小虎隊の誕生に、少年隊が大きな影響を与えたことは間違いありません。日本が欧米を真似し、台湾が日本を真似し、中国が台湾・香港を真似していた時代に、少年隊をモデルに作られたグループというのが、中華圏における共通認識でしょう。ちょうど前回引用した新三才(2010)の記事にも同様の記述を見つけたので、載せておきます。
流行是一條亦步亦趨的漸進線,當時演藝圈的流行文化鏈條是這樣的:日本模仿歐美,台灣模仿日本,大陸模仿港台。青春偶像組合之風颳得正盛,小虎隊成立之初,其複製原型就是日本的「少年隊」。
しかし、小虎隊は美少年が歌って踊るという点を除けば、少年隊とはあまり似ていないグループです。1988年夏のオーディションで全くの未経験者2人を含む3人が選出され、1989年1月10日発売の事務所の先輩のアルバムにお試しで参加[注1]し4月30日にはファーストアルバムを出すという超特急ぶりで、デビュー前にたっぷり訓練を積んだ少年隊のようになれるはずがありません。事務所側は光GENJIブームから学んだものもあって、初期の実力にはさほどこだわらなかったのでしょう。
[注1]:少年隊の「What's your name?」のカバー曲「青蘋果樂園」はこの時のものです。蘋果とはリンゴのことで、歌詞も全体的に少年隊よりはパラダイスで胸の林檎をむく7人組のイメージに近くなっています。
動画:小虎隊「青蘋果樂園」公式MV
小虎隊の所属事務所は、女優・司会者として活躍する張小燕と凄腕マネージャーの苗秀麗が1987年に立ち上げた開麗創意組合有限公司[注2]でした。苗が、創立時に元の会社から引き連れてきた部下で後の台湾5大マネージャー[注3]の1人となる宋文善とともに、小虎隊のプロデュースを手掛けたのです。
[注2]:現在の開麗娛樂經紀有限公司。
[注3]:2005年に台灣媒體聯合が選出した台灣藝能會五大金牌經紀人。
2010年に出版された宋の自叙伝『永遠的小虎隊』には、小虎隊結成の経緯が綴られています。興味深い内容なのですが、残念ながらこの本には明らかに間違っていたり[注4]、一般に知られる話と矛盾したり[注5]、さらには中国への忖度を勘繰りたくなる不自然な表現まで散見され、資料としての信憑性は高くありません。それでも、80年代の台湾には高い歌唱力を誇る歌手はいても若年層が熱狂する男性アイドルグループは不在で、ジャニーズ風のグループを作るのが宋と苗の悲願だったことが読み取れます。
[注4]:例えば、1989年1月10日の憂歡派對のアルバム『新年快樂』への参加について、p.28には憂歡派對と小虎隊の5人で合唱する「新年快樂」と、小虎隊の「青蘋果樂園」の計1.5曲を歌ったと書かれています。しかし実際にはもう1曲「彩色天空彩色夢」という小虎隊メインの歌があり、計2.5曲弱の参加でした。
[注5]:宋らが吳奇隆をスカウトした際、吳は歌も踊りもできないしテレビも見ないからと無関心で、スタッフが吳の母親を毎日電話で説得しどうにか吳をオーディション会場に呼ぶことに成功したというのは有名な逸話です。それが、p.18では吳がスカウト時に踊れてバク転もできて歌えてテレビに出たいけど機会がないと答えたと書かれています。仮に宋の話の方が真実だとしたら、「世間的には〇〇とされているけど、実際には✖✖だった」という形で有名な逸話にも言及すべきでしょう。他にも3人が自ら語った内容と矛盾する箇所が複数あり、宋が話の流れを良くするために安易な粉飾をした感が否めません。
少年隊の錦織一清は、2023年に出版された自叙伝『少年タイムカプセル』のp.263において、少年隊の曲が
どちらかというと夜型
だと述べ、光GENJIがデビュー2年で失速し始めたことについては
かわいそうだけど、光GENJIは曲調のバリエーションがなかった
それこそ昼の曲ばかりだった
と分析しています。曲だけでなく、その洗練された歌唱やダンスと上品ながらも艶めいた所作により、しばしば女公爵のお気に入りの青年じみた雰囲気を醸し出す、夜型のグループと言えるでしょう。これを踏襲せず、光GENJIよりもはるかに昼型に振り切った明るく清く正しいグループが小虎隊です。
メンバーのうち、陳志朋は歌えて踊れて勉強はあまり得意でなく、ジャニーズにもいそうな人材でした。異色だったのは他の2人です。母親が勉強以外の経験もさせようと履歴書を送った蘇有朋は、小虎隊結成時には建國中學という台湾最難関高校の学生で、人気絶頂期に1年間活動休止して受験勉強に専念し台灣大學に合格します。また、宋らが路上でスカウトした吳奇隆は、実は柔道とテコンドーの全国大会3年連続優勝者というとんでもない逸材でした。
蘇の「文」と吳の「武」という両道の超エリートが揃い、健全で前向きな模範生ぶりを大っぴらに見せることで、小虎隊はファン層のみならずその父母からの絶大な支持を獲得します。日本ですら我が子がアイドルに夢中になることにいい顔をしない親が少なからずいて、特に少年隊などは比較的風当りが強かった時代に、アジアで小虎隊が空前絶後の人気となった最大の勝因は歌も踊りも未経験のまま活動を開始した蘇と吳のキャラクターにあると言えるでしょう。
参考文献:
- 「小虎隊20年悲歡 複雜的三角兄弟」新三才,2010-03-05.🔗網際網路檔案館アーカイブ
- 宋文善『永遠的小虎隊』南京大学出版社,2010.
- 錦織一清『少年タイムカプセル』新潮社,2023.
お読みいただきありがとうございました。
元々この記事は、宋文善さん(2022年7月31日没)の一周忌に合わせて書き始めたものです。ところが、引用しまくるつもりだった宋さんの自叙伝の信憑性に一言物申さずにはいられなくなったため、命日の記事公開は見送りました。
Funky Diamond 18の福岡公演直前緊急配信の視聴期間が昨日で終了し(なぜかまだ見られますけど)、月末からは福岡公演の配信が始まる合間を縫ってこのタイミングで公開します。
それにしても、敬称なしで「錦織一清」と書くのは落ち着きません
宋文善さんと苗秀麗さんの呼び捨ても少々キツイ
卒論で先行研究として先生の業績に言及する時に「先生」とか「教授」をつけられない、あのバツの悪さと同じですね。小虎隊の3人は平気で呼び捨てできちゃいます。30年前からウー・チーロン(吳奇隆)、スヨポン(蘇有朋=スー・ヨウポンの短縮形)、ツェン・ズーポン(陳志朋=チェン・ジーポンの台湾訛り)って呼んでましたから。
