サロマ湖100キロマラソン2018
マラソン12年目、100キロマラソン8回目のチャレンジ、そしてサロマは5回目のエントリーとなりました。
私がサロマのに魅了されている理由は「レースのタフさ」にあります。
マラソンコース自体はとてもフラットで走りやすいのですが、暑いときは30℃超え、寒いときは10℃を下回り、雨、風と気象条件がとにかく安定しません。それゆえに私の戦績も二勝二敗の五分なのです。。
そんなチャレンジングなコースで、尚且つサロマを10回完走した者には「サロマンブルー」20回は「グランドブルー」というサロマを走っている人にしか分かりませんが、名誉ある称号を与えられるのです。
サロマンブルーを目指すと気が果てしなく遠くなるので、考えないようにはしていますが、マラソンを続ける限りは「やってやろう」と思っています。
↓午前5時、スタート前。 この日は午前二時起床なので、一週間夜9時に寝るトレーニング?!をしました
スタート前、雨が降っていて先行きが心配だったのですが、スタート時には雨も止んで清々しい状態になりました。
20キロくらいまではその清々しい状態が続いていたのですが、そこから気温がぐんぐんと上がり、
エイドの度に水をかぶらないと熱中症になりそうなほどでした。
そこから50キロまでは暑さが続き、60キロ地点付近から一転、雨が降ってきました・・
風を伴う結構激しい雨で、暑さからの急転直下で低体温からの離脱者が相次ぎ、私も寒さと怪我の痛みでもうダメかと何回も思ったのですが
↓12時間41分でゴール!
後半はずっと雨で、私は雨対策を何もしていなかったので(周りの人たちはほぼ雨対策をしていた)本当に地獄でしたが、
リタイヤしたらウルトラマラソン三連敗になってしまうので、気合入れて走り切りました。
また、6月初めのマラソンで足裏を怪我して、痛みが取れていなかったのですが、怪我対策を十分にしたのも奏功したと思います。
このサロマが終わると私の中では夏が到来するのですが、季節の変わり目が良い結果で締めくくれてよかったです。
仕事とは違う達成感があって面白いですよ。キツイけど(・Θ・;)
脱臼の手術
去年の8月、元々あった脱臼癖を治すべく、手術に踏み切りました。
実は両肩共に脱臼の癖があるのですが、特に左側は重篤で、17歳の時に初めて脱臼して以降、10回以上は脱臼していると思います。
交通事故、スノーボードなど、最初の頃はまともな理由で脱臼していたのですが、徐々にエスカレートしていき、一番最近の脱臼は、朝起きて伸びをして外しました。それで救急車で運ばれて・・・・
そこで手術を決意し、その年の8月に手術しました。全身麻酔で、手術自体はすぐに終わったのですが、それからがきつかったです。。
まず肩の痛みがひどすぎて、一週間くらい横になって眠れなかったです。寝そべると肩のポジションがずれて痛くて( ;∀;)
それからリハビリがスタートしたのですが、これがまた修業でした(今も続いています)
↓これだけしか腕が上がりませんでした。服を着るのにも相当に苦労しました
それから8か月後
↓なんとかここまで上がりましたが、週二回リハビリしてまだ治っていません
ちなみに奇跡的に服装が同じという・・
一番ショックだったのが、筋力の低下。
4月から筋トレを再開したのですが、まず腕立て伏せ10回できませんでした( ;∀;)
それから週二回のペースで軽めのウエイトでトレーニングしているのですが、未だに手術前には戻っていません。
プロ野球選手が「肘を手術しました」とか聞いてもピンとこなかったのですが、いかに重大な決断なのかがよくわかりました。
手術前と比較して100%治ることはあり得ないんだな、と。
私はプロスポーツ選手ではないのでそこまで深刻ではありませんが、体の自由が当たり前だと思っていたので、今の状態が若干ストレスです。
手術のおかげで脱臼しにくい肩にはなったと思いますが、医者も手術前に術後の事を教えてくれれば良かったのに。。と思いました
脱臼癖のある方はよく考えてから決断しましょう
柴又100キロ
いよいよマラソンシーズンも大詰め。今年は東京は柴又で100キロマラソンに参加してきました。
寅さんの柴又帝釈天です。 ここで完走祈願をして会場入りします。
例年は60キロの部なんですが、今年は100キロを走ってみたくなり、エントリー。
スタート時から汗ばむ天気で、熱中症が心配されます・・・・
スタートしてから20キロ地点前後で足の裏に違和感を感じ
だんだんと激痛にかわり、30キロ地点ではかなりスピードダウンしてしまいました。。
そして気温30℃の中、救急車がひっきりなしに往来していました。
でも50キロ地点までは行こう! ということで、痛みを我慢しながら、やっとハーフ地点に。
そしてこのバスに乗車し、スタート地点まで帰ったんですが、バスに揺られること2時間!
