月を撮ったの。
昨日は満月。
昔から言われていたけど
満月の夜って
女性は何かと○○らしい
それと
2、3日前の月だったかな。
ボーッと霧がかってて
異様な雰囲気をはなっていて
見とれてしまった………
これって
おぼろ月って
ゆーんでしょうかね?
さてさて
宜野座の仲間商店に
行った時の事。
漢那のお宮・惣慶のお宮
太平洋戦争が始まると、国家による思想統制は集落の聖域である御嶽の信仰にまで及び、神祇院は各地のノロや根人ら集落の神事に関わる者を護国神社に集め、神主に仕立てる講習会を行って国家神道を広めた。
現在の漢那区公民館の周辺はユウアギモー(ヨリアゲ森)と呼ばれる集落の祖霊神(オラウセナデルヅカサノ御イベ)を祀り、ニライカナイの神(真南風ノワライヅカサノ御イベ)を遥拝する御嶽で、1713年に琉球王府が編纂した『琉球国由来記』にも記載されている。
昭和13(1938)年、ユウアギモーには海外在住者の寄付等によって神殿が建てられ、氏神を祀って以降は「お宮」と呼ばれるようになり、漢那から出征する兵士が武運長久を祈願していた。
現在の惣慶区公民館の背後にあるオキナワウラジロガシやマツ等が茂る丘は、集落の祖霊神を祀る御嶽(マチョウガマノ嶽・アラハタヨリフサノ御イベ)であり、1713年に琉球王府が編纂した『琉球国由来記』にも記載されている。
元々、当地は惣慶の「ウガン所」とも称されていたが、昭和17(1942)年2月27日、那覇市の波の上宮よりイザナミノミコト・ハヤタマオノミコト・コトサカオノミコトの三神を勧請して神殿に祀って以降は「お宮」と呼ばれるようになり、惣慶から出征する兵士が武運長久を祈願していた。
このような集落の聖域である御嶽と国家神道のお宮を合わせた拝所は、現在も宜野座村の漢那と惣慶に残っている。