就職してからは年上の友達が増えた。

今日はその中でも最高齢、60歳のおじさん(おじいさん?)とファミレスで晩飯。

取引先に常駐した時に仲良くなって今も続いている。年の差が倍以上だけど、なかなか気が合って面白い。


店内は有名なジャズばかりがBGMで流れていた。

音楽が良いと典型的なファミレスでもとても居心地が良い事を初めて知った。


今年のヒット曲の中に、数十年後も変わらず愛されている歌はどれだけあるんだろう。

長く大勢に愛されてきた音楽は良い音楽ばかりだ。時間に選別された音楽は本物である。


都会と田舎とどちらが住みやすいかという話になった。

国道246の交通量は多く、店内から見える車のヘッドライトの流れを見ていると、都会ってエネルギーはあるよな、と思った。

ずっと思っていた事がって、それは大手新聞社の「私達は言葉の力を信じている」というTVコマーシャルについて。

個人的には活字を扱う報道機関が流すCMとしてはありえないんじゃないかと思う。


言葉は確かに力を持っている。でもそれは聞き手の経験に頼るものだ。人を好きになった事のない人には「好き」だという感情が実感できないだろう。誰かを憎んだ事のない人には「憎しみ」がわからないだろう。


言葉の力は「名前」にもある。誰かを愛している時、愛する人の名前を思い浮かべるとどんな感情を伴うだろうか。その湧き上がる感情こそが言葉の力そのものだ。


言葉の力の本質を理解するには、それが個人がその言葉にどれほどの思い入れを持っているかに影響されるという事を知る必要がある。本質を理解すれば、誰かが発した言葉がすべての人に等しく影響を及ぼすことなどありえないと分かる。



報道のあるべき姿は、真実をありのままに伝える事だ。

新聞に読者を誘導する様な報道記事を載せてはいけない。

事実を、あるいはそれに迫る言葉を探す事は構わない。

でもその事実についての立場を決めるのは、言葉の受信者たる読者の仕事だ。



CMのキャッチコピーを本当に残念に思う。

自分には、「私達は私達の言葉の力を信じている」と言っているように聞こえるから。


でも本当に嫌な気持ちになっているのは現場の記者なんじゃないかとも思う。そうであって欲しい。新聞社が広告代理店と同じ立場で言葉を扱ってはいけないのだから。

優しい人間が救われるとは限らない。一応救われたっぽい終わり方をしてたけどとても悲しい設定だった。


嫁にはずっと裏切られ、親父には気遣いでボケたふりをされていた事を知って、もうぼろぼろ。でも、血のつながらない息子と職場の仲間に本当に愛されていた事を知り、笑顔で昇天。


気付いたら結構のめりこんでいて、ああこれは伊東美咲と志田未来が抜群なんだなと思った。