「 免 罪 符 」
苦しさに喘ぎながらも
何かを探しているなら
愛しい人に別れを告げ
独り歩む事になるなら
髪を振り乱してなおも
叫ぶ日々が訪れるなら
未来へ続く希望の為の
それらすべてが免罪符
愛しき人よ涙をふいて
君を愛した別れた人が
貴女の事を愛したよう
他の誰かを愛するなら
君はすぐにも救われる
めんざい-ふ 【免罪符】
(1)ローマ-カトリック教会が、罪の償いが免除されるとして発行した証書。
一五世紀末には教会の財政をまかなうため大量に発行され、ルターの批判を呼び宗教改革のきっかけとなった。
贖宥(しよくゆう)状。
(2)転じて、責任・非難などをまぬがれるための行為や事柄。
事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。
そして
神は死んだ
フリードリヒ・ニーチェ
偉大な哲学者が語り 大論争となった言葉
大乗仏教を知らない西洋人には とても大きな問いかけです そこからもう一度 自分に戻って哲学してみようという意味にもとれます
この言葉は彼にとっては精一杯の言葉です それ以上語ると 当時は殺されていたことでしょう
全ての原因は 神の意思にあるのではなく 偉大な人間の魂の中にカルマとしてあることを 提起しています
免罪符を発行し 文化を壊し 人の尊厳を貶め 聖書の改ざんを続けてきた キリスト教と名乗る 無実の人を火あぶりにして差別を 増長し しかも 今まで 数々の過ちを未だに認めない 偽宗教への 問題提起に他なりません 実際に 歴史を紐解くと 神の名のもと 人を一番殺してきた 人類の敵なのにね
こりゃマルチンルターも 怒るはずだよ
ちなみに改装されていないキリストの言葉は 僕は大好きです
大切なものでもきっと
形あるものは 壊れゆく
だけどまだつかめない
本当のものがあるんだ
あの空のように
僕と宍戸さんのコラボです
私は聖書や経典を哲学書として読みます。宗教は私の中では半分崩壊しているからかもしれません。
それでは今日は病気や障がいが起こる原因について考えてみることにします。これはあくまでも物語として読んでくださいね。
苦 悩と幸福。煩悩と菩提。悪と正義。対局する二つのものに翻弄され、どちらかに身を置かなければならない二極化の考え方が、この世界の対立を生んできたのか もしれないと思う。
貧困と富裕。宗教の対立。白人と黒人。それらは同じ人間としての立場であることこそが基本であることは間違いないにもかかわらず、それ が対局化して差別を生み戦争を黙認してきたのかもしれない。
この宇宙も生命も、じつは永遠であり、その美が私たちの居場所である。いいや、それが真実であ ろうと無かろうと、そう信じる者はより大きな世界に居住できることは間違いないだろう。
これを仏教では不二の法門という。この大乗仏教の法門こそ「全てのことには意味がある。」ことを説明していると詩人は思う。
釈迦の時代には中インドに素晴らしい徳を備えた維摩(ユイマ)長者がいた。釈迦の高弟である菩薩たちも一目置く人だったと云う。ある日その維摩居士が重い病に伏せってしまった。心配した釈迦は知恵第一の高弟、文殊菩薩を使わせて見舞いを行なった。
文殊菩薩は維摩居士に問答して曰く「貴方の徳をもってして、どうして病に伏せられたのですか」と。
維摩居士曰く、「この世の者たちが病むので私も病になるのです。もし、全ての者の病が癒えるのであれば、私も病むことはない。(中略)この世界の者たちが病めば菩薩もまた病むのです。すなわち衆生の病が癒えるとき、菩薩もまた癒えるのです」
文殊菩薩また曰く「その病の起こる原因はなんでしょうか?」
維摩居士答えて曰く「菩薩の病とは大慈悲によって起こるものなのです。」と。
