こんにちは。
風水大学の常見多聞です。


※ 過去のメルマガに書いた内容を一部ここでも紹介します。

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あの有名なトロッコ問題では、功利主義や義務論が出てきますが、このテーマに遭遇したとして、これを占うと、どうなってしまうのでしょうか?

当然個人個人によって変わってきてしまうでしょう。

個人の吉凶を占っている場合、功利主義ではなく、義務論でもなく、
自分個人が心地よく満足することが吉だ、と考える人もいるでしょう。
これを仮に快楽として「吉凶=快楽の度合い」であるということにすると、吉=快、凶=苦となります。

しかし、この考えは最初に触れたソクラテスによって論破されています。

カリクレスという人物が「人間は節制をせずに、抱く欲望のままに満たすことによって快楽を得る。これは優れた人にしか出来ないことだ」と主張しました。
現代で言うならば「好きなように生きることができるのは、優れた人にしかできない」ということでしょうか。確かに社会的に成功している人は、一般人よりも好きなように生きていて、能力も優れています。


しかし、ソクラテスはこう反論しました。
「欲望を"抱く"時は満たされる前の苦しみの状態で、欲望が"満たされる"時は快楽の状態である。よって苦しみが大きい方が、満たされた時の快楽が大きいことになるため、苦しんでいる人の方がすぐれていることになる。」

つまり、「吉」であるはずの「快」を増大させるためには「苦」が大きいことが前提条件なので、「吉=快」が正しいならば、同時に「苦=吉」も前提条件となるわけです。
そもそも「快」は「苦」と比較しなければ成り立ちません。
お腹がすくから(苦)ご飯がおいしいのです(快)
よってこれ(「快」=「吉」)は矛盾しているわけですから、吉の定義も間違っていることになります。

では吉とはなんでしょうか?

ということを自分で考えることは、とても大切だと思います。

ちなみに私は、

個人レベルのちっぽけな価値観で占っていいのか?

と思っています。

これは扱っているテーマと釣り合わない
そう思い、2020年から大学に通って哲学を学び、卒業はしましたが、いまはもっと自分の世界観を深めようと努めています。
迷いはないですが、本当にこれでいいのか?
まだまだ精進しないといけないと思っています。

ちなみに、社会学者の宮台真司さんは、占いとの付き合い方・いい占い師の条件について、ある雑誌でこう言っておられました。




・当たる当たらないよりも、その世界観を自らのものにすることができるか?
・占い師にどんな専門性や意味論が構築されているのかが重要
・占われる側は、その世界観に自分を置いたときに、どいういう価値観を帯びるのか
・いい占い師の条件とは、その占い師の中に世界観が広がりと深さをもって構築されているかどうか
・その世界観の中でどのように作用しているかの見極めをすることでいいアドバイスができる
・自分に自信がないからという他力本願的な動機で占うのは愚かなこと

これは基本中の基本だと私も思います。


では改めて、、、吉とはなんでしょうか?

今回はここまでとします。