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特撮とまちづくり―「井上泰幸のセカイ展」本日開幕

岩田屋!

 

 

あの伝説の怪獣映画「空の大怪獣ラドン」(1956年、東宝)で破壊された福岡市天神の岩田屋。大型撮影セットが古賀市で再現され、9月7日から10月6日まで古賀市立歴史資料館2階で見ることができます。圧巻。

 

 

なぜ、古賀市なのか。それは、円谷英二監督の右腕として「ゴジラ」をはじめ日本の特撮映画を支え、今も特撮のプロたちがリスペクトする特撮美術監督・井上泰幸氏(1922-2012)が古賀市の出身だから。故郷で特別展「井上泰幸のセカイ展」を開催します。

 

 

 

 

開幕に先立ち、準備の会場へ。三池敏夫監督や姪の東郷登代美さんも設置にご尽力いただいていました。お二人をお招きしての上映会&トークイベントも21~22日に企画しています。

 

 

 

今回の特別展、全国の特撮ファンの注目を集めており、アカデミー賞を受賞した「ゴジラ-1.0」の山崎貴監督もXで拡散してくださっています。これには驚き。それだけ井上泰幸氏が今の日本の特撮の「原点」であるということなんだと実感。

 

ということで、皆さんぜひご来場ください。お楽しみに!

中島卓偉さんと共演♪/大都市集中から地方分散へ

ロックシンガー、中島卓偉さんのツアーファイナル福岡公演!

 

 

古賀市出身で同世代のご縁からバリバリ仲良くさせていただいています。8月25日の公演に駆けつけると、なんとステージにお招きいただき、卓偉さんとトーク&シティプロモーション。

 

 

そして、まさか歌うことになるとは!

 

 

観客の皆さんのやさしさのおかげでなんとか務めを果たせました(笑)

 

 

 

卓偉さんの楽曲、歌唱と演奏に魅了される素晴らしい時間でした。ありがとうございました。次回も楽しみにしています♪

 

 

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人口減少と少子化、東京一極集中の是正をめざすこの10年間の地方創生の取り組みについて、その成果は「どちらかといえば不十分」との認識をお示ししました。2日の市議会本会議で答弁したもの。

 

 

また、少子化に関して、「1.57ショック」(1989年の合計特殊出生率)をきっかけに厳しい現状が強く認識されるようになったものの、「この間、本質的な対策が講じられないまま今日の危機的状況を招いており、これまでの行政ならびに政治家一人ひとりの責任は重い」との考えを、自戒も込めてあらためて明らかにしました。

 

地方創生に関しては共同通信が全国の首長にアンケート調査を実施しており、「不十分」「どちらかといえば不十分」との回答が68%に上っていることが判明。この報道を受けて、大綱質疑で私の回答と認識を問われ、答弁しました。

 

調査結果によると「自治体単独での対策には限界があった」が73%を占めており、私も同じ認識です。あわせて「国家として、東京一極集中の打破と地方分散型社会の形成に本気で取り組んでいるとは思えない」と答えたことも明らかにしました。

 

 

なお、古賀市の現状については、2022年度の市民意識調査では「住みよさ指標」が74.2%から82.5%と増加。「定住指標」は59.7%が59.1%とほぼ横ばい。人口は2023年度の自然増減と社会増減をあわせた数値はプラスで推移しています。

 

今後、市内外の皆さんが住みよさを実感でき、選ばれるまちとなるよう、チルドレン・ファーストの理念に基づく子ども・子育て支援の充実や教育環境の向上、誰もが働きやすく生きやすい社会づくりをはじめとして、現在進めている政策をさらにブラッシュアップするとともに、国への政策提言も強化していく必要があると考えています。引き続き、しっかり取り組んでいきます。

 

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早朝から小学校の草刈りと木の伐採!

 

 

8月31日、地域のおじさんとして。コミュニティの皆さん、保護者の皆さん、先生方、子どもたちと力を合わせて。広いうえに斜面もあり、汗だく。でも爽快!?

 

さらにその流れで家庭菜園を整理。鷹の爪など一部を残して夏野菜を片付けました。この日の午前中は身体を動かし続けて疲労困憊。44歳、毎日歩いて筋トレもしていますが、もう若くないのを実感します。

玉虫馬具がつなぐ古代と現代―船原古墳と日韓交流

玉虫がつなぐ古代と現代の国際交流♪

 

 

古賀市の国史跡・船原古墳で発見された国内初確認の玉虫装飾馬具(杏葉、ぎょうよう)と、韓国の王陵級とされる慶州チョクセム44号墳から出土した玉虫装飾馬具(障泥、あおり)を一緒に楽しめる特別展を8月27日に開催しました。

 

 

日韓の玉虫装飾馬具が並んで展示されるのは初めてのこと。韓国の国立慶州文化遺産研究所さま、駐福岡大韓民国総領事館さまの多大なるご協力で開催できました。昨年、朴建燦(パク・コンチャン)総領事と話していたことがこんなにも早く実現するとは。感謝申し上げます。

 

