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届いた声

式典も佳境となり、最後に奏でる聖歌の演奏の頃には、あんなに勢いよく泣いていたプリメールちゃんも、愛くるしい寝顔を浮かべ、ローゼの胸の中で柔らかな寝息を立てています。


その姿はまるで、空から舞い降りてきた天使のように愛しくて、周りの人々から見守るような優しい視線を一身に浴び、賛美歌を子守唄に眠るその姿は慈愛に満ちた表情で、プリメールちゃんを見つめる全ての人々を祝福しているようにさえ見えて来ます。

隣に座るアイちゃんも、ミムラさんに似た大きな目で、ローゼの肩越しに見えるプリメールちゃんの横顔を見つめています。


すると、ふいにプリメールちゃんが「クチュン!」と可愛らしい声を出し、くしゃみを一つ放ちました。


その声が届いた人々から小さな驚きの声が沸きあがり、笑い声も聞こえてきます。

ローゼが「鼻水でてる。」なんて言ったので、横顔を見たさに覗いてみると、小さな両の鼻の穴から、唇を通り越した長さにまで鼻水が垂れています。


でも赤ちゃんというものは、そんな顔さえも可愛い姿に見えてしまうから不思議ですね。



ローゼは「しょうがないな~。」というかのようなため息を小さく漏らし、プリメールちゃんを抱きかかえ上げ、後ろに向いた洟垂れ顔を、ライアーがやさしく拭き取ってあげました。



あやすようにして声をかけながらハンカチで鼻を拭ってやると、ティッシュの肌触りがくすぐったいのか、三日月のように口を開けて笑っています。

それに気を良くしてか、ライアーは笑顔で反応するプリメールちゃんの鼻の頭を、指で何度もつっついていました。


じゃれあう三人をほほえましいなあと思いながら見ていた時、突然私の左腕が掴まれました。

私は驚きながらも掴まれた腕を見ると、アイちゃんが三人の姿をじっと前を見つめ、見据えています。


硬く一文字に瞑った口元に「しわ」ができるほど強く締まっていくように、私の腕を引く力も次第に強くなって行きました。

どうやらアイちゃんはあまりに集中するあまり、周りには聞こえないように呼びかけても、全く反応がありません。




そのうちに着ていたジャケットがずり落ちそうになったので、空いている手で袖をつかんでいるアイちゃんの手を包んであげると、彼女は「八ッ」と我に返ったようで、私の方を向くようにゆっくりと顔を上げました。



アイちゃんの目にはすでに涙が浮かんでおり、今にもこぼれ落ちてしまいそうなくらいに膨れ上がっています。

その不安げな表情でいる顔に向けて、出来うる限りの笑顔を向けてあげたのですが、「大丈夫?」と、言い切る前に、アイちゃんの目からは涙が零れ出てしまいました。


涙は留まる事無く溢れ出てきます。


「ズズッ」っと音を立てて鼻を啜ったので、私は上着のポケットからハンカチを取り出そうとして、アイちゃんの手を包んでいる手を離そうとした瞬間、私のその手を自分の頬へと引き寄せて、くぐもらせた声を挙げ泣き出してしまいました。


