先週はThanks Givingの休暇を利用して、東海岸のいくつかの都市を回るついでに、こちらで働いている知り合いをたずねた。

一人はアメリカ人の大学院生で、日本がフィールドの人であった。彼は文系の学者なので理系と多少違うが、日米の大学を比較して彼が言うことには、「正直、日本の同じ分野の学者とはあんまり友達になれないんですよ」というのである。なぜかというと、「人間としてフツーじゃなかったり、面白くなかったり、オタク過ぎたりするから」だそうである。なんで日本の学者はそうなのかときいたら、多分試験だけで院生を選抜して、なんかのコネで就職しているからではないかと、ずいぶん過激なことを言う。が、そのうちもっともだと思うようになった。

アメリカの場合、アカデミックな就職は書類審査、発表、口頭試問などがあり、この辺は日本と同じであるが、最後に重要なのはなんと「ディナー」である。このディナーは格式の高いレストランでちゃんとした格好をして行われる。しかし、彼に言わせるとディナーが一番重要なファクターであるという。つまり、ここでちゃんとした礼儀作法やマナーができているか、また普通に人間的な会話が可能かどうかを見て、大学との相性も探るのであるという。

日本だと、大学の先生は多少世間並みでなくても、まあ大学の先生だからで許されるところがあるが、私はそれは違うと思う。やっぱり、ヘンな先生というのは、業績的にもヘンだし、大体教育の場なのだから、ヘンな先生を雇ったところで、学生に利益になることは無いだろう。

理系にもディナーがあるのかよくわからないが、私のいる大学でも、先生方は本当にちゃんとした社会人で、どこに出してもちゃんとやっていけるような人だと思う。それに比べると、日本の大学の先生は時々ヘンなのがいて、大丈夫かと思うが、やっぱり大丈夫じゃないんだと思う。研究所だと、上からの指令があったり、協力しなければいけないところがあるので、それなりに世間にもまれるところがあるが、大学だとなかなかそうはいかないので、入口の選抜は大切だと思う。

ただ、アメリカの大学が完璧かというとそんなことはない。とくに、非常に有名な大学のバリバリ働いている若手には、とんでもなく非人間的なやつがいると言うことは良く聞く。バリバリやっている先生は魅力的だが、その辺はよくよく注意した方が良いと思う。

ところで、日本の場合はオタクな学者しか大学に残らないのはある意味当然である。それはディナーで選ぶ以前に、院生が無給なうえ、学位を取ってもパーマネントの職が見つからず、一般社会に出ようと思っても新卒だけが優先的に採用される、ということであれば、世間的でない価値観を持った人だけが大学院に行くというのはごく自然の成り行きではないだろうか。学問の振興のためには無駄なようでも修士の学生からお金を出すようにしないと、良い人材が来ない。修士からお金を出すというのは先進国の世界標準で、これは早急に手当てするべき事柄だと思う。