さすがに50キロも走ってくるとリタイヤバスも小旅行です(*_*)
で、電車に乗って、家に帰りついたのが夕方6時。スタートから10時間半、ということはリタイアせずに走り続けていたらまだゴールしていない時間です。 この日完走したランナーは本当に鉄人ですね(^^)/
ウルトラマラソンは体の鍛錬もさることながら、精神力の強さが完走の成否を分けます。
そういう意味では、私のウルトラ挑戦も8回目。マンネリしているのかもしれません。いやマンネリしています。
この状況をどう打破していくのかをこれから考えなければですね・・・新しい趣味が見つかればそれも良しなのですが(^-^;
しかし完走できないのは本当に悔しい~
神バナナ
仕事柄、隔週ペースでいろんな地方に出かけている私ですが、先週は鹿児島へ('ω')ノ
出張の楽しみの一つ、朝ランニング。西郷どんが出迎えてくれました。
まだ明治になってから150年。西郷どんは49歳で生涯を閉じるまで、下級武士の家で生まれ、役人ー島津斉彬の懐刀ー奄美島流しー沖永良部島流しー江戸無血開城ー戊辰戦争ー明治政府ー西南戦争と、現代の我々からするととんでもなく濃い人生を駆け抜けました。そんな西郷どんへの憧れと、自身の努力不足を反省しつつ、何かを成すぞ!と再確認しました。
桜島が噴火していました。みるみる灰が降りかかってきました。鹿児島はこれが無ければ最高なんだけど・・・
自然には勝てませんね
そして「神バナナ」 無農薬のバナナです。
無農薬は虫が寄ってくるので、24時間体制で人手で虫をピンセットで駆除しているそうです。
そして肥料も市販の有機肥料ではなく、手作りのものを使用しているこだわり。
当然ですが、お味はめちゃめちゃ美味しかった(^^)
100%安全安心のフルーツです。こんな活動をする農家さんがマジョリティになれば病気も減るのに。
農薬を使うと品質保持期間が長くなり、農家の手間も減り、コストも安く生産でき、販売価格も安くなります。
我々は安い値段と引き換えに少しずつ自分達の体を痛めているのです。
とはいえ、経済事情も無視できないのは当然の話。安全と経済合理性のバランスは本当に難しいですが、
少しでも、食の安全、健康的な食生活に大勢方々の意識が向けばと思います
「20代で苦労した者だけが30代で夢の世界を見ることが出来る」人生の80%は35歳までに決まる。
これは矢沢永吉氏の言葉で、フェイスブックの広告で流れてきました。
こうやって受動的に大量かつ多角的な情報を得られるようになったのはインターネットの功績の一つだと思います。
95年以前、アナログ世界の時代は「情報は取りに行くもの」で、「動かないと情報を得られず」、「情報は人に紐づいていて」
「信用される情報は信用される人が発信していた」 そんな時代だったかと思います。
現在はその頃からすると随分と便利な時代になりましたが、情報の流通量が飛躍的に増加したからといってもGDPが飛躍的に増加したわけでもありません。経済の仕組みが変わっただけなのです。
本筋に話を戻しますと、このタイトルの矢沢永吉氏の言葉について、全面的に賛同できます。また、多くの優秀なビジネスマン達は同じことを思っていると思いますし、後輩たちにもそう伝えていると思われます。 なので、矢沢氏のオリジナルでも無いのですが、「それに気づくか気づかないか」は人生の分水嶺だと言っても過言ではないでしょう。
私はまだ事を成していませんし、努力を定量化できませんが、20代の時に普通の人と比較して量質共に圧倒的なの努力をしてきた自負はあります。 言い換えれば「せざるを得なかった状況」でもありました。 24歳で会社を設立したので、普通の経験あるビジネスマンよりもインプットアウトプットの速度を上げることによってパフォーマンスを出してきました。
結果を出さないと生活できない環境だったことは今考えると幸運だったとも思います。創業は早かったのですが、その時に「今の努力が将来をどう創るのか」 などは全く考えておらず、自分が40歳になることも全くイメージできませんでした。また、来る日も来る日も徹夜続きだったのですが、苦労というよりは「自分で決定した自分の道」という意識があったので、肉体的にはまさに苦行だったのですが、精神的には明るい感じでした。
そんな感じで、若いうちから努力せざるを得ない状況に身を置くのも一つの手段だと思います('ω')ノ