手に落ちる涙の一粒一粒から彼女の暖かさが伝わる度に、私の心は強く締め付けられます。

私はアイちゃんと一つに組まれた腕を、ちいさな体と一緒に胸の中へと引き寄せて、優しく包んであげました。


すると、それまでどうにかこらえていた感情が出たらしく、アイちゃんは、声を荒げて泣き出してしまいました。

泣き叫ぶアイちゃんの熱い吐息が、服をすり抜け、体をも通り越し、激しく波打つ私の心臓にまで届いてくるようです。

なりふりかまわず、これまで抱えてきた想いを全て涙にして吐き出そうとしているのでしょう。

全身を震わせて泣きじゃくっています。


「泣けばいい、思い切り泣けば…。」

そう心の中で何度も言葉を繰り返し、掴まれている手をそのままに、私はその体を更に強く抱き締めてあげました。




小さな体を抱えている私の背中に、アイちゃんとは違った小さな泣き声が響きます。


声のする方を向いて見れば、ミムラサンも泣いていました。


私の目を真っ直ぐに見つめるタクヤくんの体を包むように自分の胸へと引き寄せて、私の腕の中で泣いているアイちゃんを見ています。

ミムラサンの心中は、きっとこれまでにあった出来事と、子供達から流れている涙を照らし合わせているのでしょう。

自分が子供達に晒してきた言い表せないほどの醜態をぶつけた時も、決して涙を流す事無く、母親の命を支えてくれた我が子です。

今ここで涙を浮かべている姿を見て、溢れ出る想いが想像以上に大きく辛いものだったと、改めて感じているのでしょう。


その目からは


「ありがとう。」


この一言が、送られているようです。


タクヤ君もミムラサさんの腕にしっかりとしがみつき、じいっと私を見つめています。

まだ自分の気持ちを言葉にして伝えられずにいる心の念が、そこには強く込められているようで、私はその眼差しを、決して逸らす事など出来ませんでした。


そしてこの時、私はミムラさん、アイちゃん、タクヤくんの三人の想いに気付きました。

いえ、本当はずっと前から気付いていたのかもしれません。


そして…この瞬間、私は全ての気持ちを受け入れると決めました。

この子達のためにも…。ミムラさんのためにも…。



そう心に決めた時、小さく囁く


「お父さん」


と言う声が、抱える胸の中から届きました。



せいいっぱいの声

「オギャ―、オギャ―!」


突然、教会内に響き渡るほどの大きな赤ん坊の泣き声が、それまでの幻想的な雰囲気に浸っていた私を、現実の世界へと引き戻しました。


それまで流れていたオルガンの演奏も止まり、人々の視線が向けられているその先を見れば、目の前にいるプリメールちゃんが、しわくちゃな顔に大きな口を開けて泣いている所でした。



ローゼとライアーはなんとかして泣き止まそうと、抱きかかえたり、揺すってやったりと、懸命にあやしていたのですが、その声は激しくなるばかりで、一向に泣き止む気配がありません。


二人は万策尽きたといった感じで困り果てていると、アイちゃんの隣に座っていたおばあさんが「きっとオムツを変えて欲しくて泣いているのよ。」「見てみなさい。」


その言葉を聞き慌てていたローゼがオムツの中を覗くと、一瞬ギョッとした顔を見せ、苦笑いを浮かべながらおばあさんを見つめかえしていました。



ローゼの顔を見たおばあさんは、まるで赤ちゃんの声が聞こえるのよと言わんばかりの笑みを浮かべ

「早くキレイにしておあげ。」そう言葉を付け足すと、その様子を見ていた司教様に向かい

「この子のオムツ変えのために、教会の中を使わせてあげてください。」とまで頼んでくれたのです。


すると司教様は「お湯を用意してあげるので、教会の中へ入って綺麗にしてあげなさい。」

などと、ありがたいことを言ってくださったので、ローゼとライアーは、おばあさんと司教様のはからいに小さく頭を下げながら、礼拝堂を後にしました。



少女の願い

礼拝堂にいる人々の会話も落ち着いた頃、祭壇へ司教様が上がり、クリスマスのミサが始まりました。


教会の中はランプやろうそくの照明があるものの、辺りは薄暗く、オレンジ色の輝きの中で、柔らかに浮かび上がる人々の表情は、時を経て来た神への想いを映し出しているかのように、創玄で厳格な面持ちでいます。


ドーム型の天井に鳴り響くオルガンの音が教会の隅々へと届き、反射して幾重にも折り重なった深い音色が、礼拝堂の中にいる私達の体を揺さぶりたてます。


そんな聖なる時にこうして手を合わせていると、これまでの一年の間にあった全ての出来事を、賞賛されている気さえします。


…そんな時を感じながら、ふと隣を見れば、堅く組み合わせた手を額に寄せ、両目を瞑り隣にいる私にさえ聞こえないくらい小さな声で、懸命に祈り続けるアイちゃんの姿が目に入りました。


途切れる事のないその願いの言葉は、誰を想い囁いているのでしょう?


