南京(上)―江蘇省との友好親善 | 田辺かずきのブログ

南京(上)―江蘇省との友好親善

12日~14日、福岡県と友好親善を結んでいる中国・江蘇省の南京市を訪ねました。今夜9時過ぎ、帰国。


最大の目的は、江蘇省人民代表大会(※県議会に相当)と江蘇省人民政府(※行政機関)への表敬です。県と江蘇省の友好親善が今年で20周年を迎える中、県議会の会派一同による表敬は初めて。我が国は「戦略的互恵関係」を対中外交の基礎としていますが、私たちも「相互に信頼を築いてきた歴史」を踏まえ、未来志向の発展を誓い合いました。


また、南京市は日中戦争のポイントとなった都市でもあります。「南京事件」(1937年)の現場も訪ねました。本件の評価と論評は歴史家に委ねますが、政治家としては、まず「現場」で体感することが最も大切です。


南京訪問の意義と成果を上・下の2回にわたり報告します。



□友好親善の前進


12日午後3時過ぎ、江蘇省・南京市に入りました。


空路、上海から入国。さらに高速鉄道で約2時間。走行中に窓外を見やると、沿線各地で建設ラッシュに沸いている様子が飛び込んできました。地面から生えるようにニョキニョキと天に伸びる高層建築物の数々。近年の経済発展を見せつけられましたが、一方でそんなに必要なのかとの疑問もわきます。バブル崩壊を経験した日本人としては懸念が先に立ちました。



田辺かずきのブログ-中国・建設


南京駅のホームに降りると、江蘇省人民代表大会(人大)外事委員会の史小慶氏が出迎えてくれました。外事委員会は省の外交関係を任務としており、国際交流の窓口。会派の吉村敏男会長と握手を交わしました。



田辺かずきのブログ-南京・出迎え


案内された駅の貴賓室で、史氏は「親しい福岡県の友人の皆さんをお迎えしてうれしく思います。省人大、省政府は(今回の訪問を)大変重要視しています」と歓迎の意を表明。吉村会長は、私たちの直前に同じく南京を表敬訪問した小川洋知事の取り組みに触れながら「福岡県と江蘇省が友好親善を結んで20周年。私たちはこの歴史的瞬間に立ち会えて幸運です」と返礼しました。


   ◇


江蘇省の人口は7800万人で、中国で最も人口密度が高い地域です。昨年の対外貿易総額は5300億ドルと中国国内2位の規模で、8万社の海外企業が進出。昨年も15.7%の成長率を記録しており、世界の多くの国々をしのぐ規模の地域です。


今回の表敬訪問は会派として実施。県議会が会派として表敬するのは初めてといい、江蘇省サイドも極めて友好的でした。13日、江蘇省人民政府と人民代表大会を訪問しました。


人民政府では、張衛國・副省長と会見(下写真右)。地域の規模と現状を考えると、「副知事」というよりも「副総理」といった方がイメージが近いかもしれません。副省長は6人おり、張氏は最も若いと言います。



田辺かずきのブログ-南京・政府1


「今回の訪問の狙いは、しっかりと(田辺ら)若い世代にも友好関係を引き継いでいってもらいたいということです」


吉村会長はあいさつで、会派で最年少の私を引き合いに、表敬の意義をこう述べました。私も以前から述べていますが、外交関係というのは一朝一夕で培えるものではありません。「一衣帯水」とまで言われる福岡県と江蘇省の関係となるとなおさらです。


吉村会長のあいさつに先立ち、張氏は「南京市の花である梅が咲く時期、そして日本の花である桜がまもなく咲き始める時期のご来訪を心から歓迎します。中日(日中)国交回復40周年、福岡・江蘇省の友好提携20周年の年に招へいでき、有意義に思います」と述べました。この間の経済、教育、文化、科学、衛生(環境)、青少年交流などの豊富な成果と活発化している民間交流に触れながら、経済面のさらなる深化に言及。「互いの理解と友情が深まっているのをうれしく思います」と述べました。



