月を撮ったの。


昨日は満月。

昔から言われていたけど

満月の夜って

女性は何かと○○らしいニヒヒ





それと

2、3日前の月だったかな。

ボーッと霧がかってて

異様な雰囲気をはなっていて

見とれてしまった………


これって

おぼろ月って

ゆーんでしょうかね?

加工してませんよ!



さてさて

宜野座の仲間商店に

行った時の事。


過去記事です↓

仲間商店に着く寸前
助手席のわたくし
たまたま
横を向いたら
住宅と住宅の隙間か裏に
一瞬、鳥居が見えたの。


なんとなく
気になっちゃったよね~


仲間商店を出て
直ぐ鳥居のあった方に
向かっちゃいました。


車で1、2分で着く。


鳥居のあった場所は
惣慶【そけい】とゆー
児童公園でした。


鳥居の入り口近くに
惣慶【そけい】のお宮
と書かれた看板があって
読んでみたけど……

フムフム
わたくしには難しい文章だ テヘッ ニヤニヤ

漢那のお宮・惣慶のお宮

 太平洋戦争が始まると、国家による思想統制は集落の聖域である御嶽の信仰にまで及び、神祇院は各地のノロや根人ら集落の神事に関わる者を護国神社に集め、神主に仕立てる講習会を行って国家神道を広めた。

 現在の漢那区公民館の周辺はユウアギモー(ヨリアゲ森)と呼ばれる集落の祖霊神(オラウセナデルヅカサノ御イベ)を祀り、ニライカナイの神(真南風ノワライヅカサノ御イベ)を遥拝する御嶽で、1713年に琉球王府が編纂した『琉球国由来記』にも記載されている。

 昭和13(1938)年、ユウアギモーには海外在住者の寄付等によって神殿が建てられ、氏神を祀って以降は「お宮」と呼ばれるようになり、漢那から出征する兵士が武運長久を祈願していた。

 現在の惣慶区公民館の背後にあるオキナワウラジロガシやマツ等が茂る丘は、集落の祖霊神を祀る御嶽(マチョウガマノ嶽・アラハタヨリフサノ御イベ)であり、1713年に琉球王府が編纂した『琉球国由来記』にも記載されている。

 元々、当地は惣慶の「ウガン所」とも称されていたが、昭和17(1942)年2月27日、那覇市の波の上宮よりイザナミノミコト・ハヤタマオノミコト・コトサカオノミコトの三神を勧請して神殿に祀って以降は「お宮」と呼ばれるようになり、惣慶から出征する兵士が武運長久を祈願していた。

 このような集落の聖域である御嶽と国家神道のお宮を合わせた拝所は、現在も宜野座村の漢那と惣慶に残っている。


早い話がここは昔
御嶽(うたき)であり
信仰の場だったようです。
        ネットから抜粋



沖縄ってね
こーゆー場所が
沢山あるので
内地から来たわたくしは
良くわからなくて
入ってはいけない所
なんじゃないかとか
ちょっと怖いなとか
思ってしまう。

強引に話を反るが……… 
沖縄の方は
墓地を怖いと思っていなくて
内地の思いとは
違うんだなぁって
ビックリもした。
内地は墓地とかって
幽霊出るとかの代名詞で
肝試しするから~。



でも、まぁココは
公園になっているし
明るいし
舗装された道を
テクテク進んでみた。




途中
真っ赤なツツジが
綺麗に咲いていて………

わたくし、子供だったら
ツツジの蜜吸ってるわ笑


ツツジに癒されて
又、進もうとすると


ん?
何か大きな
建物があるぞ?


行ってみたら拝所?
写真を撮らせて頂いたので
一礼して
失礼させていただきました。

なんだろ?
帰ろうとしたら
目の前が明るく見えた。
厄でも落ちたかね?


も1つ鳥居があったわ。



辺りを見回すと
公園横にポツンと
パーラー?カフェ?
みたいな?
お店がありました。



creamcream
ってゆーみたい。

前を通ったんだけど
何か良さげなお店。

次に宜野座来た時は
寄ってみるつもり。

その時は
又ブログに載せまーす


ではではパー