※『維摩詰経』巻中「文殊師利問疾品第五」(松尾多聞訳)
経典とはお伽話として読んでも面白いものだと思う。しかし、我がこととして読むことが出来るならば、その人は素晴らしい哲学を身につける知恵をもつことができる。維摩居士は病にも理由があることを示してくれた。
「この時代に生きて出逢いや笑いを繰り返すことに心から感謝することを忘れていた。」大病をした友人が病床で何度も後悔を口にしていたことを思い出す。彼は後に元気になってくれたが、あの時のことを生涯忘れないために病気をしたんだと今でも信じている。その彼の不二の法門を私は心から尊敬できる。
も し、貴方の配偶者や子供、あるいは親が病に伏せったとしたら貴方は心穏やかで幸福に生きていられるだろうか。また、仲良くしてくださる友人や近隣の方々が 同じ病に苦悩して、あなたは心配しないでいられようか。そして世界では多くの人々が戦争に苦しみ、数秒に1人が飢餓により死亡している。その現実に顔をそ むけることができるだろうか。
世の中が乱れると救世主がより多く生まれてくる。
子供は親を選んで生まれてくるという。
しかし、その両親を選ぶ前に神様から「使命の箱」を いただき、それをもって後に親を選ぶという。子供たちは神様が提示した「使命の箱」を自分で選び出す。
その箱には「医療家」、「法律家」、「宗教家」、 「技術者」、、、たくさんの使命の箱があるが、その箱を貰った子供達は、その箱の使命を果たし、その使命の効力で親までも幸福にできる場所を選んで生まれ てくる。
何度も繰り返される生命の営みの中でも重要な時を迎えた魂たちのグループが、生まれるために箱を選んでいた。するとその中でも聡明であり、より光が強く明らかに進化した魂を持つ子供が話している。
「みんな!僕は皆より強いからこの箱を選ばせて。僕ならパパとママに大切なことを教えてあげられる。僕なら大丈夫。一生懸命やれるよ。」
その子は「障がい」という箱を選び、その箱を手にして、その子を必要とする親や社会のもとに生まれてくることになった。自分や親の苦悩を社会や世界に少しでも知らしめて愛を思い出させるために。救世主となって生まれてくるのだ。
不二の法門と は全てを貫く愛の原理であり、それを人々が知るためには長い道のりを必要とすることだろう。それは現在の経済優先の世界では知ることがままならない慈悲な のだ。いま日本では介護老人を省く、精神や肢体そして知的障がいのハンデキャップを持つ人々が700万人を超えて人口の6%になろうとしている。
「衆生病むとき菩薩もまた病む。」維摩居士の言葉が私の脳裏に何度も去来する。彼らの使命を思う時、私は涙し、そしてじっとしてはいられなくなるのだ。
僕が ポエムを書いて 宍戸健さんが作曲した 最新曲2曲をどうぞ
な み だ
その胸にそっと 力を貯めてる
君は笑顔をみせているのさ
時雨が窓を叩いて濡らすように
心の内側が 曇ってる 君がいる・・
ぬぐう窓には 秋雨
冷たい時雨に 曇る窓
涙を流していいのにね
偽らなくていいのにね
2.
君の季節は 涙が迎えて
君の季節は 涙と別れて
人はみな 錬金術師みたいだ
思い通りに いか ないから・・
ぬぐう涙は 君のため
知らない世界を 見てごらん
涙はいつでも 君のため
新しい 自分探しさ
ぬぐう ほほには 秋雨
泣いた分だけ 強くなる
そうして自分を見つけるよ
泣きながら 見つけてく・・
ぬぐう窓には 秋雨
冷たい時雨に 曇る窓
ぬぐう窓には 秋雨
冷たい時雨に 曇る窓
涙を流して いいのにね
偽らなくて いいのにね
ぬぐう窓には 秋雨
冷たい時雨に 曇る窓
ぬぐう窓には 秋雨
冷たい時雨に 曇る窓・・
涙を流していいのにね
偽らなくていいのにね
優しい君がいなくても
今は泣いてもいいのにね









