第352回【松下幸之助と江崎利一(グリコ創業者)との友情】
戦前から松下幸之助さん、江崎利一氏(グリコ創業者)、鳥井信治郎氏(サントリー創業者)らが集まり懇親を深めていた
この懇親会はみんな一文なしの状態で事業を始めているので「文なし会」と呼ばれた
戦後に松下さんが生活費にも苦労した時に、お金を工面したのが江崎氏であり鳥井氏であった
松下さんが事業経営の尊敬する先輩(12歳上)であり親友と語った人が江崎利一氏です
江崎氏は昭和25年に、後継者と決めていた長男が39歳の若さで病死する
すでに次男は20代で亡くなっており、長女も嫁ぎ先で亡くなっていた
孫の勝久氏はまだ8歳
当時66歳であった江崎氏の失望、落胆ぶりはたいへんなものであったという
親戚や周囲からはもう年齢も年齢だし事業から身を引くべきだと言われる
そんな状況で身を引くべきか松下さんに相談する
このとき松下さんは精いっぱい江崎氏を励ましたという
松下さんはどのように励ましたか
「江崎さん、今さら何をいうのか。ここまで営々と築きあげたグリコは、もうあんた一人のものではない。日本のグリコだ。やりなさい。・・・・もう息子さんのことでくよくよしなさんな。よし私があんたのところの重役になろう。なんでも相談に乗ろう。あんたが死んで、あとうまくいかんようやったら、私がうちの若い者を引っぱってきて応援する。お孫さんのことは引き受けたから、あんたはいままで通り積極的にやってほしい。いや一緒にやろうじゃないですか」
江崎氏は松下さんの友情がほんとうに嬉しく。このときばかりは男泣きに泣いたという
その後、江崎氏は事業の鬼となり20数年頑張り90歳まで社長を続けます
松下さんも約束を守り、孫の勝久氏が大学を卒業すると
「はじめからグリコに入れると甘やかされるから、一人前になるまでうちで鍛えよう」と、松下電器で3年間あずかります
勝久氏は後にグリコの3代目社長に就任し、さらにグリコを発展させた
松下さんは江崎利一氏の姿から
「志を堅持してくじけず事にあたる大切さ。最後の最後まで諦めず、地道な努力を重ねていくことの大切さ」を学んだという
松下さんの「成功の要諦は、成功するまで続けるところにある」の名言が生まれた背景には
自分の経験だけでなく、江崎利一氏の諦めない姿もあったのではないかと思います