今日という良き日に、少女の小さな願いが主のみもとへ届かん事を、私は願いました。




おばあさんとの出会い

教会へと到着し、礼拝堂の中へ入ると、100人くらいがようやく座れるくらいのベンチには、すでに多くの人で殆どの座席は埋まっていました。


私が空いている場所を探すと、中央の通路を挟み1番前から3列目までのベンチが空いてはいたのですが、どれも6人掛けのうち、2座席分しか空いておらず、皆が一緒に座る事ができませんでした。


祭壇へ向かう中央の通路を挟んで、右側の1番前にハンツとヒルケ夫婦が座り、左側へはプリメールちゃんを挟むようにローゼとライアーが座りました。

私は3列目へと座ろうとしたのですが、ミムラさんが見知らぬ場所で戸惑っているタクヤくんに腕を引かれるがまま、3列目へと座ってしまったので、私は既にアイちゃんが座っている隣へ腰を落ち着けました。


アイちゃんが座っていた通路側の席は、スキマ風があったので、冷えるといけないと思い私が通路側へと入れ替わって座ったのですが、早速隣り合わせになった、イコンの絵が描かれたスカーフを頭に巻き、濃いグレーのウールコートを羽織った団子のように背中の丸いおばあさんからクリスマスの挨拶を受けていました。


しかし、ドイツ語を話せないアイちゃんは何を言われているのか全く解らないといった顔をしています。

眉尻を下げた、まさしく困っていますと語っているような顔を私へ向けてきたので「クリスマスの挨拶をされたんだよ。」と伝え、返事の言葉を教えてあげると、小さく「ありがとう」と答えた後、たどたどしい表現ながらも、おばあさんへ返事を返していました。


その言葉をきっかけにして、おばあさんとの会話が弾み「どこから来たの?」「何歳なの?」などと、あれこれ話しかけられていたのですが、その度に私の方へと振り向き、話の意味と、答えの言葉を聞いて、頷いたり驚いたり(これはおばあさんの年齢が92歳だったから!!)していたのですが、おばあさんの「歯」があまり残っていないためか、発音もはっきりとしない部分もあったりして、アイちゃんの代わりに話を聞いていた私は、その声を聞き取るだけで精一杯でした。


でも、おばあさんと一生懸命に話そうとするアイちゃんの眼差しをうけると、彼女のためにもきちんと答えてあげないといけないなどといった妙な「使命感」を抱き、おばあさんの声が、周りの声にかき消されず、少しでもはっきりと聞き取れるようにと、私はいつの間にかアイチャンの方へと身を寄せてしまっていたようです。


アイちゃんは私が近付いた事で緊張してしまい、動く事も出来ず困ったような面持ちでいるのに気が付いたのは、お互いの足がぴったりとくっついて、温もりが伝わるほどになっていた頃でした。

私は不信感を抱かれないように何げない感じで体をずらし、アイちゃんとの距離を開けたのですが、アイちゃんの表情は、緊張のためか、頬を赤く染めたまま唇を強く締め、おばあさんから話し掛けられても上の空だったかのように、言葉を聞き返していました。


そんなアイちゃんの初々しい恥じらい方に、自分が初めて知った初恋のトキメキを思い出し、少しの間、当時の懐かしさに浸ってしまいました。


道の途中で

外へ出ると、お昼までに止んでいた雪がまた降り始め、歩道には昨夜から残っていた雪とで、辺り一面を白いベールで包み込み、街灯の灯りを反射して、家々の姿を幻想的に浮かび上がらせていました。


私たちが向かっている教会までは、歩いて10分ほどの場所にあるのですが、そこまでの間には、ワーグナーが初演した歌劇場があったり、17世紀の王が建てたという宮殿があったりするので、今日は歩く人の数がとても多く、その上に足元もしっかりしていないので、プリメールちゃんを抱えるローゼのためにも、急がずゆっくりと行くことにしました。


そんなプリメールちゃんはと言うと、繭玉のように包まれて、中から表れているまん丸い顔は、寒さでリンゴみたいにほっぺを真っ赤にさせています。


ローゼはプリメールちゃんの顔へ雪が降りかからないようにと、フードを深々と被せ、背中でしっかりと結び付けて背負っています。

時々様子を見るために、ローゼの背中を覗き込むライアーは、にこやかに何かを話し掛けているのですが、そんな2人の姿を見ていると、これが親の愛情なのかな…と、妙に感慨深げになってしまいました。


ふと気付けば、私の目の前を歩くアイちゃんとタクヤくんも、ローゼ達の様子をじっと見つめているようでしたが、そういえばこの2人もまた、両親の愛情という面から見れば、何かしら思う所があるのでしょうね。



