向田邦子さんによると、日本人の喋り言葉のスピードは、時代と共に年々速くなっているようだ。
確かに古い時代劇のDVDを見ると、なんともイラとすることもある、早さに慣らされているのだろう。
一昔前は『一を聞いて十を知れ』と、よく親にしかられたものだが、今この発言をすると完全にセクハラで訴えられるだろう。
十を語って、八を知ってもらえれば良しとすべきかも知れない。
分類の定義は分からないが歌謡曲にしてもそうだ演歌と現代ポップスとやら、哀愁、旅情、風景をゆったりと歌い上げる言葉少ない演歌と、なにから何まで説明付で言葉多くのポップス、舌を噛みそうなほどのスピードで歌い上げる。
これを暗記して謳う若者には敬服の至りだが、チョッと説明のしすぎの感もある。
まあこれは、平安時代からの言葉の進化流れで、批判は出来ない。
時代が選択するだろうが、なんとも不可解なのは国会演説だ、ゆっくりと間違わないように原稿を読み上げる。
その問題は真摯に受け止め、誠心誠意慎重に審議して検討いたしたいと存じます。
言葉数は多くても、中身のない発言ほど意味のないものはない。
先日の所信表明演説で、歴代2総理の発言を引用したとの事であるが、これが同じ官僚の作文であったらと思うとぞっとする。
言葉は進化して、早くなってもかまわないが、中身だけは確りある言葉であってほしいものだ。