●暇だから、勉強でも…
3~4年生の頃遊んでいた仲間は、5年生になる頃は全員が別のメンバーに入れ替わっていた。
自分が勉強をするようになると、仲間にも勉強をする者を選ぶ様になるのは当然だった。
学校では、クラスのトップクラスの友達が普通だった。
試験の後は、彼らと回答について雑談するのが楽しかった。
自分の場合は、母親が熱心で「受験研究社」の参考書を買ってくれて一緒に勉強した。
算数は苦手だったが、母親の説明を聞いているうちにだんだん楽しくなって来た。
母親は、何かあると「無学な私なんか…」が口癖だったが、本当は頭が良かったのかも知れない。
(旅人算のグラフ)
小学生は「連立方程式」などは学習しないが、「旅人算」だとか「鶴亀算」だとか複雑な計算も勉強して得意になった。
たしか、「植木算」なんてのもあった様な気がする。
母親の教え方が良かったのか、計算がとても面白く、新しい教科書や参考書を手に入れると直ぐに読み漁った。
最初のうちは授業にやっと追い付いていけたほどなのに、5年生になる頃には完全に皆を追い越してしまった。
●大出世
その頃、担任から、「生活委員」と言ったか「学習委員」と言ったか、「低学年児童の担当」を言い渡される。
いたずらばかりして周辺に迷惑を掛けていた悪ガキが、例を見ない大出世である。
オマケに、「学級委員長」まで初めて任命された。
「生活」だったか「学習」の委員は、朝の始業前の15分間、1~2年生に「紙芝居」を読み聞かせたり相談に乗ったりする。
「低学年」だったので、「おしっこ、もらしちゃった…」などの相談もあったが、クラスメイト達にはバレない様に上手に対処した。
たったそれだけだが、すぐに児童らに信頼され、学校内でも学校外でもすれ違えば「先生」と呼ばれる。
大したこともしてないのにと「背中がくすぐったい様」な感じがしたが、とても気持ちが良いのも事実である。
人間、「人に頼りにされる」と言うのは最高に生甲斐になる。
自然と自分の行動も誰から見ても恥ずかしくない人間になろうとする。
これは、自分自身の成長に大きな力となった。
学級委員は最初は仕事が分からなくて不安だったが、なにも無い時は仕事も無い。
何かあったら、「方向性」だけを示して後は「複数の委員」に任せれば良いと分かった。
●日曜学校
はっきり言ってしまうと、「興味のある女の子が通っていたから」なのだが、ある年の12月から教会の「日曜学校」に通い始めた。
(自宅がモデルの、丘の上の小さな教会のイラスト)
クオリティーの低いイラストで申し訳ないが、何卒「素人」なので許して欲しい。
その代わり、投稿に使うイラストは全部オリジナルで、「トレース」などはしていない。
作画ツールは、Windows付属の「ペイントだけ」を貫いている。
このイラストは「教会」だが、本当は自分の住んでいた家に近い。
流石に「十字架」は無かったが、良く「自殺しそうな人」が訪ねて来た。
伯父から譲り受けた「洋館」なのだが、なぜそんな家を建てたのかは分からない。
それにしても、伯父の家は「お金持ち」でだった。
教育関係者には共産党員が多いのは知っていたが、比較的質素な生活をしている人が多い。
伯父の家も日本共産党員だが、何故かお金持ちだった。
大人になるまで納得が出来なかったが、最近になってようやく判った。
伯父の家系は「中国共産党系」で、目立たないがとてもお金持ちだった。
「ロシア共産党」は分からないが、「中国共産党」の幹部は金持ちだった。
ちなみに、自分は画像で言うと「十字架の下の部屋」に住んでいた。
もちろん、画像の「大きな出入り口」は無い。
通った教会の日曜学校では、子供だったので宗教色の強い教育はされなかった。
もっぱら、「日々生かされている事への感謝」や「他人を羨むことはしない」などの道徳的な事を学んだ。
家の宗教は「儒教」だったが、そんなに熱心な信者でも無かったので反対はされなかった。
教会には色々な能力のある人材が揃っていて、教師などの教育の専門家も居て、無償で子供達の勉強を見ていた。
専門家が「お金目的」ではなく本気でボランティアで教えてくれるのでとても良く分かり易く、お金目的の「塾」などとは雲泥の差だった。
そのうちには、自分は子供達のリーダー格になり、勉強が苦手な仲間を引っ張って一緒に勉強をするようになった。
仕舞には小さい子供達の先生役も任された。
普通なら、「そんな時間はもったいない。自分で勝手に勉強を進める方が能率的。何よりも、そんな事は損だ」と考える。
しかし、キリスト教ではそうは考えない。
自分の行為に見返りは求めない。
その考え方はとても良かった。
学問も、最も基本的な部分を根本から理解する事か大切で、難しい問題集を熟す事は余り意味は無いと気が付いた。
この自分の考え方は今も変わらない。
随分とお世話になったキリスト教(信教)だったが、後にその教団が発足当時は酷い「新興宗教」だったと聞いて本当に驚いた。
礼拝では熱心な信者が大蛇を抱えて教壇に登り、「神を信じていれば大蛇も怖くない!」とやったのだそうだ。
発足当時は本当にそうだったらしいがも今は全く普通の教団である。
洗礼まで受けた自分だったが、「その話」とすぐ後に聞いた「月々の寄付金」の事を聞いた自分は恐ろしくなって教会を逃げ出した。
「見返りを求めるな」と教えている教団が「お金を取るなんて」と幻滅して怒りに満ちていた。
そして、本当に自分は「逃亡」した。
しかし、今思うと、「宗教法人」だって収入が無ければ維持していけない。
税金は優遇されているが、固定した「会員のお布施」に期待するしか無いのが現実。
その教団は幼稚園も墓地も持っていなかったから、経営は決して楽ではなかったのだろう。
それに、「金に汚かったのは自分の方だった」と思い反省している。
ただ、純真な若者にちょうど悪いタイミングで昔のことを面白おかしく伝えた大先輩諸氏にも大いに責任があったと思う。
(続く)