軍による侵略と、それによる貧困の格差と教育に命を何度もかけて死んでいった男がいた。その人は自分が死ぬことを知り、それでもやめることがなかった。経済社会の矛盾と人心の醜い強制に命を捧げて戦った男がいた。


30代でCIAに暗殺されたその人が残した国では大国の妨害にもかかわらず自給自足を達成しながら医療と教育の無償化を行い、そしてその友人は国家元首となり年収数万円を生涯貫いている。


 


ブログランキングに参加しています。
あなたの優しさでワンクリックお願いします。↓



【 あの人の人生を知ろう~チェ・ゲバラ 】 

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html より


●チェ・ゲバラという漢(おとこ)

チェ・ゲバラ(キューバではゲバーラと言う)の本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。1928年6月14日、アルゼンチンに生まれる。つまり、彼はキューバの英雄となったアルゼンチン人だ。“チェ”はあだ名で、意味は『心にくいヤツ』『(掛け声の)よっ、大将』。
19歳の時にブエノスアイレス大の医学部に入り、25歳で博士号(医学博士)をとっている。

彼は在学中に約1年間ラテンアメリカ全土をオンボロのバイクで放浪し、南米社会の極端な貧富の差に社会の矛盾を感じ、どう生きるべきか思い悩む。
特にインディオをはじめ、各地で少数民族が不当な弾圧を受けている現実に打ちのめされた。

『その頃私は医者としての個人的成功を夢見ていた。しかしこの旅を通じて考えが変化した。飢えや貧困を救うには注射だけでは不十分だ。社会の構造そのものを変革せねば。病人の治療より重要なことは、病人を出さないことだ』
彼は貧困層を取り巻く劣悪な住宅環境や、深刻な栄養不足を改善することこそが、自分の最優先課題だと考え始める。


この子がやがて歴史を作っていく 「ボクはどうしたら…」悩む青年ゲバラ


医学部を卒業後、ペルーの診療所に行くはずが途中でグアテマラの内戦に遭遇。グアテマラでは左派政権が大地主の土地を没収して貧しい農民たちに分配したが、これをきっかけに富裕層や米国に支援された反政府軍が攻撃を開始。ゲバラはグアテマラ政府軍の一員として戦うが敗北しメキシコへ脱出する。そこで運命的に出会ったのが、生涯の盟友となるキューバ人の青年弁護士、フィデル・カストロだった。
カストロはキューバ国内で反政府運動に参加していたが、厳しい弾圧を受けてメキシコに潜伏していたのだった。

《キューバ革命に参加》

1950年代のキューバは米国の属国同然で、土地、電話、電力、鉄道すべての利権がアメリカ資本の手に渡り、首都ハバナはマフィアが横行する無法の歓楽街となっていた。しかもキューバ政府の要人は独裁者バティスタ将軍を筆頭に米国にゴマをする者ばかり。巨額の黒い金が支配層間で動いていた。

そのバティスタ軍事政権を打倒する為に、カストロは武装した同志82人と今まさに祖国に戻らんとしていた。情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの生き方に感銘を受けたゲバラは、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月、キューバへの密航船に同乗した。


ときにカストロ29歳、ゲバラ28歳。

   



アルゼンチンから世界へ

ところがこのキューバ上陸作戦は事前に情報が漏れており、海岸にはバティスタの政府軍がズラリと待ち構えていた。上陸時の激戦でメンバーの4分の3以上が死に、付近の山に逃げ込んで助かった者はわずかに17名。それも武器と食料の大半を失って…。
普通なら絶望してしまうところだが、この時にカストロが語った言葉がすごい。
「俺たちは“17人も”生き残った。これでバティスタの野郎の命運は尽きたも同然だ!」
戦車や戦闘機で武装した2万人の政府軍に対して、17名の革命軍でどうやって戦うのか。さすがのゲバラも、カストロが悲嘆のあまり発狂したのではないかと真剣に心配したという。

しかしカストロには、本当に勝算があったのだ。
キューバ人の大半を占める貧農は、普段から徹底的に支配層から抑圧されていた為、戦闘が始まれば必ず自分たちを支持すると確信し、事実そうなった。
これには、彼ら革命軍が農村で食料や物資を調達する際、必ず農民に代金を支払ったことも大きな要因だ。略奪が日常茶飯事だった政府軍とは決定的な差になった。
また、医者のゲバラは戦闘が終わると自軍だけでなく、負傷した敵兵にまで必ず治療を施した。こうした仁義話はキューバ全土にすぐに広まり、政府軍の中からもゲバラたちの仲間に加わる者が出た。