賢者は歴史から学ぶ
こんにちは(^^)/ 花粉の季節も過ぎ去って気持ちのいい季節になってきました。
と思ったら梅雨が来るし、梅雨明けたら今年も酷暑になるっていうし、日本の気候は厳しいですね。。
ちなみに私が気候として一番好きな都市はカリフォルニアです。一年を通じてほとんど雨降らないし、寒すぎず、暑すぎずで
最高ですよね。カリフォルニアでのリタイヤ生活にあこがれを抱きつつ(ほとんど妄想)今日という日を全力で生きています(^-^;
ところで、表題に掲げている「賢者は歴史から学ぶ」ですが、私が若かりし頃(20代)はとにかく偉い先輩経営者に会いまくって、ビジネス書も手当たり次第に読んで、尚且つ毎日深夜まで仕事をしまくってました。
20代だから出来たことなんでしょうね。今振り返っても超人的にハードワークしていたと思います。 20代の皆さん!会社では昨今残業禁止が常識になっているので、時間外の時間をどう自己投資するかが成長のキーポイントになってくると思います!!
読書の件に話は戻りますが、ビジネス書が悪いとは言いませんが、ビジネス書は成功のロールモデルであったり、ベストプラクティスが羅列されていますが、長い年月を振り返ってみると、そこまで自分に有用だったとは思っていません。もちろん何も知らないよりかは知っていた方が良いし、いろんな本を読まないと本当に価値ある書にも出会えないと思います。
なぜ歴史の本がなぜ有用なのか、私の見解を簡単に述べます('ω')ノ
〇歴史は繰り返す、と言われているように、人類の営みは一定周期で同じことを繰り返している
ので歴史の本を読む価値があると思っています。 いくらテクノロジーが進歩しても、人間の根源的な部分は不変だという事です。
人間も自然界に存在する生き物の一種だという事が良く理解できます。
今年は明治改元150年なので、幕末の本とか良いかもですね。
チャレンジ富士五湖71キロマラソン
ついにマラソンシーズン後半(私のマラソンシーズンは9月~6月まで)
毎月フルマラソンに出て、4月からは50キロ以上のマラソンを2回走って本番の100キロマラソンで終えるという毎年なんです。
マラソンを始めて12年。100キロを走り始めて8年になり、競技に対する向上心は薄れましたが、マラソンをしていると痩せはしないけど太りもしないし、代謝は良くなるし、睡眠の質も上がるので、なんだかんだで止められません(^-^;
そんなゆるいランナーの私ですが、先週、山梨県の富士吉田にて開催されているチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンに参加してきました。私は71キロの部だったのですが、一番長い距離はなんと・・・・118キロ!!
数年前までは113キロだったのですが、どんどんエスカレートというか、グレードアップしていますね
当日の天気はご覧の通り、素晴らしく快晴で・・・・素晴らしすぎて最高気温28℃予報でした。
ちなみにですが、フルマラソンでも25℃近くまで気温が上がると救急車のけたたましいサイレンの音がそこらかしこから聞こえてくるのですが、そこは鍛え抜かれたウルトラランナー達ですね、一回も救急車のサイレンが聞こえてきませんでした。高温レースでの対処方法を熟知しているのでしょう。
私のタイムは・・・・10時間3分 一キロの速度換算では約8分40秒と、とんでもなく遅いタイムでゴール。。
アップダウンが激しすぎて、後半ヘロヘロになって、最後の10キロは2時間かかりました。ほぼ歩きですね
しかしながら、マラソンは前に進んでいる限りはゴールできるので、なんだか人生のお勉強みたいです
という事で、ボロボロになって散々のウルトラマラソンでしたが、最後にまさかの満員電車で帰宅に二時間立ちっぱなしというダメ押し付きでした。
大阪支社開設
2018年4月2日、大阪に支社を開設しました
↓なぜか写真の向きを変えることが出来ませんが・・・とても立派なビルです(^^)/
弊社は売上至上主義でも無いし、見栄っ張りの拡大志向でもないのですが、拠点が増えて人数が増えると何となく良い気分になりますね。
↓梅田エリアに位置しており、大阪の繁華街「北新地」に隣接しています。行ったことないけど(^-^;
↓オフィスの中。まだ10人程度でのスタートですが、半年くらいで満席にしたいです!
