こんにちは。


ここ最近、


映画 「レ・ミゼラブル」 と 「任侠ヘルパー」 を観てきました。



「レ・ミゼラブル」 は観る前に想像していたのとは


違った感想を抱きました。



この映画はミュージカルなわけですけど、


僕はミュージカルは詳しくないけど、一度生で観たことがあります。


その時も英語ので、横のスクリーンに字幕が出るという舞台。



あの時の舞台よりも、ずっとよかった。



思ったのは、ミュージカルって台詞が歌で、


その人の内面の気持ちや・独り言も歌詞にして歌う。



そうすると、普通の映画の演技だと、ふとした仕草だけで演じるのを


1分くらい歌って表現したり、そこに大きな抑揚がついたりと、


一瞬が別の形で密になるんだね。



でも、それだと、通常の映画と同じ時間幅のストーリーを演じるのに


やたら時間がかかる。


なので、全体的にみると、急に話というか局面が飛んで、


で、また濃密に表現する。そうしてポイントだけを濃密に表現してつなげる。


ということのように見えた。



こういった表現があるのだなと感動したし、


すごく伝わってくるものがあったけど、


伝えすぎると、濃く表現しすぎると、訴えてくるものを感じるけど、


共感度が減る、ということも体験したのは事実だった。


それが、良い悪いではなく、そういうものなんだなと。



なので、登場人物の訴えてくるものを感じるけど、それは共感ではなかった。



ずっと歌の台詞だと、観ていてちょっと疲れ気味になってしまうこともあった。


これは僕が慣れていないだけかも。



人道的なものと法との対決もあった。



自分を捨てて人道的な道へ走る人と、


自分を捨てて法を守る道へと走る人



前者が「私は誰だ?」と何度も叫んで問い続けていたのに


後者が最終的にはその状況になっていった。



人と人の対決ではなく、アイデンティティの対比に見えた。


自分のアイデンティティが外からのものが元だと


他者のアイデンティティにやられてしまう、というシーンがあった。


これは深い、、、と思った。




さて、「任侠ヘルパー」 ですけど、


楽しんで観れたけど、、、



これは本当に「任侠」じゃないとダメだったのだろうか?



とふと思ってしまった。


根っこのところが入れ替え可能だと、どこか軽く見えてしまうなぁ、と。



とはいえ、どちらも楽しめました。