松代城と共に回ってきたのが荒砥城。

歴史の表舞台には上がることのなかった城ですが、行ってみるとこれほど当時を再現してある山城も滅多にないと思われるほど、整備されているお城です。(ちょっときれい過ぎますが)

 それもそのはず、ここはNHK大河ドラマでロケ地として使われ、その縁で城山史跡公園に指定されたところです。


かをるんのブログ-荒砥城1


 急峻な尾根を利用した要害で、眼下に千曲川の遠望と戸倉上山田の温泉地が見渡せる絶景の場所です。

 元村上義清配下の豪族、屋代政国が武田信玄に使え入城。屋代氏はその後、織田、上杉、徳川と主家を変え、それと共に荒砥城も廃城となりました。大国に挟まれた小領主の処世術が伺えます。


かをるんのブログ-荒砥城3


 画になる城門です。TVでは海ノ口城として使われていました。


かをるんのブログ-荒砥城4


 城の高見櫓から見た戸倉上山田の町。遠望する山の向こうが上田です。


 さて、屋代氏とは違い、独立に成功し小ながらも戦国大名の仲間入りを果たしたのが上田の真田氏です。

 武田信玄の目と言われた真田昌幸は、こちらも織田、北条、徳川、上杉と渡り歩きながら、最後には徳川と一戦におよび、豊臣政権下で自己の領国を堅持したやり手な人物です。


かをるんのブログ-荒砥城地図


 そうした無理な領地獲得手腕のせいか、その勢力圏も少し変わった格好になっています。(地図は少し大きくなります)

 主地である上田盆地。そこから北東の鳥居峠を越え、吾妻川流域を回廊のように東へ進み上州へ。その上州沼田周辺を一時領地下しています。上田と沼田、その間の吾妻回廊というまるでメガネのような形の領国。

 その無理な領国支配が、大きな政治戦略に使われたのは周知のことです。詳しく知りたい方はWikiなどで「名胡桃城事件」を調べて見て下さい。


 真田はまさに最後の戦国武将。みんなが憧れるのも道理です。     kaolun