職業病。右手人差し指の腱鞘炎で、マウスも思うように操れなくて困っています。ペン型のやつも持ってはいるのですが、使い方がよくわからない。基本的にアナログ人間なんです。




 「北条氏を訪ねて」もいよいよクライマックスになりました。
 北条家は五代氏直公まで続きますが、小田原の役当時の実権は尚、氏政公が持っていたと見るのが妥当です。


 その氏政公ですが、多々な小説を読み返しても、すこぶる人気がない。戦国ゲームでも悪役、やられ役がほとんど。史書扱い?である「北条五代記」でも敬称されずというからずいぶんである。家を潰したという事実があるので弁解は出来ないのでしょうが、では、実際はどんな人物だったか。

 氏政公は天文七年(1538)生まれ。永禄二年(1559)に家督を継ぐも、実権は父氏康公が死ぬまで握っていたようです。この相続の仕方は北条家のしきたりのようになっていて、氏政公も42才という若さで形式上の家督を息子氏直公に継がせています。


 氏政公は自ら指揮した戦いで、二度の敗北を帰しています。
一つは永禄三年(1560)の唐沢山城攻め。小勢の唐沢山城を囲みますが、上杉謙信の城方援護軍に強襲され大敗、敗走しています。
もう一つは永禄十年(1567)の三船山の戦い。国府台合戦で追い詰めた里見氏を房総半島まで出向き息の根を止めるつもりでしたが、三船山で反撃をくらい上総国を奪回されてしまいました。
どちらも氏康公存命時の戦いですが、どちらも戦場での粘り強さが感じられない戦さです。早雲、氏綱、氏康、前三代の当主の戦いは、時間を掛けても敵に食らい付き、ここぞという好機を逃さず攻勢を掛ける猛犬のような戦い方をしています。それらに比べると氏政公の戦さは淡白なイメージがあります。


 少年期から大国の跡取り、王子様として育てられ、家督を継いでからも強腕な父親の貢献を仰ぎ、完成された家臣団に囲まれている。始めから持てるものを持っているのですから、生死ぎりぎりで戦ってきた父や祖父のように勝利に貪欲になることがないように思われます。氏康公の死後、実権を持ってからのその執政を見ても、他の大勢力との同盟を繰り返す政治的戦略が目立ちます。それは矜持に薄い利害関係や保身に偏った同盟へと変わってきたともいえます。封建社会では国政に当主の性格が過分に現れるものです。元亀二年(1571)の越相同盟破棄と甲相同盟の復活は、国の方針が攻めから守りに変わった瞬間です。


 これらの事象から氏政公の性格は典型的なお坊ちゃん大名、というのが私の結論。
 同じタイプの人物が毛利輝元公。どちらも鷹揚で覇気に乏しく詰めが甘い。その分人間が優しいのだと思います。どちらも愛妻家だったとのこと。一方は豊臣秀吉に死を賜り、一方は徳川家康に臣下の礼を取らされる。現代ならば財閥系の御曹司として立派にやってもいけたでしょうが、戦国の世ではこれは欠点になってしまう。

 一般に言われている悪い奴、ということはなさそうです。北条家の最後はご存知の通り、秀吉の小田原攻め。時代うんぬんというよりも、豊臣秀吉の覇者としての辣腕が大きかったと思います。相手が秀吉ではなく明智光秀や柴田勝家だったなら、こうまで急激な統一戦にはならず、関東の雄として北条家はもっと歴史の中央に陣取っていたのではないでしょうか。想像に希望も込めて、ここで筆を置く事に致します。


 氏政公の享年は53才。お墓は小田原駅からすぐの永久寺にあります。箱根湯本にある早雲寺にも墓標があって、こちらは北条家当主五代の方々が並んでお祭りされております。


 因みに、北条の家は完全につぶれたわけではありません。氏康公五男、氏規の血筋が河内国狭山で1万石の大名として生き残りました。



かをるんのブログ-氏政1


 早雲寺の北条五代の墓標。左から早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直公です。



かをるんのブログ-氏政2


 小田原城天守。1960年の復元です。中は北条家や小田原藩に関係した博物品でけっこう面白い。



かをるんのブログ-氏政3


 こちらは1997年に建てられた復元銅門。



かをるんのブログ-氏政5


 二の丸と本丸の間にあった堀跡は、現在菖蒲の花壇になってます。



かをるんのブログ-氏政4


 天守から見た石垣山城。本当に近いです。あんなところに突然城が現れたら、そりゃ驚くでしょう。



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 こちらはその石垣山城から見た小田原の町。矢印のところにお城の天守が見えます。わかりますか?



かをるんのブログ-氏政6


石垣山城二の丸から本丸の石垣跡を見たところ。大きいです。けして付焼き刃な造りではありません。



かをるんのブログ-氏政8


 登ると岩ばかり目立ちます。すべて石垣だったのでしょう。その多さに目を見張ります。ほとんどは崩れていますが、これは関東大震災で崩れたのだそうです。



かをるんのブログ-氏政10


一応看板の案内図も。


 ご観覧ありがとうございました。    kaolun