綺麗な物語には大抵綺麗じゃない気持ちが隠されていたりする。純粋じゃない物語の裏には純粋な気持ちが隠れていたりする。
人間社会なんてつまるところそんなものだと思うのです。
つまりは蠢く幾多の感情とどう付き合っていくか。そしてどう表現していくか。
この表現っていうのがやっかいで、簡単じゃない。自分の中で色々なものと戦わなきゃならない。
例外もあるけど、満足のいくものを生み出すには多少に関わらず苦悩を伴う。
だけどそうしてやっと造り上げた何かが誰かに認めてもらえるとは限らない。
これは表現者にとっての賭けみたいなものなのかもしれない。要するに楽しみどころ。
わたしが言ってる表現者っていうのは、例えばファッションデザイナーだったり、画家だったり、陶芸家だったり、作曲家だったり、そういう狭義ではなくて、もっと広義。
ファッション業界に限って言うなら、デザイナーもパタンナーもマーチャンダイザーもプレスもディレクターもアドバイザーもみんな表現者。みんな自分を表現できる。
ただ、一緒に仕事をするのであれば根本にあるものは一緒じゃなきゃいけない。これもまた難しいところで。
そういう意味でわたしは画家に憧れを持ってる、孤独な画家に。
わたしが今欲しいものは、
考え抜くために必要なだけの
力と時間。
ほんの少しの孤独。
弱くていい。
その弱さの中に、
人間の愛すべき何かが。
日の暮れや 葦の花にて 子をまねく/一茶
今はひたすら、考えていたい。
温かな家族の記憶を抱いたまま、
たったひとりで。
そしてそれをどう表現するかも、
またそこから考えていればいい。
人間は考える葦である