 

船原古墳の杏葉は久々に実物が登場し、レプリカと共に展示。

 

 

そして、韓国の障泥の再現品はきらびやかで大きくて立派!馬に乗った人の足に泥がつかないように、鞍の下にぶら下げて使った板とのこと。

 

 

 

文化財は「保存」だけでなく「活用」が重要。古賀市の文化課の担当職員さんたちが頑張ってくれているおかげで、朝鮮半島との交流を示す船原古墳から出土した500点超の金銅製馬具などが日韓の架け橋になっています。引き続き積極的に取り組んでいきます。

 

 

なお、特別展開催にあたっての私の挨拶は以下になります。

 

<ごあいさつ>

 

本日は、国史跡船原古墳韓国交流事業、特別展『韓国の玉虫装飾馬具』にご来場いただき、誠にありがとうございます。

 

古賀市谷山・小山田地区に位置する船原古墳1号土坑からは、6世紀末~7世紀初頭の朝鮮半島系の資料を含む馬具、武器、武具約400点の煌びやかな遺物が出土し、国内外の注目を集めてきました。その中でも特に、2020年11月に新たに判明した、我が国初の玉虫装飾馬具の発見は、コロナ下にもかかわらず、報道発表と同時に開催した特別展には、3061人の方にご来場いただくなど、非常に多くの関心を寄せていただいております。

 

この昆虫のタマムシの羽根を使って装飾する馬具は、朝鮮半島の新羅の王族関連墓でのみ出土するため、新羅王族の高貴な身分を表象する貴品であったと推測される馬具です。そのため、船原古墳以外の玉虫装飾馬具は全て、大韓民国慶尚北道に位置する慶州で発見されていますが、この度、大韓民国にあります国立慶州文化遺産研究所にお声掛けいただき、本場韓国の新羅王族墓チョクセム44号墳から出土した玉虫装飾馬具と並べて展示する運びとなりました。

 

慶州チョクセム44号墳は、慶州の王陵群である大陵園に位置する大型の高塚古墳で、国立慶州文化遺産研究所による発掘調査の結果、5世紀後半に築造された10歳前後の新羅公主と推測される人物のお墓で、金銅冠や金銅製飾履、銀製腰佩、胸飾といった、新羅の女性王族が纏う金銀銅製の装身具と玉虫装飾馬具が出土しました。

 

本展示会は船原古墳の玉虫杏葉と韓国慶州チョクセム44号墳の玉虫装飾馬具、日韓両国の玉虫装飾馬具を、日本で初めて並べて展示する貴重な機会です。この展示会を通じて、皆様に広く船原古墳について興味関心を持っていただくとともに、船原古墳の歴史的価値や国際色の豊かさを感じる機会にもなれば幸いです。

 

最後になりましたが、本展示会を開催するにあたり、資料の出品と、なにより貴重な機会をいただきました、国立慶州文化遺産研究所の皆さまに、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

古賀市長

田辺 一城

 

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そしてなんと!韓国の聯合ニュースで取り上げられました!

 

 

以下、古賀市文化課の担当職員さんによる記事の訳になります。ご参照ください。

 

古代韓国と日本の玉虫装飾は… 日本で遺物再現品紹介

キム・イェナ記者

国立慶州文化遺産研究所、27 日「韓国の玉虫装飾馬具」説明会

 

(ソウル=連合ニュース)キム・イェナ記者=新羅公主の墓で発見された華麗な玉虫装飾が日本で紹介される。

 

国立慶州文化遺産研究所は、今月 27 日、日本の福岡県古賀市の生涯学習センターで「韓国の玉虫装飾馬具」を主題にした特別展示と研究成果の説明会を開くと、26 日明らかにした。

 

行事では慶州チョクセム 44 号墳を調査・研究した内容を公開する。

 

チョクセム 44 号墳は 5 世紀後半に造成された墓で、金銅冠、金銅飾履、碁石等の様々な遺物が出土したことがある。新羅の幼い公主が埋葬されたと推測される。

 

展示では、墓で出た主要遺物を研究し作った、再現品を見ることができる。

 

緑色の光沢のある玉虫数百匹の羽根で装飾した障泥の再現品、金銅冠と金銅飾履再現品、織物痕跡を再現した資料などを紹介する。

 

障泥は、馬に乗った人の足に泥が付かないように鞍の下にぶら下げる板を意味する。

 

午後 2 時 10 分と、3 時 30 分には、チョクセム 44 号墳の発掘調査に直接かかわった関係者たちが墓の意味と調査成果を説明する時間も設けられている。

 

今回の展示では、日本の国史跡である船原古墳で出土した玉虫装飾杏葉の再現品も扱われ、古代日韓の玉虫装飾遺物を比較することができる。

 

船原古墳は 6 世紀末~7 世紀初頭に造成されたで、新羅・伽耶と密接な関係がある古代遺跡として知られている。

 

研究所関係者は「百済と伽耶に比べ多くは知られていない古代新羅と日本の交流に関する研究が、活発になる契機となるだろう」と話す。