古今東西のゲリラ戦を研究し尽くしたゲバラは、政府軍の意表をつく様々な作戦を立案し、最少の人数で最大の戦果をあげ続けた。
一方、カストロは情報戦の重要性も熟知しており、積極的に内外のジャーナリストに取材をさせた。これでいくらバティスタが隠そうとしても革命軍の連戦連勝ぶりは民衆に伝えられ、ますます支持を得たのだった。

上陸から2年後、サンタクララがバティスタ軍との最終決戦の地となった。ゲバラは7倍の敵に対し、兵力の少なさを悟られぬよう複数の地点から攻撃を開始。また敵の退路を絶つ為に軍用列車を破壊した。パニックに陥った政府軍は雪崩をうって投降し始める。“ゲバラは捕虜を殺さない”という噂がこの投降を加速させた。
サンタクララ陥落の報を聞いたバティスタ将軍は、恐怖に駆られ国外へ逃亡する。

1959年1月2日、民衆の大歓声に迎えられ革命軍はついに首都ハバナへ入城し新政権を樹立させた
。首相に就いたカストロは若干31歳、国銀総裁のゲバラは30歳という、若者たちの政府が誕生した。




民衆に語りかける





ゲバラとカストロはすぐさま新生キューバの建設にとりかかる。

まず国民全員が文字を読めるよう教育を無償化すると共に、政府軍が使っていた全ての兵舎を学校に変え、文盲一掃運動に取り組んだ。続けて医療の無料化を実現した後、少数の大地主が独占していた土地を国有化、米国資本が牛耳っていた企業の国営化などをすすめ旧勢力の激しい抵抗を受けつつも独自の国家作りに挑戦した。


国民全員の家賃を半額にするなど、過激な政策をどんどん実行していった。

キューバ革命で最も煮え湯を飲まされたのが隣国アメリカだ。
キューバ全土の土地や電力、鉄道などの巨大な利権と、ハバナ歓楽街のブラックマネーを一度に失った米国は、革命政府に憎悪をたぎらしCIAを暗躍させ、爆弾テロ、米軍傭兵部隊の上陸作戦など様々な方法でゲバラたちを倒そうとした。


1962年、米国の破壊工作にブチ切れたカストロは、ソ連(当時)の強力を得て核武装に踏み切ろうとした。マイアミの目の前に核弾頭を突きつけられてはかなわんと、米国内はパニックになった。


これが俗に言う『キューバ危機』である(最終的に米国の圧力にソ連が屈し、核配備は流れた)。

左からボーヴォワール、サルトル、チェ・ゲバラ!すごい顔ぶれ!



《ゲバラは戦い続ける》

ゲバラが国立銀行総裁になって一番最初にしたことは、自分の給料を半分以下にカットすることだった。工業相になってからは自ら建設現場で働いたり、工場のラインに立って作業を手伝った。サトウキビの収穫期には農園で汗を流し、とにかく人々の中へ自ら飛び込んでいった。これは彼にとって美談

でも一過性のパフォーマンスでもなく、いつもの“ごく普通の光景”であった。
仕事場には誰よりも早くきて、帰りは誰よりも遅く、労働者に交じって食事をするゲバラ。国民の間でどんどん彼の人気は高まっていった。

※ゲバラはパワフルに各地の工場や畑に出かけていった!そこにもゲバラ、ここにもゲバラ!

建設現場のゲバラ 小麦を次々と袋詰め
糸を紡ぐゲバラ サトウキビ畑でトラクターを運転

…ところが!ゲバラが本当にスゴイのはこっから。
1965年、37歳になった彼は突如失踪した。彼は自身の信念によってキューバを去ったのだ。アルゼンチン人のゲバラは、キューバにおける自分の役目は終わったと判断し、貧困と搾取に苦しむ新たな国へ、再び一人のゲリラとして向かったんだ。国家の要人という地位を投げ捨て、再び過酷なゲリラ生活に帰っていった。
ゲバラはアフリカで戦い、続いて南米ボリビアへと転戦した。




彼は毎日欠かさず日記をつけていた。そこには“圧制者からの解放”という崇高な目的と同時に、仲間の裏切り、束の間の平和、食糧難に苦しみ高地をうろつき回る日々の様子が綴られていた。