ミムラさんとの繋いだ手が、とても弱々しく見えました。


お出かけの前に

すっかり日も暮れてしまい、街に明かりが灯り始めた頃、私達は教会へと向かう準備を始めました。


出がけにビルケさんがアイちゃんとタクヤくんを呼び止め、教会の中は寒いからと言って、2人に手編みのセーターを着せてあげました。

それは昔、ローゼとシュテイルが着ていたもので、彼らに生まれてくる子供達のためにと、ずっと大切にしまっていたものだそうです。


ひとつひとつ丁寧に編まれたクリーム色のセーターを着てみると、2人には少しだけサイズが大きかったのですが、それはきっと、ビルケの愛情がたっぷりとつまっているからなのだと、ミムラサンはアイちゃんとタクヤくんに伝えていました。

タクヤくんはそのセーターの上に、日本から着てきたオーバーオールを羽織ると、すっかり着膨れして動き難くなってしまったモコモコの体に少し不満気味の様子でしたが、アイちゃんがビルケさんからセーターと一緒に渡されたマフラーを巻いて笑顔を浮かべている様子を見ると、何故だかそれっきり不満めいたことを言わなくなってしまいました。


そのマフラーも手編みで、クリーム色の地に一羽だけ赤い鳥が描かれたマフラーの肌触りを何度も確かめている仕草に気付いたミムラさんは、ほっこりとした笑顔をされ、アイちゃんの姿を見守っています。

そんなミムラさんの表情は、心配というよりも、久しぶりに見た未だ14歳の少女のあどけない笑顔に喜んでいる・・・。


そんなふうに、私には見えました。



友人の家族達

ドイツに住むハンツ家の家族の構成は、奥さんの「ビルケ(Birke)」と長女「ローゼ(Rose)」に、長男の「クレー(Klee)」と次男の「シュテイル(Stile)」の5人家族となっています。


でも今は、下の男の子2人が軍隊への兵役期間の真っ最中で、今年のクリスマスは帰って来れないのだそうです。


更に、長女のローゼはハンツの古い友人の息子「ライアー(Reiher)」と結婚し、今はベルリンで家具店を開き、働いているとのことで、郊外ながらも大通り沿いに建つ3階建ての彼の家に、今は2人っきりで住んでいます。


そんな彼も、いつも電話で話している時などは、とっても賑やかな声で話しているのですが、実の所は寂しいのではないのかと思っていたのですが、最近番犬用にと飼い始めたドーベルマンが3頭にもなると、寂しくなる時間なんて全く無い様で、毎日朝夕行なう散歩が大変だと、愚痴めいたことをしきりにこぼしていました。(それはそれで嬉しそうな様子でしたが…。)


でも、それが痩せ我慢だということは、ローゼにかける電話の本数が、急に増え出したと聞けば、ハンツの心境もおのずと想像が付きます。

なんだかんだ言っても、親は子供といる時が一番楽しい時間なんですよね~(^^



そんなハンツが愛犬や、実の娘を差し置いてでも可愛がっているのが、彼自身初めての「孫」となる「プリメール」ちゃんなのです。

普段は会社の社員に対して、厳しく指導しているその形相とはまるで別人のような笑顔を浮かべながら赤ちゃんに話し掛けているその表情から、親バカというか…「ばかじじい」っぷりが良くわかりました。


しかも、あれほど手をかけている愛犬「アイン」「ツヴァイ」「ドライ」が、少しでもプリメールちゃんの側に近づこうものなら、それはもう…もの凄い剣幕で怒るので、最近の犬達はベビーベッドへ近付かなくなったそうです。(でも、餌はちゃんと自分の手から与えているそうです。)



そんな家族5人と3頭。

そして、私とミムラさん親子の4人が加わった今日のこの家はとても賑やかで、いかにもドイツの家庭的クリスマスといった雰囲気に満ち溢れています。


そんな場所へ初めて訪れるというアイちゃんやタクヤくんが、ハンツ一家に馴染めるのか、私は少し心配だったのですが、彼らが心から歓迎する暖かい接し方に、2人の緊張が解けるまでは、さして時間は掛かりませんでした。


アイちゃんもタクヤくんも、周りにいる人達の言葉がわからない分、その人そのものから受ける印象を強く受けたようですね。

子供のそういった適応能力の高さには、ちょっと驚かされました。


驚いたといえば、今回一番驚いたのは、ミムラさんの語学力です。

あまりにも流暢に話されるドイツ語は、私よりも発音が綺麗で、単語の知識も豊富にで、5年以上にもなるドイツ語会話でも、未だつっかえてしまう私の語学力を思えば、自らのあまりのレベルの低さに、ミムラさんの前で話すのが恥ずかしくなってしまいます…。


