●山で遊ぶ
駄菓子屋通いに飽きた仲間たちは、その頃、何人かで良く山で遊んだ。
自分の家は、裏に小高い山を背負った丘にあった。
その山はそんなに深い物では無かったので、子供達でも気楽に遊べた。
山では、クルミや椎の実など木の実を取って食べたり、木の枝で刀を作ってチャンバラをしたり…。
皆んなで遊び方を考えながら時間を過ごした。
何度も死にそうになったので、単独では遊ばない事にしていた。
●札付きの竹山君と遊ぶ
かなりの「わる」と言われていた竹山くんが、珍しく自分達と遊びたいと言うので仲間に入れた。
その日、山では竹山くんは余り目立たず、「指を怪我した」とか言って早目に帰った。
今思えば、これが彼と遊んだ最初で最後だった。
彼とは普段良く遊ぶ仲間でも無かったし、クラスも別だった。
聞くところによると、ここのところ彼は何日か学校を休んでいたらしい。
3日ほどして、先生から竹山くんが死んだ事を知らされるまでははっきり言って完全に忘れていた。
自分達は担任の先生に呼び出されて事情を聞かれる。
しかし、同じ日に山で遊んだ別の仲間も、「彼とは、その日は離れて遊んでいた。そして、怪我をしてすぐに帰った事」しか答えられなかった…。
自分も全く同じ様に答えた。
学校の児童たちは、朝礼で竹山くんが死んだ事を知らされた。
そして、「山で怪我をしたら気を付けよう」と諭されたが、誰も「注意」は受けなかった。
「山で遊ぶな」とも言えないし、「イジメ」などの事実もなかったからだ。
山の土の中には破傷風菌が居て、傷を負った時はすぐに消毒をしないと危ない。
しかし、当時、そんな事を気にする大人も子供も居なかった。
(本州だったので、夏は家の中では裸)
元気な子供は、誰でも体のどこかに常に「生傷」が幾つかあるのが普通。
竹山君も普通の元気な子供だったのだろう。
お葬式には全校児童が参加したが、自分は実感に薄く、お葬式は退屈だったので余り覚えていない。
そもそも、一回は一緒に遊んだ事になっているが、はっきり言って全然知らない相手だ。
この後、「自分も死んだかも知れなかったんだ」と考えると実感が出て来た。
この事件のトラウマから、その後は山で遊ぶ事も少なくなった。