【英語を教える】「指導をする人」の人間性や学びの深さ、体感経験値。

 

 

おはようございます。英語を教えながら
英語の先生の先生をしています、ミツイです。

 

 

いきなりですが
皆さんは「ワンネス」という言葉をご存知ですか?

 

日本語のカタカナで「ワンネス」と書き、ネットで調べてみると

やたらとスピリチュアルがどうとかいう情報が出てくるのですが

実はこれ、別にスピリチュアルな単語でもなんでもないのです。

 

 

こんなお話があります。

 

 

昔、コロンバスを始めとする白人が
アメリカ大陸に辿り着いた時、

彼らはネイティブアメリカンが住む地域の
海の沖合に何週間か停泊していたそうです。

 

新しく見つけた土地の安全性が分からず、

どうすれば良いのか、船の中で相談していたのかもしれません。

 

ネイティブアメリカンは
そんな船の存在にずっと気が付きませんでした。

それは「船」という概念を持っていなかったからです。

 

当然、彼らもイカダのようなものは自分たちで作っていたようですが

白人がヨーロッパで乗り回しているそれとは大きく異なっていました。

 

ですから、船は確かに「そこにあった」のに
ネイティブアメリカンにはそれが「見えなかった」
のです。

 

 

ある時、
ネイティブアメリカンの中でもリーダーと呼ばれるような人物が

沖合にある船のせいで微妙に変化を起こした「風」に気が付きます。

(大抵、昔リーダーと言われていたのはシャーマンですね。)

 

「何かが違う」と思うわけです。

 

そうして海を観察します。 
海からの風に変化が感じられるわけですから。

 

そうして「影」を見つけます。

 

彼らには「船」という概念がないので、まだそれは見つけられません。

でも「影」はどういうものか知っているので、

「え、なんであんなところに影があるんだ?!」となるわけです。

 

「影があるということは、そこには何かがある」という考えに至り、

そこで初めて「あそこに何かあるぞ!」「なんだあれは?!」と
船を見つけるに至ったそうです。

 

 

このお話は本当かどうか分かりません。 
私も知人に聞いた話です。

 

でも、このお話のメッセージは明確ですよね。

 

 

人間の脳は
この世界に存在する全てのものを認識しているわけではないのです。

 

概念として捉えなければ…

そのものに名前を付けて認識しなければ…

人間の脳は、
いつまでたっても、そこには何も見出さないのです。

 

 

逆に言うと

例え名前がついたものであっても
本当はそこに「境目」なんてないのです。

 

あなたの手も、
あなたの手が持っているスマホも、
逆の手で持っているコーヒーカップも、
その中のコーヒーも、
 

全てが1つであり、
それらが1つでないと認識しているのは
「あなたの脳」なだけなのです。

 

エネルギー的に言えば、そこには「境目」はないのです。

 

 

"If we imagine that we're free of all labels, all separation, and all judgments about this world and the life inhabiting it, we can begin to understand oneness."

by Dr. Wayne W. Dyer

 

 

そういう意味で、この世は「ワンネス」なのです。

全然スピリチュアルとかなお話ではないのです。

 

この考え方でいくと

だから、
世界のトップレベルの人は付き合う人をも選ぶのか、とか

だから、
世界のトップレベルの教育では
非言語情報をも大事にする
のか、とか

そういうことに納得がいくようになるかと思います。

 

 

 

私のところでコーチングを受け
英語を教えることのスキルを磨かれている先生方は
とにかく「学んだことを腑に落とす」ことを徹底されています。

 

Internalizeさせる、ことですね。

 

 

どんなに素晴らしい教えでも

それを内臓(腑)全体にまで行き渡らせることが出来ていないと

それはあまり意味がないのだと思います。

 

知識として持つには、そのままでも気分が良いでしょうが

それって、ブランド物のバッグを棚に並べて満足するのと同じ。

 

 

特に、誰かを指導をする立場にあるのなら

内臓(腑)全体にまで行き渡らせる学びを
常日頃から心がけていないと

「教える」ということが

単に上滑りな言葉を並べるだけの作業になってしまいます。

 

例えば同じ言葉を伝えようとしても

言う人によって、その影響力や信憑性は大きく異なるのは

「指導をする人」の人間性や学びの深さ、体感経験値が

全て、エネルギーとなって、

それを必要とする相手に届くからではないでしょうか。

 

 

だから基礎が大事なわけであり

応用に想いを馳せる感性も
文学のような芸術的教養も大事なわけであり

 

こういう1つのエネルギーの集合体に
感動する心も大事なのだと思います。
 

 

 

 

 

もちろん、学びを内臓(腑)全体にまで行き渡らせるためには

まずはきちんと論理的な部分をも理解しないといけません。

 

デルタ脳波速読法で有名な植原紘治先生も
ご本人の著書でこう語られています。

 

“「芸術は右脳だ」なんて寝ぼけたことを言っている人もいるけど、

芸大に行ってごらんなさい。一番先に勉強するのは論理学です。

論理ができなかったら、芸術なんてできません。

絵画にしたって、彫刻にしたって、何にしたって、

論理的に通らないものが名作になるわけがない。

 

(中略)

 

なので、左脳をできるだけ鍛えて、左脳を全開にさせる。

その先に左脳と右脳がリンクして働く状態が生まれます。”

 

 

 

分かりやすいところでいうと

例えば、私の音読コースの受講経験ががある方は

セッションの流れ自体も
計算されたものであるということが分かるかと思います。

 

そして、それはコーチングも同じ。

 

だからこそ「内臓全体にまで行き渡らせる学び」が可能となるのです。

 

 

 

皆さんが英語を教えていらっしゃる場合、

こうして

「指導をする人」の人間性や学びの深さ、体感経験値が全て

重要ポイントとなってきます。

 

そうしたところまでをも大事にして

そのうえで、良い指導をしていきたいものですよね。

 

 

自分が「そう」出来ているかな?と不安な方は

まずはそうしたことが出来ている方達と繋がるのもお薦めです。

(例えば、ETAJの先生方とか、ね!)

 

 

 

 

Happy Learning & Happy Teaching!!!!! 

 

 

 

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