食堂で提供されていた
釜飯や玉子丼、蕎麦うどん多種多様な
メニューがあります
富屋食堂私物の黒電話
深蒸し茶で有名なブランド茶 知覧茶
さわやかな香りと強い甘味うま味が特徴
前後茶品評会で金賞、農林水産大臣賞といった
毎年、名高い賞を受賞している
何杯も飲んじゃぃました(笑)
料理を待ってる間はカメラ遊び
富屋食堂の鳥濱トメさんの味を引き継いだ
釜飯や玉子丼が人気ですけど…
お腹があまり減ってなかったので
お蕎麦と天ぷらセット
あとで天ぷらはやめれば良かった満腹
この日は10年に一度の強烈寒波で
鹿児島でも雨から雪になる予報だった
道の駅 いぶすきで
1〜3月が旬のそら豆を買おうと思ったら
なかった…
鹿児島といえばサツマイモ
店員さんオススメの 『紅まさり』
その場で食べたら 甘くてびっくり!!うまうま
生サツマイモもお土産で買いました
指宿駅から 特急列車たまて箱に乗って
鹿児島中央駅
やっぱり鹿児島市内は雪だった寒い
15分おきに出ている空港直行バスに乗りました
誘導員さんご苦労さまです
空港に着いたらトラブル発生!!
鹿児島空港を離着陸する飛行機が全部
1時間から2時間の遅れ
格安飛行機は次々と運休になった!!
全日空 19時過ぎの飛行機が
21時頃 離陸しました
なぜか5列目は 私ひとり…?
後ろを見ると ひと席ずつ空きがある
ちょっと密状態?
前方は食事の出るプレミアム席だ!
あの ガンダムのコクピットみたいな席は
一度 座ったことがあるが 緊張する(笑)
羽田空港に到着したけど…
住んでるまちにいく直行バスが終わってた
隣の隣町のバスに乗って電車に乗り換え
深夜0時過ぎにお家につく
飛行機旅を50回以上してるけど
こんなトラブルは初めてだった疲れた
お土産
(家族は好き嫌いが多くて食べない)
ボンタンアメの4個入りは こっちで売って無い
職場の配り用にイイモノがあった40個
特急列車 たまて箱の車内発売
スポンジケーキはまぁまぁだったけど
サブレは固くて砂糖の塊みたい甘甘だった
軽羹は好き!
以前、鹿児島旅行をしたとき 地元の人に聞いたら
薩摩蒸気屋の軽羹が一番美味しいらしい
ところが
薩摩蒸気屋の白い軽羹は原料不足で売り切れ
二番人気の明石屋の軽羹を買いました
こっちもうまかった
知覧茶の粉末を買いました
もっと買えばよかったほど美味い
鹿児島のさつま揚げランキング2位
有村屋は安定のうまさ
この量で1200円ぐらいだったけど
小さめで ペロリと食べちゃいました
もっと買えばよかった
鹿児島の旅行ブログ完結