これで5拠点+1子会社です。 とはいえ業歴20年の会社ですので、決して規模の点では自慢できませんが。。
今置かれている環境の中でベストを尽くし
もっとお客様の為に、もっと社会に価値ある会社になるために
一層の努力をしていきます
FOODEXJAPAN
今日は千葉の幕張メッセでFOODEX JAPANを見てきました(^-^
世界各国から食のサプライヤーが来てて、海外旅行に来ているような感覚
↓とにかく広くて広くて・・・5時間滞在していましたが、それでも網羅しきれませんでした。。
当たり前ですが、外国人同士は英語で会話してて、日本人対外国人は通訳を介して会話しているのが目立ちました。
英語を話すハードルが高いと日本では思われていますが、外国人同士の会話のレベル感は中学生・高校生の単語レベル。そんなに難しくはありません。
何で日本人は教育のレベルは高いのに英語を喋れないのか、改めて考えてみました。そこでたどり着いた結論が
「外国人と話す事に慣れていない」という極めて単純なことではないか、と。
日本にいる限り外国人と日常的に接する機会が少ないので、仕方ないと思いますが、間違いなくこれからは会話レベルの英語は必須になるので、まずは積極的にコミュニケーション取ればよいのでは、と思いました(^^)
ちなみに英語ネイティブの人と話すのは別次元にしんどいです(+o+)
唯一、会社が成長する事がだけが組織を活性化させる
いつの間にか2月も終わり・・・・
前回のブログが「明けまして~」なので、本当にあっという間ですね( ;∀;)
さて、タイトルの件になりますが、今週月曜日の昼会で話をした内容を改めて文章にしたいと思い、ブログに書きます。
経営者の仕事は色々あります。 事業戦略、資本政策etc 自分で携わることもあれば、承認作業だけが必要とされることもあります。多岐にわたる経営者の仕事の中で「どう社員を幸せにしたいのか?」というテーマは経営者であればだれもが考えることだと思います。
弊社みたいな中小企業は大企業に比べると圧倒的に福利厚生が手薄です。そんな中でも縁があって当社に入社してきてくれた社員たちに何をもって報いるのかという事に対しての私の考えは
「会社を大きく成長させること」
です。
売上/利益が伸びたり、また売上が伸びることによって組織が拡大したり、拠点が増えたりすると、新しいポストがどんどん新設されます。
既存の社員が新しいポストに就くと、その社員は出世することになります。そして、若い先輩社員が実力以上の仕事を任せられて、それを通じて成長している姿を見て、新しく入った社員はその先輩社員たちを目標に頑張って組織の成長に良い循環をもたらす、というのが私の理想像です。
弊社はリーマンショック後、長い低迷の年月を過ごしてきました。リーマンショックが発生した2008年から3-4年は売上が減り続けました。内部留保がありましたので、経営の危機ではありませんでしたが、私としては非常に苦しい思いを経験しました。
多くの社員が会社の将来に不安を感じ、見切りをつけていきました。私がどんなポジティブな事を言っても売り上げが下降している中で、誰にも信用されませんでした。 辞めた人が抜けたポストを既存社員に託し、そして託された社員がまた辞めるという悪循環でした。サービスの質も低下し、ミスやクレームも激増し、責任感無く逃げるようにに辞めていく人も正直少なくなかったです。
そんな最悪のわが社でしたが、転機が訪れます。2011年から始めた新規事業が会社の増収に貢献するようになってから、チームにまとまりが出てきました。頑張れば頑張るほどに目に見えて成果が上がるのでその状況が上昇気流となって更なる成長を生み出すようになったのです。
楽しんで努力できる環境を創ることが会社にとっていかに大事な事なのか、大きな負の経験を通じて思い知らされました。
逆に言うと、下降トレンドに突入すればまた以前の滑り台に乗っているような状況に逆戻りするという事です。
成長を持続させ続けるのは大変難しい事ではありますが、それが出来るようにしっかりと舵取りをしていきます