田辺かずきのブログ-南京・政府2
張衛國・副省長(中央)を囲んで。田辺は張氏の左後方=江蘇省政府で



続いて訪問した人民代表大会では、柏蘇寧・副主任や史小慶・外事委員ら計5人の皆さんと会見。



田辺かずきのブログ-南京・議会1


柏氏は「今回、ベテランの議員さんだけでなく、若手の方々がいることは特別な意味があると考えている。中日友好の新しい力となるようお願いします」と述べ、大きな期待を表明。経済の改革開放政策で「ハイスピードかつ安定的に成長してきた」と述べ、対外貿易の拡大と成果を強調。その背景を、中国国内でも江蘇省は「伝統的に教育に力を入れてきた」と説明しました。



田辺かずきのブログ-南京・議会2
柏蘇寧・江蘇省人大副主任と



柏氏は田辺に対し、「未来を作るのはあなたたち若い世代」とエールを送ってくださいました。吉村会長も話してくれましたが、将来を見据えた国家間交流を進め、責任を果たしていきます。


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表敬に先立ち、13日朝に訪ねたのが、福岡県と江蘇省の友好のシンボル「桜花園(桜の園)」。



田辺かずきのブログ-南京・桜花2


南京の東の郊外、革命家・孫文(1866~1925)が眠る陵墓「中山陵」のふもとにあります。1.3ヘクタールの敷地に桜の木が植えられ、春になると、南京の人たちはもちろん、日本からの訪問者が花見を楽しみ、友好の証となっています。


桜の園は県議会が音頭を取り、江蘇省人民代表大会と協力して作られました。これには私の母校・福岡高校の大先輩たちが関わっています。孫文を敬愛していた進藤一馬・元福岡市長の思いを受けた新宮松比古・元福岡県議が議長当時、桜を植えることを発意し、実現しました。園内には新宮氏が寄せた揮毫も。



田辺かずきのブログ-南京・桜花3


造成の際、2000人の福岡県民の皆さんが寄付をしており、園内には銘板が建っています。



田辺かずきのブログ-南京・桜花1


現在は景観を向上させるためのリニューアル工事の最中でした。江蘇省人民代表大会によると、敷地面積を3倍に広げます。柏蘇寧・副主任は「南京市民にとっても憩いの場となっている。福岡県と江蘇省の友好の『架け橋』。江蘇省として重要課題と位置付けており、(拡張について)1年にわたり議論してきた」と言います。工事には900万元(約1億円)の資金を調達、今年5月に完成する予定で、「20周年記念にふさわしい新たな歴史の1ページを飾れると思う」と述べました。



田辺かずきのブログ-南京・桜花4
桜の園で江蘇省人大外務委員会の史小慶氏と



□国父・孫文への尊崇


革命家・孫文(1866~1925)の陵墓「中山陵」も訪ねました。


福岡県の対中関係アドバイザーで、現地通訳を務めてくれた青木麗子さんは「昨年は辛亥革命100周年だった。孫文は九州と縁が深い。財政支援した梅屋庄吉は長崎、三民主義の基礎を作ったのは熊本・荒尾の宮崎滔天。中国がこれから台湾とどうかかわっていくのか、という視点に立っても、孫文の陵墓を参る意義は大きい」と話します。



田辺かずきのブログ-南京・中山


孫文は中国にも台湾にも尊敬される数少ない人物。「中国の封建社会に終止符を打った」(同行の宋さん)のが1911年の辛亥革命であり、南京に首都を置いた中華民国の始まり。日中戦争の後、1949年の中華人民共和国の成立まで南京はこの国の中心でした。


孫文の死去を受け、蒋介石らが中山陵の建設を主導しました。死去翌年の1926年に着工、3年をかけて完成し、1929年6月1日、国葬が挙行されました。


訪ねた日は、前日からの降雨。約8万平方メートルの敷地は国家森林公園に指定されており、バスは進入規制がかかっています。途中から電気カートに乗り換え、入口に進みました。


392段の階段を上ります。この段数は「孫文が国民とともにある」ことの証として、当時の中国の人口3億9200万人にちなんだといいます。孫文の理念である「天下為公」は、昨今の政治家があらためて胸に刻むべき言葉だと思います。



田辺かずきのブログ-南京・天下為公


頂の霊廟。孫文の像を前に頭を下げました。


(次回に続く)



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