『1966年12月24日、クリスマス・イブに捧げられた一日。(中略)最後にはみんなで集まって楽しい時間を過ごした。ハメをはずした者もいた』


『1967年5月13日、げっぷ、おなら、もどし、下痢の一日。オルガン・コンサートもかくやと思われる』


これらは捕われの身となる前日まで書き続けられた。

そして運命の1967年10月8日、ボリビア山中でCIAのゲバラ追跡部隊に指揮されたボリビア軍に捕らえられ、その翌日、全身に弾を撃ち込まれて射殺された。捕虜として収容所へ送られるのではなく処刑されたのだ。最期の言葉は上官の命令でゲバラに銃口を向け、ためらう兵士に叫んだ「ここにいるのは英雄ではない。ただの一人の男だ。撃て!臆病者め!」。39歳の若さだった。
ゲバラの遺体はすぐにヘリコプターで近くの町バージェグランデまで移送され、そこで“ゲリラのリーダーが死んだ証拠”として、見せ物のように晒された。人々が見学に訪れると、ゲバラは目をしっかり見開いたまま死んでいた。その死に顔があまりに美しかった為、「まるでキリストだ」と胸で十字を切る者までいたという。

ゲバラはキューバを去る時、カストロに別れの手紙を送っていた。

『フィデル、僕は今この瞬間多くのことを思い出している。初めて君と出会った時のこと、革命戦争に誘われたこと、準備期間のあの緊張の日々のすべてを。死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、死の現実性を突きつけられ慄然とした。後に、それは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死しかないのだ。


僕はキューバ革命で僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。だから僕は君に、同志に、そして、君の国民達に別れを告げる。僕は党指導部での地位を正式に放棄する。大臣の地位も、司令官の地位も、キューバの市民権も。今、世界の他の国々が、僕のささやかな助力を求めている。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕には出来る。別れの時が来たのだ。


もし僕が異国の空の下で死を迎えても、最後の想いはキューバ人民に向うだろう、とりわけ君に。僕は新しい戦場に、君が教えてくれた信念、人々の革命精神を携えてゆこう。帝国主義があるところならどこでも戦うためにだ。永遠の勝利まで。革命か、死か』

楽しそうにくつろぐゲバラ 子ども達と一緒に


※参考資料…『ゲバラ日記』、『エンカルタ百科事典』、『世界人物事典』(旺文社)、TBS『世界・ふしぎ発見!』ほか。






世界の男性から崇拝される漢。ゲバラ。


医師であり、戦士であり、そして友情の人。


国家の要職や立場を手紙ひとつで捨てて旅立った。


人々への愛のため、死ぬことを決めて。


彼が手に持ったものは聖書ではなく、機関銃だった。


世界の植民地支配という奴隷制度に立ち向かって死んだ。


それほど大国は残酷だった。それはいまでもそうかもしれない。


カストロは、彼によって作られたといってもいい。一生の間、年収を数万円に収めている。友情を守ったのだ。独裁者と言われても、CIAはその事実に驚き、今でも公開していない。


彼のやさしさと信念がいまあれば、銃を持たなくてもよかったのにと、涙がながれます。



ブログランキングに参加しています。
あなたの優しさでワンクリックお願いします。↓


自由詩人!松尾多聞のブログ
2012/06多聞 支笏湖にて

電気ってなんですか?

学生の僕は有名な教授に訊いた。するとその教授は唸り、しばらく考えた末に

電気は電気でしょう!といった。

あれから何年たったろうか?未だに電気の実態を説明した科学者を僕は見たことがない。

中道。大自然の実相。

二極論の世界では理解できない大自然の中に僕らは生きている。


自由詩人!松尾多聞のブログ


多聞は【エッセイ・ポエム】の

ブログランキングに参加しています。
あなたの優しさでワンクリックお願いします。




提婆達多(ダイバダッタ)は天才の誉れ高く釈迦の血縁でありながらも、その増上慢(自己への愚かな過信)により釈迦教団破壊を図り、阿闍世太子に悪逆を進め、釈迦に投石及び放象し暗殺を企てたことは事実である。

しかし釈迦は法華経提婆達多品第十二の中で,提婆達多は遠い過去世に釈迦の導師であり、天王如来となるという未来成仏を説いている。「人生万事塞翁が馬」と言う有名な伝書があるが、提婆達多の物語は生命が無限の時間の移ろいにあって因縁を繰り返しながら進化してゆくという、壮大な理念の実相である。