ミムラサンのお仕事は、海外に出向く事も多い訳ですから、こういった語学力を必要とするのでしょうが、これだけ話せるようになったのも、やはり、ご主人が生前に暮らしていた土地だという事も、理由の一つになるのかな…なんて、余計な事を考えてしまいました…。




クリスマスイブの夜に

ドイツに着いて2日目。


フランクフルトから国内便に乗り換えて、人口約50万人のこの町へとやってきました。


今日はドイツで最古と言われるマーケットの最終日に、ミムラさんとアイちゃん、タクヤくんとの4人で出かけてきました。

市場は昨年訪れた時より賑わいが強かったのですが、これは今年60年ぶりに復興された教会の、再建後、初めてのクリスマスだからかもしれません。


街を歩く人々の表情も、笑顔に満ち溢れていました。


―――――――――――――――――――――――――


その後、夕方から友人であるハンツとその家族全員で、教会のミサに出かけてきたのですが…。


これも神の御霊がもたらしたことなのでしょうか。


少女の暖かい雫が、私の心に届きました。



その時

私がタバコを吸わないと言うと、自分が着ている白いカーディガンのポケットからタバコの箱を取り出し、暖炉の残り火で火を点けました。

チリチリと乾いた音が聞こえるくらいその葉が赤く光った後、ため息のような煙を吐くと、お姉さんは煙の行く先を追いながら、ゆっくりと話しを始めました。


そしてそれは、「ミムラ」さんにとって、とても長く重い過去の出来事だったのです。



「ミムちゃんの旦那さん…ま、私のダンナの弟なんだけど、10年前にね、交通事故で亡くなっているのよ…。」

「ミムちゃんと彼は大学を卒業して直ぐに結婚したんだけど、その時にはもうお腹の中には子供が…アイちゃんの生命が誕生していたわ…」

「妊娠3ヶ月だった。」

「アイちゃんが生まれてからも、暫くは3人で幸せな家庭を築いていたわ。」


そういって、タバコに口を付け、ゆっくりと吐き出した煙を訝しげにしながら、話を続けました。


「当時、彼は陶芸家としての活動を本格的に始めたばかりで、仕事も殆ど無かったし、ミムちゃんも産後すぐで働けなかったから、私の旦那の支援を受けて生活していたの。(それが現在の部屋だと言う事です。)」


そんな状態が何年か過ぎ、ミムラさんも少しずつですが、パートで働き始めたりもしたのですが、小さいお子さんを抱えては、暮し向きを変えるほどの収入を得られなかったそうです。


「ウチの旦那もいいかげん実家の仕事を手伝わせようとして、彼に何度も言い聞かせようとしたんだけど、どうしても陶芸の道を諦め切れなくて、新たな土を求めてヨーロッパへ旅立っていったの…。」

