役者に関して

役者として笠智衆さんを尊敬しています。中学の頃からずっとファンなのですが。誰にも真似出来ない、オリジナルの存在、純粋に生きてきたことが伝わる姿、そして世界中の監督を魅了した存在感。その演技は上手い、下手という観点では見られない、技術という部分で計ることが出来ない、心の伝わる素晴らしい本物だと思っています。

僕も時間をかけ、責任を持った時間を生き、俳優としてそのような表現を突き詰められればと思っています。
絵に関しても、僕が生み出す作品として、それらと同じ考えです。唯一無二の、自分らしい、自由で楽しい気持ちが伝わる作品を作りたいと思っています。



絵に関して

子供の頃から絵を描いていました。普通にキン肉マンとかそういう感じです。
中学に入るとフェリックスのような生活の中に入るキャラクターグッズに興味を持ち、当時はソニープラザぐらいでしかそういうグッズは手に入りませんでしたが、アメリカのデパートやメーカーに手紙を出し、カタログや雑誌を手に入れ(郵便局から海外送金、国際郵便などで3ヶ月くらいかかりますが)色んなキャラクターを集めていました。すべては単純に好きという気持ちが原動力でした。

その後、高校ではボート部に入り、家に帰るのは夜12時くらいと言うハードな練習だったので、絵のことは忘れました。
高校3年の夏に部活を引退し、今度は映像に興味を持ち、短編コント映画を作り始めました。その後メンズノンノのモデルになり、仕事で様々なファッションやそれを創作するプロフェッショナルな現場を見て、海外ロケでは様々な文化や芸術に触れ、夢を持った仲間に刺激され、仕事以外では短編映画を作りながら、再び自分なりに楽しく絵を描いたりしていました(アクリル画/イラストボード)。

将来は映像の仕事をしようと思っていたのですが、グラフィックも好きだったので、勝手に100本ノックと銘打って、シェーバーやドライヤー、飲料などの広告をいっぱい作って友達に見せたりしていました。他には小学生の頃から建築にも興味があったので、建築図面や建築模型を造ったりしていました。

そして23歳で俳優になり、この道1本でやっていこうと決めたので、他の活動を全てやめました。
しかしまあ、ふつふつと製作意欲が湧いてきて、俳優として少しだけ認めて貰えるようになった20代後半、再び創作活動を始め作品を作り、再開して直ぐの97年に「通産省マルチメディアグランプリ」という大会でアーティスト賞をもらいました。アーティストだあ!と喜びました。こういった賞を2年連続で頂き、創作活動に意欲が湧きました。
そして98年、劇場公開映画を作りました。当時は「役者が映画を撮るなんて生意気だ」という感じで攻撃も多かったですが、フルデジタルの低予算(自費)で何とか撮り、それがベルリン国際映画祭の審査員の目にとまり、ベルリン国際映画祭に正式招待されました。他は数億円レベルの作品ばかり、制作費50万円の映画としては快挙で、やったぜーという気持ちでした。
他もクレイアニメやマペットやチェコアニメなど、中学から続くカワイイ物好きは相変わらずで、世界でもKAWAII文化が浸透したので、年甲斐もなく色々な物を集めたりしました。

そして2009年にツイッターを始め、5年くらい何となく絵を描いており、そしていつの間にか個展をやったり絵のお仕事を頂けるようになりました。未だに絵の技術がないことは自分でもうすうす気付いているのですが、とにかく描くのが楽しいんです。
振り返ってみるとこの約35年間で、建築、映像、ファッション、絵画、食文化、アニメ、家具、商業デザイン、様々な分野から受け取った構図や線や色彩が自分の中で熟し、そして役者の仕事を通じてつちかった、何を伝えたいのか、どうやって伝えるのか、というエネルギーをプラスして今の絵の活動に集約されているのかなと思いました。
自分の中に蓄積された物があまりにも多く、自分でも驚くほどやりたいことが多くて溢れてきます。なので、絵に関して色んなオーダーを受けても直ぐに、待ってました-、じゃあこれがいいんじゃないか、あれがいいんじゃないか、というアイディアが溢れます。やりたいこと、表現したいこと、伝えたい事がいっぱいあります。
(子供の頃から画風は変わっていないので、もっと成長したいのですが・・・)
絵は見て下さる方とのコミュニケーションが全てだと思っています。楽しいことがしたい、みんなに楽しい気持ちになってもらいたい。その思いや時代や時間を共有したい。
見て下さる方、面白いと思って下さる方、好きになって下さる方、そういった方々に支えられて、自分なりに楽しく絵を描けているんだなあとあらためて思います。それがなによりの原動力です。感謝感謝です。