『仮想儀礼』・最終回 | なにわの司法書士の徒然草

なにわの司法書士の徒然草

つれづれなるままに日暮らし
PCに向かいて
心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書きつづれば
あやしうこそものぐるをしけれ

NHK-BS日曜22時のドラマ『仮想儀礼』

 

 

最近のドラマは、どうしても話題になること、ネットでバズること、トレンド上位にくること

 

そんなことに捉われて、原作のないオリジナル作品にしてみたり

 

やたらと謎ばかりばらまいて考察させることに終始したり

 

そんな作品は多いが、ネタバレの小説原作だったって、ストーリーがしっかりしていれば

 

素晴らしいドラマは作れる、そんなことを再確認させてくれる作品

 

 

最初に見たときは、金儲けだけを目的にした宗教ビジネスを題材にしていたので

 

口八丁手八丁で騙して信者をかき集めて、その挙句に嘘がばれて転げ落ちていく

 

そんなコメディなんだろうと思っていたが

 

ここまで宗教とは何かということに正面から向き合って

 

宗教にはまる人、帰依せざるを得なくなった人を真剣に描いていくものになるとは思わなかった

 

 

序盤は思ったとおりに軽い感じのコメディで進んでいた

 

青柳翔と大東駿介が、安っぽい感じで思い付きで作った御本尊や教義

 

宗教というよりも人生相談に近いご近所の井戸端会議的な集まりだった教団が

 

いつの間にか大きな渦に巻き込まれていく姿、事が大きくなりすぎて引き戻せない2人

 

 

大きな宗教団体の標的となり、善意でしてくれていると思っていたことが

 

詐欺や政治家の裏金作りに加担させられていたり

 

ライバル教団の恨みを買ってデマを流されてマスコミに叩かれることになったり

 

果ては、信者が暴走し始めて、結果的に大東駿介が命を落とすことにまでなってしまう

 

そこに描かれたのは、嘘の宗教を笑い飛ばそうというコメディではなく

 

新興宗教の闇を深く描くドキュメンタリーのようなエピソード

 

 

最終的には、残った3人の信者に全てが嘘だったことを告白する青柳翔

 

自分たちの嘘のために死者まで出したことを悔やむ青柳翔が口にしたのが

 

「教団を信じ込ませるためにいろんな嘘を考えたのに、なぜ弔いの儀式を考えなかったのか」

 

その後暴走した美波と松井玲奈に追われた山中で大東駿介が命果てることになり

 

でたらめながら初めて行った弔いの儀式が、盟友の大東駿介を送ることになるなんて

 

このシーンを見ると、宗教なんて団体だとか利益だとかそういうことではなく

 

言葉だとか作法なんてどうでもいい、他者を弔いたい、その純粋な気持ちが

 

宗教の始まりかもしれない、なんて真剣に考えてしまう

 

 

一番ラストのちょっとしたどんでん返しも、いろんな風に受け取れて

 

その解釈がわかれそうな面白い場面

 

青柳翔を頼りにして教団の集会所に毎日のように来ながらも入信はしなかった川島鈴遥

 

大きな力に引き込まれてしまったことを自覚した青柳翔が

 

これからの教団の全てを記録してくれと頼んだのも、信者ではないからこそ客観視できるから

 

最後に青柳翔が逮捕され法廷で懲役刑を言い渡される場面でも傍聴席でメモを取っており

 

よくあるパターンとして、ノンフィクション小説でも出版すると思っていた

 

 

ところがそんな様子もなく、川島鈴遥が自転車でどこかに出かけようとするシーンになり

 

会話からは、お年寄りの多いところに行くのか、管理栄養士だから料理でも作るのか

 

そんなことを軽く思っていたら、忘れ物を取りに帰った川島鈴遥の部屋には

 

青柳翔が叩き壊したはずの御本尊が修繕されたつぎはぎ姿で置いてあり

 

壁には教団の集会所に飾ってあった「万物は仮想なり」の額縁

 

最終回のサブタイトルは「そして宗教が生まれる」

 

青柳翔が獄中で教団を復活させて、川島鈴遥がその第一号の信者になったとも見えるし

 

川島鈴遥自身が教祖になって、青柳翔の教えを引き継ぐ宗教団体を作ったようにも思える

 

今から行く場所にいるお年寄りは信者なのではないか、ということまで想像させる

 

ちょっと背筋に冷たいものも感じるラストシーンは小説ならでは

 

オリジナルではなかなか描けないだろう