第148回_神戸製鋼所創業者_守衛に対する接し方で人物の大きさが分かる | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第148回_神戸製鋼所創業者_守衛に対する接し方で人物の大きさが分かる

第145回の「エレベーターでの別れ際で人物の大きさが分かる」
http://ameblo.jp/tamiyataku1/day-20101210.html の松下幸之助のエピソードは予想外に大好評であった。そこでもう一つ人物の大きさが分かる物差しを紹介したい。それは守衛や清掃員に対する接し方である。私自身学生時代守衛をしたことがあるが大物ほど腰が低く優しいが、中途半端に偉い人ほど挨拶をしても無視をしたり守衛など人間とは思わぬ態度をとる。


石川島播磨重工業(現IHI)の社長から東芝の社長に迎えられた土光敏夫(どこうとしお)(IHI、東芝の社長歴任。第4代経団連会長)は、1965年(昭和40年)5月28日午前7時、東芝本社にイの一番に出社した。見覚えのない68歳の老紳士をつかまえて警備員が聞いた。「もしもしどちらに行かれますか」「僕は、ここの社長をやることになった土光というものです」「は、ははあ・・・」守衛は慌てて最敬礼しドアの鍵を開けてエレベーターへ案内した。以後、土光は毎朝7時には会社に到着し9時までは社長室を開放。社員は誰でも社長に会えるようにしたのは有名な話である。

下でエレベーターのボタンを押していると、清掃員のおばさんによく会う。「おはよう」と土光は声をかける。すると向こうからも「おはようございます」という。そういうことが2、3度続くとその清掃員のおばさんは、土光の姿を見ると、ちゃんと8階のボタンを押してくれるようになる。土光がエレベーターの前に来るとドアが開く。8階に上がると警備員がいる。「御苦労さん」と声をかけると、「もう大分前からお客様が2人来ています。そこの応接室に通しておきました」警備員は頼まれもしないのに自ら気をつかい動いてくれるようになる。人間関係とはこういうもので「こちらから先に声をかけることが大事」と土光はいう。

 

神戸製鋼所の実質的創業者の田宮嘉右衛門(たみや・かうえもん)(明治8年~昭和34年)は工場の現場へよく足を運び自ら足もとに落ちている釘や部品を拾って歩くのを日課としていた。

ある時、新入守衛が腕章(当時外来者は腕章をつけていた)を付けずにうろうろしている老紳士がいるので「何方ですか」と聞く。「田宮だ、田宮だ」といわれたが、その守衛は「田宮」と聞いても社長とはピンとこなかった。後で社長とわかりビクビクしていると、上司が「田宮社長がなかなか取締まりを厳重にやっていると誉めていたぞ」というのを聞きこの守衛は大変感激したという。


余談になるが逆に守衛に驚かされたという話がある。青山の衆議員議員の宿舎で寝泊まりしていた島さとし代議士(当時)(現ソフトバンク社長室長、松下政経塾2期生)は宿舎の廊下を歩いていたら、見廻りをしている青い制服を着た若い守衛に突然話かけられた。「島先生は松下政経塾の2期生ですよね」「あ、そうだけど」「ということは松下幸之助さんのもとで色々学ばれたんですね」「そうだけど。君、詳しいね」「実はこれから自分で商売を始めようと思うので色々話を聞かせてください」「あ、分かった。じゃ今度うちの事務所に来て」といい名刺を守衛に渡した。後日、国会の議員会館の事務所で島代議士は守衛と会う。そして半年後にこの守衛は島代議士の秘書となるのだ。この守衛が何を隠そう筆者であるこの私である(笑)どうせなら驚かされるのではなく驚かす人になろう。 
  

 
文責 田宮 卓


参考文献
志村嘉一郎「土光敏夫21世紀の遺産」
神鋼タイムス 「故・田宮相談役追悼号」 ㈱神戸製鋼所 教育課