つまり釈迦は彼を「未来にこの救済思想を残すためには不可欠で大切な存在であり、提婆達多無くしては釈迦の真実は広まることが無い。」ことを知っていた。 

三 逆罪(阿羅漢を殺すこと、仏の体を傷つけて出血させること、教団を分裂させること)を犯した提婆達多。それでは彼は何のためにこの時代に生まれてきたのだ ろうか。キリストも釈迦も預言者であり身内の裏切りを前もって知るところだったにもかかわらず、その行動を許し自らを風上に置いてなお、困難に遭遇したの はどうしてだろうか。それは愛や慈悲を後世に伝えるためには、この「悪」の存在が不可欠であり、そもそも、その悪が人々の心にも巣食うものであったからに 違いない。




悪の人々。賢者を裏切る人々。その人でさえ壮大な物語には必要不可欠であったことを思うとき「悪」とは何であろうかと私は思いを馳せてしまうのだ。



あ なたは未だ聖人君子ではないとしたら「悪」を行ったこともあるだろう。人を傷つけ、知らずしらず環境や人々を陥れていることもあるだろう。また、自分の周 りや身近にも自己保身をはかるために個人や組織を貶め、権力者にすり寄り報復を求め、悪しき噂を流す者も多いことだろう。



しかし、もしもその経験が深遠なる貴方の生命活動の永遠の昇華において必要不可欠な経験であるならば、そしてそのことを貴方が覚知できる知恵を備えているとしたら「悪」と断じることが正しいことだろうか。



自由詩人!松尾多聞のブログ

人類の歴史で初めて無血革命を達成したかの偉人「マハトマ・ガンジー」は至近距離で発射された弾丸により暗殺されたが、倒れる刹那に額に手をかざしたという。インドではその行為は「貴方を私は許します。」という意味だった。キリストも最期の晩餐の後、弟子が裏切ることを知っていたにもかかわらず許し留まり、釈迦も提婆達多が天王如来となって無数の衆生を救済する付託を与えた。




 人間は愛により生きている。



 だから、自分が生きる源泉である愛に人間は背くことは出来ない。なぜなら人間は愛により生きているから。もし人間が愛に逆らってしまえば愛により罰せられるだろう。それは愛により克服されるまで継続する自己の後悔に他ならない。



 しかし、愛に背くものは「悪」であろうか。慈悲に立ちはだかるものは「悪」であろうか。例えば道に迷った者は、それでおわりだろうか。いいや、道に迷うものはいつか必ず新たな道を見つける。あるいは、その者が強ければ誰も知らなかった道を創ることだろう。



  遠回り。それは迷いであり、煩悩であり、愚かであり、こだわりであり、全てが生命に内在する実相そのものである。そしてそれは必然の学習道程であればどう だろう。だからそれは「悪」ではなく四苦八苦である。その心の状態だ。そしてその心が集まったのが社会そのものであり、そこから出ようとしないことのみが 地獄という。



  遠い太古に「悪」が存在しない世界があった。人々の心には正義も悪もなく、ゆるやかに、あるがままに暮らした時代があった。見たいものを見、歩きたい土地 を歩き、思うように生きていた。ある日、そこへ「悪」が生まれる。しかし、彼らにとって「悪」と感じる心の状態とは現在の進化に繋がる「正義」だったのか もしれない。




 人間は随時に生きて、時々の知恵により生き延びてきたことだろう。もちろん「悪」なき時代には「正義」も存在などしなかった。そしていつか悪は形を成して物質化して人々を苦悩させるときがきた。



  戦火は永遠と思われるほど人類と共存して来た。しかし、「正義」が形になり物質化するまでは至っていないのだ。それは人間の愚かによるもの。人間は(現代 人)は物事を二極化するように誘導教育されている。正邪が物事の基準になり、それが理論となると「切捨て」が必要になるのは道理である。「悪」と見なせば 「削除」するのだ。それが戦争であり、それが下等な宗教である。現代の科学も中道の思想にはなく、二極論の延長上にあるために、未だ大自然さえ説明できな いでいる。磁気の正体さえわからないのだ。



 「悪」とは貴方自身である。


 「正義」も貴方自身である。



 「世界」も貴方自身である。


 「全て」ひとつの物である。




貴方はその生命が集まった世界の一部を切り捨てることなど出来ない。



全てが貴方自身であり必要だから実在する状態だと知るべきなのだ。



 浄化という言葉がある。


  それは下等な小乗仏教から来た文句であることを皆さんは知っているだろうか。釈迦が無知の衆生に(幼稚園)、いきなり法華経(大学:永遠の生命)を説くこ とが出来ないために準備に数十年かけて説いたものが小乗仏教。自分さえ幸福になればいいという修行が未だに行われている。


