【英語を教える】指導者に読んでほしい「カンニング竹山」さんの古典不要論について。

 

 

おはようございます。英語を教えながら
英語の先生の先生をしています、ミツイです。


先日、英語のレッスンを受講中の生徒さんから
X(旧Twitter)にて、とある芸能人の方が
「古典は不要だ」とお話をされたとのことで
それに対する賛否が巻き起こっていた、とお聞きしました。

 

 

 

Yahooニュースはよく過去記事を削除しがちなのですが
一応、全文はこちらでご覧いただけます。

 



まず大前提として
学校で学ぶことは
社会で生きていく中で知っておくべきことの

「下地」となり得ることであり、
「知っておくべきこと」そのものではないこともある
ということがあります。

 

つまり、授業でAを教えることによって
Bを考えさせ、Cに気付かせる、というようなことも
教育の手法としてあり得る、ということですね。

 

 

以前、ブログでも
こんな文を書いたことがあります。

 

言語学の基礎知識がないと
例えば誰かが「A」と言ったことに対して
その連ねられた言葉を左脳で取り込み
「なんだか分からないけどすごい」
という認識レベルで終わってしまいます。


でも、例えば言語学の知識が深い人は、
例えば誰かが「A」と言うと
「そこからBを思い、Cの可能性を感じ、
Dに感動する」ことが出来るのです。
 

学問の基礎知識がある人とない人では
これほどまでにインプットの質が異なっているのです。

 

全文はこちら↓

 

 

ただ、こうしたことって

実際に「これ」を実感した経験のある人にしか
語れないことでもあります。

 

だって、富士山の山頂まで登ったことがない人は

ネット情報や知人からの話、巷に出回る写真などから

「推測」をして

そのきれいさを語ることしかできませんよね。

 

正直、日本には

そこまで「学び」を追求している人の数が

多くないように思えるので

そうして教えてあげることができる大人が

少ないのかもしれません。

 

(というか、しっかりと学びを追求している方で
発信にも力を注いでいる方が少ない、のかもしれません



話は戻りますが。。。

 

学校で学ぶことは
社会で生きていく中で知っておくべきことの

「下地」となり得ることである、と書きましたが

 

それは、例えば

論理的思考や批判的思考を養うための訓練に

使われることもあります。

 

そして、それってすごく「見えづらい」こと。

 

 

ですので、こうした

「見えないところの学習効果」までをも見ることが出来ない場合
(そして、それは仕方のないことでもあります。
日本の先生方は「これをするのはXXのスキルを得るためです」とまで
説明してくれないことが多いので)

 

分かりやすい表面的な部分だけで

「役に立ちそうかどうか」を判断してしまうことが多いわけですね。

 

そして、そうした表面的な部分だけで語ると
カンニング竹山さんが仰っていたように

就いた職業によって「XXは役に立つか否か」というレベルでしか

話が展開できないのも、仕方がないわけです。

 

 

ですので。

日本の先生方。

今一度、各学年の、各学期の、各シーズンの

シラバスを見直しませんか?

 

 

シラバスをシッカリと作り、それに沿った指導をしていたら

「なぜ、今、これを学ぶ必要があるのか?」ということが

きちんと明確に生徒に伝わるはずです。

 

指導理由や、その先に見出してほしいスキルや気付き等を

きちんと言語化し

「どうしてこれを学ばなくてはいけないの?」という質問に

「そういうものなんだよ」なんて雑な返答を
しなくても良いようにしておきましょう。

 

 

普段から、生徒に思考を促すやり取りを心がけ

あなたが答えを出すのではなく

「どうして、その教科が必要なんだと思う?」
そういう声かけをして
気付きを促してあげるようFacilitateできるようで在りましょう。

 

 

厳しいことを書きますが、

そういうやり取りができないと

「グローバル社会で活躍する生徒」を生み出す指導者としては

失格なのではないかとさえ、私は個人的に、思います。

 

だって

「どうしてこれを学ばなくてはいけないの?」という質問に

「そういうものなんだよ」なんて雑な返答をするようでいては

生徒の論理的思考力も批判的思考力も伸ばせないですもんね。



「無用の用」も教えてあげましょう。

 

カンニング竹山さんの場合も

おそらく「無用の用」という言葉さえご存知ないのかもしれません。

だからこそ「そういう」発想になるのかと思います。

 

この時点で

「だから、古典を軽視するようなAttitudeでいては

教養がないと思われてしまう」

ということに、繋がるわけですが

 

例えばカンニング竹山さんのご職業が

芸能活動だったから良いものの、

これでグローバルなシーンで活動をするようなものでしたら

「そんな考えの人は話にならない」
「考えが浅はかすぎる」

見做されてしまうこともあり得るわけです。

 

 

英語の先生方、

私達の仕事は単に英語を教えるだけではありません。

 

教えている「英語」が

どういうAttitudeと共に話されることが多いのか、

どういう社会的シーンで使われることが多いのか、

そういうことまでをも意識したうえで

キチンと英語を教えていくことが必要です。

 

 

ですので、あくまでもグローバルな視点は把握し

それをリスペクトし

その世界に生徒達が馴染み、そこでも活躍していけるよう、

そうした指導をしていけるようにしましょう。

 

 

 

 

Happy Learning & Happy Teaching!!!!!
 

 


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