【英語を教える】なぜ「知的財産の盗作」がいけないのか、の私が思う理由。

 

 

おはようございます。英語を教えながら

英語の先生の先生をしています、ミツイです。

 


私は常々、色々な場所で
「知的財産を尊重しましょう」ということをお伝えしていますが

本当のことを言うと
誰も何も所有していなくて、全ての媒体に対して
私たち全員は平等にアクセスできるんだと思います。

 

こういう感じで。


でも、地球上のルールでは
似た性質を持つ波動領域を区切って

それぞれに名前を付けて取り扱うわけだから

「所有権」というものも生まれるわけだし

Aさんから生まれたものは

Aさんから生まれたもの以外にはなり得ないんですよね。
Aさんの波動に共鳴したことで具現化されたわけなので。


そういうものを
無理やり自分のものにしてしまったら
きっとそこにはエネルギーの歪みが生じて。
 
そうして歪んだエネルギーを
「自分の真実」に招き入れてしまうと
結局、損をするのは自分自身(と、その生徒さん)

なんだろうな、と思います。


でも、That's not the end of the story。


例えば、Aさんの教え方だとか
Aさんのアイディアだとかを「真似る」といっても
ほとんどの場合、それは表面化している部分だけを指しています。
  
キレイに咲いたお花だけを見て

真似ている「つもり」になっているだけなんです。
 
でも、教授法も教材も
それこそ人間性だって
「見えない部分」が大事。

根っこの部分こそが大事。



なので、人の教え方やアイディアを真似て
「出来た♡」と思っていても
大事な部分が欠けている劣化版を用いているだけなんです。

さて、そういう状況での被害者は誰でしょう?





そう、その当人と、その人の生徒さんですよね。



そもそも
「何かの名前」だけを見て判断しようと思っても
それってとっても難しいことで。

分野や情報源の違い、その他の個人的な好みにより
人は、同一の波動領域の媒体に対して
特殊な呼び方をすることがあります。

その逆も然り、で
同一の名称を、異なる波動領域の媒体に用いることもあります。

ですから
名称だけで判断せずに
それが具体的にどんな概念で使われているか、ということに
十分注意を払う必要があるんです。
 
 
「名前」でさえ、そうなのに
教え方やアイディアの表面化している部分だけを真似て
あたかも自分のもののように教えてしまうって
非常に杜撰で浅はかな行為ですよね。
 
 
 
例えば、私は自分の英語コースの特徴を
「脳の性質」を用いて紹介することがあります。

 


「右脳活性化」だとか
「右脳と左脳の連携を強める」だとかですね。

 

"Because they process information differently, 
each of our hemispheres think about different things, 
they care about different things, and, dare I say,
they have different personalities." (Dr. Jill Bolte Taylor) 



そうして紹介することで、利点が2つあります。

◆私が意図していること
コースで大事にしていることが
より多くの人に伝わりやすくなる。

◆こうした脳の性質を
受講生の「意識下」に置くだけでも学習効果が高まる。


このことを考慮して
私は、自分の英語コースの特徴説明に
「脳の性質」を用いる選択をしたわけです。


ただ、それらの単語を使うからには
定期的に神経言語学の論文に目を通したり
脳科学の情報収集を習慣化したりしていますし、

何より、「知識だけ」で語りたくはないので

様々な方法を用いて
「右脳を通して世界を見る」という体験と
「左脳を通して世界を見る」という体験をするようにしています。
 

Dr. Jill Bolte Taylorがこうして語れるのは
彼女自身がそれを体験したからであり、

 

 

 
私も、そうした姿勢(自分で体験したことを掲げる)を
大事にしている、ということですね。


もちろん、そこまでしなくても良いかもしれませんが

教えることは、まず自分が行う、ということ。

私はそれを大事にして、20年近く英語教育に携わってきています。


皆さんは、どんなことを大事にしながら
英語教育に携わっていますか?

 


ーーーーー

 

今回の記事冒頭でお話したようなことは

英語教育とは
全然関係なさそうに思えるかもしれませんが
この世の事象は全て1つ。繋がっています。


この世にStoryとして存在するということは
わざわざ、それが用意されていることであり
つまりは、絶対に関係性があるということ。 

それに気付くことが出来るかどうか、
そんな恩恵を受けることが出来るかどうか、というのは
個々それぞれの学びの進み具合や
今世で達成するべきこと次第なのだと思います。


なので
直感的にピンときた方にだけ
お付き合いいただければ嬉しいです。


私ミツイを信じて一歩踏み出してくださった皆さん、
2024年度もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

Happy Learning & Happy Teaching!!!!!
 

 

◆今月のETAJ勉強会は

新年度だからこそ自分軸を整える!ということで

「新年度、自分に向き合う勉強会」となります。

ETAJ会員でない方の参加も大歓迎です💚

 


◆ベレ出版さんのNoteブログにてブログを公開中!


第1回目の「英語は道具ではない」という記事はこちら
第2回目の「多様性」に関する記事は
こちら

第3回目の「自分の意見」に関する記事はこちら
第4回目の「異文化交流」に関する記事は
こちら



◆「前置詞使い分けプラクティカルワークブック」販売中!!