第45回_杉山金太郎_今こそ正直な経営を(士魂商才の実践) | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第45回_杉山金太郎_今こそ正直な経営を(士魂商才の実践)

1924年(大正13年)、都内の三河台町の御屋敷で井上準之助(日銀総裁、大蔵大臣を歴任)は神戸の大商社となっていた鈴木商店の大番頭、金子直吉を杉山金太郎という男に引き合わせた。


関東大震災後の不況で業績不振となっていた鈴木商店の整理をすることを、メインバンクである台湾銀行副頭取の森広蔵と井上蔵相とが話合い決まっていた。


そこで鈴木商店の三大事業(他は帝国人絹・現帝人、神戸製鋼所)の一つである製油事業の会社の経営を杉山に任せることにしたのだ。杉山は紀州和歌山で百姓の子として生まれ主に貿易会社で働いていたが当時はまだ無名のビジネスマンであった。金子と会った杉山は直ぐに製油事業の会社の社長を引き受けることにした


苦境に陥っていた会社を立直すために杉山はまずは正金銀行に融資を頼むことにした。実情を一切隠さず、ずばり助けてもらいたいと語った。銀行側に担保となるものはあるかと聞かれたが、担保物件として提供出来るものは何もなかった。そこで杉山は私の首を担保におくから面倒を見てほしいと懇請した。


最初は融資を渋っていた銀行だが「杉山君の人格を信頼して融資をしてやろうじゃないか」という意見でまとまり融資に踏み切ることになった。


融資を受けることに成功した杉山は製油会社を見事に立直らせ大きく発展させていきました。この会社が旧豊年製油(現J-オイルミルズ)です。杉山は豊年製油中興の祖であり近代的製油工業の先駆者として世の中に貢献しましたが、杉山は若いころから「商売人は、ときとすると、駆け引きをし、嘘をつくことを商売の常道と考えがちであるがこれはとんでもないあやまちだ。世の中に立っていく以上は、士魂商才の精神を持って進まなくてはならない。」と考えこれを信念として実行してきたという。


この不況で経営者は生残るためとはいえ、苦し紛れに嘘をついたり、誤魔化したりしたくなる気持が出てくるかもしれないが、最後に杉山の言葉はもう一つ紹介したい。「嘘をつかなければならないような経営は心から慎め――と、企業の大小の問題ではない。長い間には、たとえ一時逃れとわかっていても、嘘をついて、その場をおさめたいときもあるだろう。しかし、それは所詮、一時しのぎの手段でしかない。いや、そのために、あとあとになって、思いがけない故障を招くかも知れない。逆に正直でさえあれば、よけいな“つくろい”をしなくてすむだけでも、いいではないか」




文責 田宮 卓