小生50歳。戦国時代なら人生の終盤に
かかったところだが、今や人生100年時代。
ようやく折り返し時点とも言える。
では何故、こんな大げさなタイトルに
なったのか?
不思議な事に50歳になった途端、
人生の終わりを意識するように
なったのだ。
それは決してネガティブな感じではなく、
格好良く言えば、悟りの境地を目指して
いるかのような、
でもまだまだ希望ある未来を夢見ている
ようなどこか中途半端な感じなのだ。
しかし確実に言えるのは、40代よりも
確実に死に近づいているわけで、
残された時間も10代、20代の頃と比べる
と多くない
今後の生き方を考えるのは至極、
当然のような気もする。
この先どう生きるべきか?
何を変えなければいけないのか?
今死んで後悔しない為には何をすればいいのか?改めて整理してみよう。
先ずは①昨日のブログにも書いたが、
健康への意識がある。
代謝が落ちてきたこの頃、食事と運動は
鍵を握る。健康でなければ何も出来ない。
かなり重要だ。
次は②仕事
サラリーマンとしての生き方だけでは
希望を見出せず、事業立上を決意した。
よく言われるように、会社組織の中だけの
付合いでは、将来、貧相化する可能性大。
会社外でも付合いを構築していく必要が
ある。
そして③生きる目的
これは難しいが、究極は何を遺すか?
故野村克也流に言えば、
『人を遺すが上』なのだろうが、
これは正直自信がない。かと言って、
財も恐らく今のままではたいして残らない
だろうし、仕事も・・・
そこでせめて自分より恵まれない人を
手助け出来る事は出来ないだろうか?
特に未来を担う子供達の為に。
日本でも今後、貧富の格差が益々大きく
なるという。
そして既に、受けられる教育の質も世帯の
所得により格差が広がっている現実がある。
寄付でもいいだろうが、資産1億円を
目指す過程で答えを見つけたいと思う。
最後に一つ言えることは、自分らしく
生きる為に、これからはより自分自身に
正直であるべきだ
もう50歳にもなったら、自分のやりたい
事だけをやるのが理想で、
やりたくない事、苦手な事は案外
無視していいのかもしれない