ちょっとした冒険でした。

お会いしたかった方に会えました。

 

毎年、この時期、我が家の推しが、あるイベントに誘われて出展をしています。

この先お誘いを受けることができるかどうかは、全く、不確実なことなのです。

 

そのイベントに行くべきかどうか、まずは、それが第一関門。

気になる、迷惑かも、を堂々巡りして、しんどいな。

思い切って聞くと、興味があるならくれば、と。

愛想はないけれど、彼女も、いっぱいいっぱいの時期でしたから、それはそれで精一杯でしょうと思いました。

 

それから、もう一つの気がかりは、その地に赴くなら、会いたい方がいる、ということ。

実際お会いしたことはなく、でも、長くやりとりをしていて、性格とかもなんとなくわかっているようなわかっていないような。

すでに知り合いのような気持ちになっているけれど、本当は知らないのかもしれない、とか。

昔で言ったら、ペンフレンドみたいな感じですか。

 

会ってみたいと言ってくださったことはあっても、社交辞令かもしれないし、おおげさかもしれないし、なにより、このわが身をさらし、がっかりされるのではないかと思うとなかなか勇気が出るものではありませんね。

 

でも、昨年、同じ地に行きながらも、ニアミスで、会うことはかないませんでした。

元気があれば、調整もできたはずでしたが、そこまで力が及びませんでした。

でもそのときに、我が家の推しを通していただいたお菓子とお手紙を見て、心に触れることができた思いがしたんです。

もう少し連絡を取ってみればよかったのかなぁとも思ったり。

そのお菓子の箱は今でもピアノの上に飾って、わたしだけのお菓子入れとして大切に使っています。

 

そうして迎えた今年、その時期がやってきて、どうしよう、連絡をしてみようか、散々迷いました。

会わない方が夢がつながる、ということもあるのかもしれない。実際そんなニュアンスのやりとりもあったような気もしますし・・・。

 

誰しも、人の本当の気持ちなんて、わかりません。

自分の気持ちだって、よくわからないのですから。

 

自分自身に問うてみました。

「いつか、会ってみたい」気持ちがある、と、わかりました。

 

その、いつか、って、いつ?

いつか、は、くるの?

 

これから先の人生の中で、どう考えたって、今が、一番元気な時。

自信はだんだんなくなってきているけれど(そもそもなかったけれど)

今はかろうじて、社会に在席しているし。

 

今後の中で、今が一番、ふさわしい。

 

頼りにできるのは、自分の気持ちだけ。

他の方がどう思うかはわからないし、自分の力の及ぶ範囲ではないし、その方に任せておけばいいのです。

(昔、カウンセリングで学んだことが活きてきた気がします。)

 

で、思い切って、都合をお聞きしてみました。

該当日の10日ほど前のことだったでしょうか。

これ以上遅くなってはいけない、と、自分の中でのリミット的な日にちでした。

 

そして、ピアノの会が、都合よくあればいいなぁと夢みたいなことを考えていたのですが、それが都合よく、あったんです。

でも外部の者が簡単に入れる場所ではないことを後から知り、だめだろうなとあきらめかけていたんです。

あまりに急なことでしたから。

でもでも、すごく尽力してくださって、聴くばかりか、演奏をする機会までいただいてしまいました。

 

弾く曲がないと、躊躇する気持ちも、ほんの少しありましたけれど、弾いてみたいという気持ちが高まってきました。

ピアノを聴いていただくって、わたしってこんな人です、って宣言しているようなものだと、常々思っているんです。

聴けば何かがわかり、弾けば何かが伝わる気がして・・・・。

 

ピアノがそこにあったから、すんなり入ることができました。

すごく居心地がよかったです。

声もかけていただきました。

日頃は無口な私です。

でも、知りたくて、目が合った方には、何を弾かれた方かと問うている自分がいました。

(会場では、後姿の弾き姿しか見ていないので、お顔ではわからなかったです。)

 

お食事会も参加させていただき、本当にこの場にいることが、夢か現実かわからないような気持ちでしたね。

 

また、ぜひ、参加させていただきたいなと思いました。

一つだけ、心配が。

 

あの日は、わたしは、非日常感いっぱいでした。

いつも6時半に目覚ましをかけていても、7時10分にしか起きられないのに、朝4時半に起きて、5時45分に家を出られて予定通りの乗り物に乗れたことで、すごく自信がつきました。

わたし、できるって。

 

いつものわたしは全然違うので、次、行くことがあっても、同じようにはならないので、それはご了承いただきたいという気持ちです。(誰に言ってるの??)

 

まあ、それもこれも、全部、自分ですものね。

 

勇気を出して行動して、本当によかったです。

 

きめ細やかに手助けをしてくださって本当にありがたかったです。

 

それから広いお心で対処してくださった主催者様や、お食事会で楽しく過ごしてくださって方々、電車への道中などでも楽しくお話をしてくださった方々、温かく接してくださって本当にうれしかったです。

 

本当にありがとうございました。

言葉足らずで歯がゆいのですが、まずは、お礼が言いたくて書きました。

 

 

 

 

 

3/9追記

 

*当日の恥ずかし演奏*

 

ブルー音符ショパン エチュード op.10-3 別れの曲 途中から  

 

※2012年にいったんは仕上げたものの、すっかり忘れ、2023.12月終わりころから復習を始めたところ。楽譜はもちろん見ています。

舞台下手に設置されていた聴衆席にレコーダーを置いて録ったものです。

動画も撮ってくださったのですが、不得手で、とりあえず今までと同じやり方のものをUPしました。※

 

 

 

家でもまともに弾けていない状態だったので、想定内でしたが、演奏というには程遠いものに実際なってしまい、フラフラになって座席に戻りました。しばらくどんよりしてしまったのですが・・・・。

音がきれいだった、とか、うるうるした、とか、予想もしていなかった言葉をかけてくださって、本当にありがたかったです。救われました。

 

・・・

 

余談ですが、先日、地元で小規模の弾き合い会があり、もう少しましになった、この曲を弾いたんですね。最初から最後までバージョンで。弾いている間中おしゃべりが止まりませんでした。滝汗

人のせいにするわけではないですが、集中力を保つのは難しく、曲に気持ちを込めるなど難しかったですね。

悲しかったです。

 

そうした経験をして、改めて、2月のこの記事の時は、聴衆の方があたたかく聴いてくださったから気持ちよく演奏できたのだなと身に沁みました。

(もっとも趣旨がちがうので(たぶん)、単純に比べたら、地元の弾き合い会さんに悪いですね。)

 

できる範囲でにはなりますが、懸命に練習したものを弾くのだから、静かに聴いていただく方が、わたしは好きだなぁ。

そういう風な弾き合い会になったらいいなぁと思うのですが、なかなか意見は言えません。滝汗