「2人を日本に残してね…。」

「まあ、私に子供が出来なかったから、赤ちゃんの面倒を見るのはむしろ楽しいくらいだったのだけど、やっぱりミムちゃんはそんな私に気を使っていたのが良く判ったわ。」


しかも、彼が出国して直ぐに、お腹の中に2人目の子供「タクヤ」くんが出来ている事が判ったのだそうです。

そうやって、「ミムラ」さんの生活が目まぐるしく流れている中で、その事故は起こりました…。



「ある日、彼がドイツの製陶工場へ向かうためのバスに乗っていたら、そこへ信号を無視した車が突っ込んで来たのだそうよ…。」


―――――――――――――――――――――――――



お姉さんはすっかり灰になってしまったタバコを灰皿へと押し付け、新しいタバコを取り出すと、再び火を点けました。


「それからの彼女はとても荒れてね…。」

「今でもその時の事を思い出すと辛くなるわ・・・。」


「お葬式が終わった後も彼女はまともな食事を取らずに、口にするのはタバコかお酒ばっかりで、部屋から1歩も出ない日が続いたの…。」

「時々、急に爆発する日もあったりして、テレビなんて何台壊したかわからないくらいよ。」


私はその言葉を聞いて、彼女の今の姿からは過去にそんな事があったなんて、到底信じられません。



「でもね。」

「でも、誰もがそんな彼女を見放す中、アイちゃんだけは逃げなかった。」

「荒れ果てたお母さんの姿を見ても、彼女は決して逃げなかったわ…。」


そう言うお姉さんは重苦しいため息を小さく吐き、再び話し始めました。

「彼女がそんな風になってから暫くして、アイちゃんは私に料理の作り方を聞いて来てね。」

「お母さんのために、毎日一生懸命お粥を作ってあげていたの。」


そう話すお姉さんの声が、少しづつ震えてきているのがわかりました。

お姉さんは俯いたまま、すっかり火の消えたタバコを挟んだ手で、流れ出ているものを隠すように眉間を押さえています。


「そして彼女…ミムちゃんも…アイちゃんの作ってくれたご飯だけは、キチンと食べてくれたのよ。」


「小学校に入ったばかりの、たった6歳の娘が作ってくれたわずかな量の「お粥」が、彼女にとって最後の命綱だった。」

「そうして少しずつ…ほんの少しずつ、彼女は回復して来たのよ。」




――――――――――――――――――――――――――――


「あの子、ミムちゃんが荒れて以来、一度も「お父さん」て言葉を言った事が無いの。」


「それが、自分の母親を苦しめる事だとわかっているから…。」


お姉さんがゆっくりと見上げたその顔は、溢れ出た涙で綺麗な顔立ちも崩れてしまい、クシャクシャになっています。

でも私はその目を逸らさずに見続けました。

お姉さんからの強い願いがそうさせたのです。


「だから…「ミムちゃん」からあなたの事を初めて聞いた時、心から嬉しかった。」

「たとえよく通っているだけのお店の店長とお客の関係だったとしても、そうやって男の人との関係を持とうとしているあの子の気持ちの変化が、私はとっても嬉しいの…。」


なりふり構わずに話し続ける口元が大きく震え、今にも大泣きしてしまいそうです。

「こんな事、私が勝手に決めちゃって、本当に申し訳ないのだけれど…。 今のあなたにしか頼めそうに無い事のようだからお願いするわ。」

「あの子を…あの子達を、あなたと一緒にドイツへ連れて行ってくれないかしら。」

「家族の温もりを味わせてあげて。」

「私じゃ家族の暖かさを伝えられないの。 私じゃ…。」


完全に泣き崩れ、顔を膝に突っ伏しながらその言葉を何度も繰り返す姿は、自分が無力であった事を悔いいているようで、その背中から悲しみが伝わってきました。

きっと、これまで語って来たその何倍もの悲しみや苦労を重ねてきたのでしょう。


そうした想いが、お姉さんにこの決心をさせたのだろう事は、私にも良く理解できました。

そうです…。 理解したのなら、私が答える言葉は一つしかありません。


「私は、お姉さんの…「ミムラ」さんの気持ちにどれだけ答えられるかは解りません。」

「でも、こんな私でも、彼女には幸せになって欲しいと思いました。」


この言葉を聞いたお姉さんは、ゆっくりと顔を上げられ、私の決意に満ちた顔を見て、僅かに微笑みながら小さく頷きました。



「このお話、喜んでお受けいたします。」




その瞬間、暖炉の中の残り火が、小さくぱちりと鳴りました。



残された二人

「ミムラ」さん親子が居なくなると、部屋の中には静けさが訪れました。


時計を見て、時刻はまだ夜の10時を30分ほど過ぎたくらいだったのには、少し驚きました。

テーブルの上に並ぶ2本の空になったボトルを見れば、もっと時間が過ぎていなければならなかったはずです…。

そんなハイペースで飲んでしまったためか、私の体は既に限界の領域すら越えています。(非常に寝むかった。)


「ミムラ」さんも居なくなったことですし、私は宴を終えようと暖炉に灯る火の始末を始めようとして、消えかけている火の側に建て掛けてあった、片手で持てるくらいの小さなスコップで、燃え尽きてしまった灰をすくっていると、私の背中に向けてお姉さんが話し掛けてきました。


「今日はこんな山奥まで、わざわざご苦労さまでした。」


先程までと打って変わった言葉にドキリとして振り向くと、お姉さんはとても真っ直ぐな眼差しで私を見つめていました。(それはあたかも獲物を得ようとする豹のような…。)

そんな熱い視線にドギマギしていると


「ねぇ…。」


その声はとても甘く…


「ねぇてば・・・。」


なにか、もの欲しそうに…











「タバコ…持ってない?」










「私…吸いませんから。」



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