  宗教の浄化、民族の浄化。思想の浄化。そのために人間は戦争をしてきた。そして今度は自分自身である「悪」を浄化するといって否定しようとするのか。大乗 仏教では煩悩即菩提という。煩悩があるからこそ最高の愛への道を知るというのだ。自己の生命に提婆達多あればこそ「昇華」される命だと私は理解することが 出来る。

時はいま全ての現象や世界までも包含して、この生命に内在していることを知らなければならない準備が出来た。そう全ての思考が世界を具現化し、その塊が紛 争を起こしてきた。その歴史は心が「外」にあるから浄化しなければならないという低俗なものである。原因はわが心にあり、天国も地獄も我が胸の中にあることを知る時代が来たのだ。



愛 情とは必ず悪に勝るものであり、その両方の心が貴方の中にある。いいえ、貴方こそが愛の等体であることを知れば貴方の未来も、人々の未来も、この星の未来 も貴方が思うように自在に具現化することは「悪」の歴史が証明してくれている。悪とは正義への羅針盤の生命であり、それを含む貴方の心こそが愛なのだ。だから人間は進化し、学習できるのだ。



自由詩人!松尾多聞のブログ


BGM↓クリック
http://homepage2.nifty.com/sapporo7king/namida.mid



「潮騒の詩(うた)」


まつ毛に跳ねる笑顔
地平にまで反射する
一人静かに仰いでも
春は貴方へ歩み寄る

かえりみる潮騒の砂
おどける波は足元の
路を拓いて誘っては
後の足跡消してゆく

愛の風はふところへ
希望の虹はその頬に
眩しく空を仰いだら
春は貴方へ歩み寄る

眠いゲンコツの若葉
緩め開いて欠伸して
雪を流して誘っては
後の恋を消してゆく

ずっと夢を忘れない
いつも愛を感じたい
波と空と虹と潮騒に
誓い泣いた人だから

まつ毛に跳ねる笑顔
地平にまで反射する
素敵な愛を信じたら
春は貴方へ歩み寄る



   自由詩人・松尾多聞




自由詩人!松尾多聞のブログ


A pure field is always in your mind.


人は、この身体を自分だと思っています。それが全てだと認識します。

そして少しでも物理的な装飾を求め、栄養をあたえて自分の時間と虚無で流動的な物質に固執しています。

人は、それを比べようとし、または、それが自分よ
りも劣っていると、主観的に思えば相手をさげすみます。

加えて、自分のものに、少しでも人が触ろうものなら怒り、騒ぎだし、自分が比較の対象にされ、劣っていると自分が自覚するなら、自分の命さえ投げ出す人もいます。

愛は自分の中の存在です。人はどんなにがんばっても愛を犯すことはできません。なぜなら人間は愛により生きているからです。

この自然も私たちも、その存在を胸に抱いて産まれます。

ささやかな人の知恵で愛に逆らってしまえば、愛によって必ず罰を受けます。

貴方は、お母様を殴りたいですか?もしも殴ってしまったら貴方は一生後悔しますね。それが貴方の中の愛による罰。

愛は存在です。感じることしか出来ない最高の力です。

では、愛はどうしたら感じることができるのでしょうか。

それは愛することです。偏りなく、普遍的に見返りなく愛するしか方法がありません。

それを信じて、それが出来るなら、貴方はいつか愛を知りそして愛になります。

私はその愛に一度触れたことがあります。
その刹那、たくさんの力をいただきました。

愛は貴方の中にある、この宇宙の最高の能力であり全てとつながっています。

胸にいつも手を当てて、「私は、ここに」

そう言ってください。愛は貴方の大切な場所にいつもあります。


命の虹彩の中で/松尾多聞

詩人の予言・愛の世界


自由詩人!松尾多聞のブログ

妙法蓮華経解説 多聞の関連記事↓


・南無妙法蓮華経・愛に身を捧げた宮沢賢治先生
・悪の浄化と苦悩の昇華・
提婆達多(ダイバダッタ)の生命NEW
・本当の愛について 論文 松尾多聞
・大人の童話「宝塔の回廊」・美しい世界|自由詩人!松尾多聞
・愛は調和と昇華「幸福の仏法論」 /自由詩人 松尾多聞
・あたりまえの男 神と仏と宗教の真実

・今、この一瞬の愛に僕は身を捧げる!


ブログランキングに参加しています。
あなたの優しさでワンクリックお願いします。↓