全国青年局長会議/政治不信の払しょくを | 田辺かずきのブログ

全国青年局長会議/政治不信の払しょくを


田辺かずきのブログ-古賀駅立ち


20日朝、JR古賀駅で挨拶。県政報告第5号を配布させていただきました。受け取ってくださった皆さんに感謝します。


そのまま、上京。


民主党の全国青年局長会議が、東京・永田町の衆議院第1議員会館で開かれ、福岡県連の代表として出席しました。



田辺かずきのブログ-全国青年局長会議


近藤洋介・国民運動委員長(写真左)は、挨拶で「次の世代、国民のために政治をやっている。このまま朽ち果てるのではなく、もう1回、政治を再生させたい。その中心が青年局であり、ここはネクストキャビネットという意識でやっていただきたい」と述べました。


会議は、シャンシャンではなく、活発に議論がなされました。特に活動方針(宣言)の文案の理念。私は、住民の皆さんとの「対話」という文言をどうしても入れるべきだと考え、「民主主義の基本である『住民の話を聞いて政策に昇華していく』という理念を示すために、『対話』という文言を入れるべき」と主張し、最終的に反映されました。地元で、できる限り対話集会 を開かせていただいており、うれしく思います。


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これに先立ち、国政の現場を追っている新聞記者の友人と意見交換。


次の衆院解散・総選挙のポイントについて、意見が一致しました。すなわち、「05年、09年の選挙結果の反省の上に立てるか、どうか」。


友人と私はこう考えました――。05年の郵政選挙は「小泉首相(自民党)」というラベルを貼った候補者に投票が集中し、政権交代した09年は「民主党」というラベルを貼った候補者に投票が集中した。国政は議院内閣制で政党政治であり、「ラベル」は投票する際の重要な判断材料だが、果たして、ラベルばかりで判断していいのか。なぜ、国政が停滞を続けているのか。やはり、候補者「個人」をもっと見つめたい。そのためには、候補者たる政治家が、もっと住民(国民)とひざを突き合わせて「対話」すべきである。


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これまでも何度か述べてきましたが、政治不信が極まっています。政治そのものへの不信、政治家への不信、政党への不信。


フジテレビ「新報道2001」の調査(2月19日放送、首都圏の成人男女500人への電話調査)によると、今後期待する政権の形は、上位の「既成政党が分裂・政界再編した新たな枠組みの政権」(27.8%)と「第三極と言われる新党を中心にした政権」(21.6%)で半数を占めています。とにかく、既成政党はダメ、と突きつけられています。


橋下徹・大阪市長の率いる「大阪維新の会」の国政参加については、66.0%が「期待する」と答えています。


2010年11月末まで、橋下氏を連日取材した経験を踏まえると、政治活動を始めた当初から述べていますが、私も橋下氏の政策への取り組み、発信力、突破力に共感、同意する点が多々あります(地元メディアの記事も参考に )。産経新聞は20日付の紙面から、連載「The リーダー 第2部 救世主か 異端者か」を開始し、橋下氏に焦点をあてています。


一方で、橋下氏が政治的影響力を増していくにつれ、政治の世界に「以前から期待していました。一緒にやりましょう」といった姿勢で近づく人が増えていったのも事実。総選挙が視野に入り始めた現在は露骨に増えています。政治家不信、政治不信の一端がこういった点にあるのではないか、とも考えられます。


自民党が圧勝した郵政選挙、民主党が圧勝した政権交代選挙で、政党人気の「風」に乗って当選した議員の方は多くいると思います。もちろん、その中には真剣に国の行く末を考え、取り組んでいる立派な方もいらっしゃいます。本来的に求められるのは、政党の「ラベル」ではなく、そういった議員「個人」の政治理念と姿勢だと思います。


国政は議院内閣制のため、政党政治が基本です。候補者に共通したマニフェストがあるのもこのためです。しかし、個々の候補者(候補予定者)が「機械」ではなく、「人間」であるからこそ、個人としての考えが選択の大きな要素たるべきだし、候補者側にはその材料を積極的に提示する義務があります。


そのためには、政治家と住民(市民、県民、国民)が話をすることが大切です。これから、ぜひとも、政治家や政治家になろうとしている個人に対し、自らの思いや考えをぶつけ、相手の思いや考えを聞いてください。


話し合うことで互いの信頼を築く――。それが民主主義の再生につながると思います。



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